例えば車のブレーキとかアクセル。
踏み込むときに「遊び」って言われる部分がありますよね?
余白と言うか、のりしろと言うか、ゆとりと言うか…。
とにかくあの「遊び」。
あれってとっても大切だと思います。
でも、今、僕が関わっている子どもたちの中には、その「遊び」が少ない子たちが、少なからずいます。
ピーンと琴線を張ったようなやり取りが多くなる子たちが。
冗談が通じないとか、そういうのとはまた別で、笑い合うことも出来るし、ふざけることも出来るから、日常的に困り感に晒されている訳でもないのですが、どんなやり取りでも、いつでも、距離が一定なんですよね。
中には、自分自身の「遊び」が無いだけでなく、相手(この場合は僕)の「遊び」部分も気付けず、まるで無いかのような距離感を見せる子もいます。
「私の人付き合いの距離感はこう!」と、いつでも、誰とでも一定の距離感。
それこそ本人も周囲としても困り感があるものではないんです。
でも、「遊び」が出来ると「道草を食う」みたいなことが出来るようになると思うんです。
必要なことだけ、ってしんどいと思いませんか?
そういうことまで考えていきたい。
そういうことを考えられると、コミュニケーションに深みが増して、スムーズになるんです。
0 件のコメント:
コメントを投稿