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2019年4月4日木曜日

応援してもらっているから、明日も頑張れる。

プールで、顔を合わせるお年寄りから時計を頂きました。

毎日のように顔を合わせる方で、先日「その時計、随分長いこと使ってるの?」と尋ねられまして。

「いえ、ずっと別のを使っていたんですが、壊れてしまって、間に合わせでつけているんです」

と答えておりました。

そしたら今日、その方が「ほら、いつも頑張っているから、私からプレゼント」と、渡されました。
「せっかく頑張ってるんだから、身に着けるものもきちんとしなきゃね」と。

もう、涙が出るほどうれしかったです。

大切に使わせていただきます。
ありがとうございます。

いろんな方がいろんな形で応援してくださいます。
本当に、本当にありがたいです。

こういう事がある度、というとおかしいかもしれませんが、これだけ応援してくださる方がいるのだと思うと、背筋の伸びる思いです。

明日からも、この腕時計をしながら頑張っていきます!

2018年7月10日火曜日

手をつなぐ会の「まなぼう勉強会」

今日は手をつなぐ会の「まなぼう勉強会」でお話をさせていただきました。

今回僕が設定したテーマは「親だってそのままで良い」。
保護者向けに構成した自己肯定感のお話です。

持ち時間が30分というところだったので、どんな話にしようかと考えましたが…

僕が今日話の中でお伝えしたかったのは「親も子も尊ばれるべき、愛されるべき存在である」ということ。

想定される聴講者のほとんどが保護者ということもあり、役員さんとの打ち合わせで「お母さんたちがホッとできる」「安心できる」というキーワードを出されたのが僕の中に引っかかりまして、こういうテーマにしました。

と言っても、大した話が出来るわけではないので、ぐるんぱの活動をしていて保護者にどういう心持で僕が向かっているのかという話に近かった気もします。

実際に寄せられる保護者の悩み、そこへの僕のアプローチ。


イメージしていたのは、聞いてくださっている方から悩み相談が寄せられて、そこへ僕の考え方をお伝えする、というような感じでした。

勉強会という場も踏まえて「自己肯定感って?」みたいな話も少ししましたが、今回はやはり「ホッとしてほしい」というところを大切にしたかったので、ロジカルというだけでなく、ハートフルな面を出したいと思って望みました。

僕がイメージしていたことが届いていれば良いのですが^^;

これまで何度か人前でお話をする機会を頂いてきましたが、もしかしたら一番ぐるんぱらしい、永田らしい話題だったかもしれないと思っています。
帰った後に穏やかに、自分や我が子がいとおしく感じてもらえてたら嬉しいな、とそんなことを考えているところです。


その後、メイクハッピー&ピースの井本先生も発達障がいについてお話をされて、会の後半は茶話会になりました。
普段接する生徒の保護者とも違う保護者の方たちとテーブルを囲んでお話するのは、学びになります。
人の数だけ、悩みも思いも喜びも愛もあるのだと改めて感じます。

こういう声や思いに触れると「すべきこと」「したいこと」がクリアにもなって、活力にもなります。

なので、明日からもまたぐるんぱらしく、永田らしくボチボチ歩んでいきます。

2017年11月29日水曜日

安心して布団に入り、希望を持って目を覚ます

今夜は急遽中学生のお宅にお邪魔する予定が入りまして、22時過ぎの帰宅になりました。

中学1年生の男の子なのですが、夏休み後半からくたびれ感が凄いのです。
恐らくいわゆる「中1ギャップ」によるものです。

中学生になると、生活リズム、環境、人間関係、学習…様々なものが小学校の時分とは変わってしまいます。
それも急激に。
そのギャップによる苦悩や葛藤を総称して「中1ギャップ」と呼ぶようです。

ですが、「中学生」という像が僕が中学生だったころと比較して劇的に変化をしているか?と言えばそうでもないようにも見えます。
学習内容にしても、部活動の話を聞いていても、さほど驚く話は出てきません。


そんな中で、劇的に変わっているものがあるとすれば、それは、「中学生」という像ではなく、むしろ「社会」の方が変わったのではないかと思うのです。

インターネットの普及がまずは大きいと思います。
これは、ありとあらゆるものの速度を上げたと言っても過言ではないと思います。

手紙もメールになり、電話も携帯できるようになり…いつでもどこでも短時間でコミュニケーションを図れるようになりました。
裏を返せば、「人は待つことから遠ざかった」と思うのです。

人気店など話題になる場所へは行列を作って「並び」ますが、「待つ」ということではないようです。
並んでいる間には携帯ゲーム機やスマホで時間もつぶせますし、その場にいない人とコンタクトも取れて、「待つ」ということをあまり体験していません。


この社会全体の傾向として「待つ」ことから遠ざかったことが、子どもたちから「間」とか「余裕」とか「ゆとり」を奪っているように思えてなりません。

「ゆとり世代」なんていう言葉も若者を揶揄して言われますけれど、そもそもそれも当時の大人が勝手に設定したもので、そのしわ寄せを若者に押し付けているものですから、可笑しなものです。

子どもにとっての「間」とか「余裕」とか「ゆとり」はそういうものではなくて、のびやかで健やかでしなやかであるべきです。


彼のことに話を戻しますと、その「間」「余裕」「ゆとり」の無い、ある種の流れに飲まれまいと必死になっているようにも見える瞬間があります。

彼の抱える大変さは、彼自身の傾向とか癖とか、経験不足とか…そういうものも要因にはあるでしょう。
それでも、それとはまた別のところで「流れに乗らなければ」という義務感と「乗れるかな」という不安と「そもそも僕どうしたら良いの?」という混乱とに晒されているきがしてなりません。

これは、支援者としてかかわる以上、見過ごすことはできません。
この圧力で彼は生活リズムも体調も崩しがちになる日が続いていて、自分というものに対して実感を持てなくなっています(僕には明らかにそう映っています)。

目に見えるところとしては「自学」の手伝いなのですが、今挙げた圧力に押しつぶされないようにするということが僕の目的でした。

また、そんな我が子の姿を見ると保護者も心配になります。
電話でお話ししていただけで、声に強張りを感じました。
きっと心配で心配でたまらないのでしょう。

潰されまいと、もがく我が子をなんとか守りたい。
でもどうしたら良いのか…

そんな中で僕へ投げられたSOS。

取り付く島もない、という濁流の中にいたのかもしれません。

“島”と言えるほど頑丈なものではないかもしれません。
中州程度なのか、もっと弱弱しい辛うじて流れずにいる樹木程度なのかは分かりませんが、彼と彼の家族にとっての拠り所になれたら、という思いです。

終えた後、少しほっとした親子の顔を見られて僕も一安心。

…とは言え、まだ対処療法的支援しかできていないのも事実。
継続的に彼のサポートをしていく必要があると思っています。


安心して布団に入って、希望を持って目を覚ます。
そういうのが一番。
それを目指したいところ。

2017年1月19日木曜日

気持ちを受け止める、という目に見えないものの届け方

溢れる感情をどう受け止めるのか。

正解もないです。

目にも見えません。

感じてもらうしかないものです。

支援者として、それをどう子どもに届けるか。

「本気で子どもたちと価値観をぶつけ合う」という方法を昨日は選択しました。

静かに問いを持って、子どもに考えさせるということも、僕自身の手札として無いこともなかったんです。

でも「算数のテストで、こんなに良い点数を取れた」と喜んで報告に来てくれて一緒に喜んでた子が、数分後に他の子の頑張りを「そんなもの」と言ってしまっていたのを聞いて、今日は伝えないと!と思いました。

彼の背景にもいろんな思いがあったことと思います。
その察しはつくけれど、その場で伝えないとクドイ大人の説教になると思いました。

永田「算数で満点取ることも大切かもしれないけど、もっと大切にしなきゃいかんものがあるやろ!」

子ども「さっきはスゴい!って誉めてくれたのになんで!?」
と泣き始めました。

うん、そのあなたの頑張りは僕も近くで見てきた大人の1人として、痛いほど分かる。
でも…

永田「それはそれ。自分がテストで良い点数取れたら、他の人の頑張りを『そんなもの』なんて否定して良いこととは繋がらんやろ!」

子ども「否定なんかしていないよ、認め方だって、人それぞれでしょう?」

そう、人それぞれだよ。
それを広げるために今日は引き下がれないよ!

永田「人それぞれだけど、自分の頑張り方に当てはまらない人を『そんなもの』なんて言い方するのは、僕は許さない。少し考えてみぃ!」

一度他の子の学習に僕は入り込み、味わってもらおうと思いました…が(笑)

子ども「なんで僕を見てくれないの!?そんなの自分でやらせれば良いじゃん!」

そこだ!
そこを分かってもらいたい。

永田「あなたが今頑張っていることを他の人から『そんなの自分でやらせれば良い』って言われたらどうね?そういうあなたがまずは自分でやれば良い!考えぃ!」

部屋を出てひとしきり泣いていたようです。

他の子の学習のサポートが終わってから、別室にいたその子に会いに行ったら、一瞬「あっ」って顔をしましたが、「僕は一緒に過ごす子たちに育てて欲しいと思ったものは絶対伝えるから。見てみないふりされたら寂しかろ?」と話しかけたら「はーい。…ねぇ、先生、先生これ見て!」とブロックを見せてくれました。

きっと何かを感じてくれているはず。

他者を認めること、自分を認めること、他者に認めてもらうこと。
どれが欠けても、残りのものを本当に出来るようにはなりません。

そして、この子が、例えば算数で目に見える点数として結果を得続けるためにも、そこを育む必要が絶対に出てきます。
キャパというか、寛容さというか…世界が広がって落ち着いて物事に向き合えてこそ、なんです。
テストで良い点数を取るのは反復練習によるものかもしれないけれど、認めたり認められたりの喜びをしっかり知っていかないと、そのうちに勉強する意味すら見失います。

そういう事を子どもたちには伝えていきたい。
学習は育みのツールです。
大人になる、とかそういうことでなく、自分という「個」を育むツールなんです。
そして「らしく」というのは、我を押し通すとか、突き進むことではなく、選択肢に気付き、一旦考えて、選択を出来る自力をつけるということだと思います。

他のやり方だとどんな風になったのか…巻き戻せないから面白いんだけど、ついつい考えてしまいます。

2016年12月31日土曜日

急に寝付きの悪くなった生後10ヶ月我が子へ伝えてみたこと

お昼寝の時間はちょっと少なめで、日中にブリブリ活動する息子の晴哉。

その代わり、夜の寝かせ付けで苦労したことはありません。
1度寝てしまうと数時間(日によっては明け方まで)起きません。

でした。

それが、この数日、寝付きは悪いし、夜中にも何度も起きる、という感じでした。

心当たりが無いこともないんです。

実は、段々と寝相が激しくなってきまして、ベッドから落ちてしまいました。
(落ちないように土手を作っていましたし、万が一それを越えて落ちてしまっても怪我しないように布団を下には敷いていました)
寝かせ付けした後に家事をしていたら、落っこちてしまったのが数日前。

そこで、寝室のベッドの下に家族みんなで布団を敷き寝ることにしました。

寝る場所が変わったからでしょうか?
途端に寝付きが悪くなり、夜中にも泣いて起きることが続きました。

で、考えてみました。
彼が何故泣くのか?と。
で、僕の至った考えが以下の通り。

泣き方から不安そうな感じを受け取ったので、「なんで寝る場所が変わったのか説明してあげないといけないかも」と思いました。

10ヶ月の赤ちゃんに説明?と思うかもしれませんね。
でも大切なことだと僕は思いますし、この考え方に妻も賛成してくれました。
だって、生後10ヶ月だって「人」ですからね。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、一生懸命生きている彼にも、敬意を持つ必要性を感じています。

話をする役は僕が引き受けました。
大体に於いて、僕が寝かしつけの役目を担っていることもあるので。

で、今夜寝かし付けの場面。

寝室で寝かせたら、また鳴き始めました。
晴哉「うわーーん、うわーーん!」
永田「晴、お話があるから泣きながらで良いから聞いてね」
晴哉「うわーーん!」
永田「晴、寝る場所が変わって驚いたよね?」
晴哉「うわーーん!うわーーん!」
永田「寝る場所が変わったのはね、あなたを守るためだからね」
(この瞬間から急に泣き声が小さくなりました)
永田「何日か前にね、あなた、ベッドから落ちちゃったでしょ?あなたが毎日毎日少しずつ大きくなって、出来ることも増えてきて、身体も上手に使えるようになってきて」
(すすり泣き)
永田「お父ちゃんもお母ちゃんも、あなたの成長をとっても喜んでいるんだけど、少しあなたの成長に追い付いてなかったみたい。それで、『大丈夫』と思っていたら、あなたがベッドから落ちるような状況にしてしまったの。」
(完全に泣き止んでいました)
永田「それで、お父ちゃんとお母ちゃん、反省してね、考えたの。『もうあんなビックリするようなことさせたくないよね、ケガさせたくないよね』って。それで、ベッドの下でみんなで寝ることにしたんだよ。あなたが安心して眠れるように。お父ちゃんとお母ちゃんも安心して眠れるように。そうしたら、昼にもみんなでニコニコ出来るからね。だから、安心して寝てね。寝る場所が変わってもちゃんと側にいるからね。いいかい?大丈夫だからね」
(指をしゃぶって寝入りました)

本当に解釈のレベルだけど、僕は話したことが伝わったと信じたいです。

よく「この子、よく分かってる」と、赤ちゃんに向けて話をしている大人いますよね?
うちもそうです。
よく夫婦で「本当によく分かってるね」なんて言い合っています。

仕事でも、重度の知的障がいを持っている子相手でも、「よく分かってる」的な話をすることってあります。

なのに、説明をするときになると「言っても分からない」ということを考え出すんですよね、何故か。

「分かってる」んじゃなかったの?と思うわけです。

そりゃ、言葉の一語一語が分かるかどうかは知らないけれど、伝わるものはあるはずです。

それをその時々で「分かってる」「説明してもらうと分からない」と使い分けるのは、周囲の都合で、怠慢だと思うわけです。

僕はこれからも晴哉に対しては、何かあれば説明をしてあげたいし、そうやってやり取りを今のうちから重ねてあげたいと思っています。

今、夜中の2時。
少なくとも昨日よりはよく寝ています。
「親バカ」かもしれませんが、伝わって、幾分か安心してくれたんじゃないかな?と思います。

「親バカ」で良いです。
「バカ親」にはなりたくないから。



2016年12月29日木曜日

口癖を取っ払えたら

この一年間、小学生のI君とプールと作文で付き合いを重ねてきました。

「ぁあ!もう!」

これが彼の口癖、でした。

課題に直面する、僕から促される、上手くいかない…。
とにかく、なんてこと無い出来事でもスムーズでなくなると決まって「ぁあ!もう!」と口にしていました。

(あ、来るな♪)
永田・I君『ぁあ!もう!』

と合わせる事が出来てしまうくらいでしたからかなりのものです(笑)

そんな彼の口癖の裏にあるのは、「上手くやりたい」という向上心。
不器用さがもたらす「またか…。」という失敗体験の繰り返しからくる苛立ちです。

僕は前者を後押ししたいと当然思うわけです。

なのに、この口癖を耳から何度も自分の声で聞いてしまうので、行動まで投げやりになってきてしまうんです。

この口癖を取っ払えたらいいなぁ!

と思ったんですが、「『ぁあ!もう!』禁止」と伝えても言葉を排除するだけで、前述のような内面まで響かせるのはなかなか難しいと考えました。

そこでひたすら茶化すようにして、「ぁあ!もう!」と彼の口癖が出た後に真似をしてみせました。

それから、自分の声でネガティブな言葉を繰り返し聞いたことで行動が投げやりになっていた、という見立てがあったので、反対にポジティブな言葉を口にさせてやろうと思い「出来た」ということを繰り返し確認してきました。

永田「できた?」
I君(うなずく)
永田「出来ましたか?」
I君「出来た」

という具合に。

そうして、付き合うこと数ヶ月。
(数ヶ月、効果らしいものが全く現れませんでした)

ある時、僕がいつものように彼を真似て「ぁあ!もう!」と言った後に「僕って、いつもそんな?」と尋ねてきました!
きたーー!って感じでした。

永田「そうだね、真似してるつもりなんだけど、どんな風に見えた?」
I君「へんなぃ」

と、自分の姿(かなり僕の意図が介入した姿ですが)を省みることが出来ました。

もちろん、「癖」になっているのでなかなか抜けませんが、さらに3ヶ月経って12月に入りました。

今月もいつものように1時間×3回、彼と過ごしましたが、その時間の中で「ぁあ!もう!」は1度も出てきませんでした!

もちろん、僕との関わりがプールか作文という固定されたもので、慣れてきたということと、どちらも上手になってきたということはあるかもしれませんが、どちらも、段階的にハードルも上げてきたつもりです。
そんな中で口癖が出なかったのは、大したものだと思いませんか?

多分これから、彼の行動も変わってくるはず。

僕はめちゃくちゃ嬉しかったし、楽しみなんです。

支援としての仕事は年内は終了。
僕も身体を少し休めながら、今度はそれぞれの子の支援について振り返ったり整理したりして、年明けに備えていきます!

もちろん、ブログも書いていきます!

2016年12月24日土曜日

メリークリスマス!ってだけでワクワクするじゃん!大切な人と楽しく過ごしたいじゃん!

メリークリスマス!

僕はクリスマスという行事がかなり好きです。
「クリスマス」ってだけでワクワクします。

クリスマスもぐるんぱのあしあとは、ぐるんぱのあしあとらしく更新していきます♪

今言った「ワクワクする」というのは「楽しみ(楽しい)」という「感情」だと思います。

じゃあ、「クリスマスを大切な人と楽しく過ごしたい」ということは?
便宜上、「想い」とさせてください。

いろんな方と仕事で話をしていると「感情」については話題に上り、あれこれと議論をしますが、「想い」みたいなことになると話の流れの中に紛れてしまうことが多い気がします。

話している人は、「想い」も含めて「感情」について話しているつもりなのかもしれないけれど、僕には物足りなさが残ります。

クリスマスパーティーのような企画を用意して、子どもたちは「楽しんでいる」ということは様子から分かります。

普段は1人でいることを好む子が、パーティーの時にはみんなと同じテーブルを囲んで、大皿から食べ物を取る姿を見て、周囲は驚きつつも「楽しんでいるんだね」くらいで済ませてしまおうとすることが多い気がしています。

そりゃ、「楽しんでいる」でしょう。
でも、それだけじゃなくて「みんなと楽しみたい」という想いがある、と僕は捉えたいし、「クリスマスはみんなで過ごした方が楽しい」ということを知っていて、その「想い」が表出したんだ、というところを見て、「想い」や「願い」を満たしてあげるということも出来たり、考えられたりしたら良いのに、と思います。

「感情」と「想い」

書いていても、僕自身もごちゃごちゃしてきていますが(笑)

人の内面に階層があるとするなら、それぞれ別の階層にあるものだと思うので、それぞれに考えたいものなんですよね、僕にとっては。

この後は、ややこしいことを考えず、家族でクリスマスを祝います♪
息子はまだ分からなくても「初クリスマス」ですし、僕も我が子のために、初めてサンタクロースのお手伝いです。

「楽しい」という感情も「大切な人と過ごしたい」という想いも、育んでいって欲しいと、親として願っています。

2016年12月16日金曜日

子どもたちだってやっぱり自分のありのままが好き

今、関わりのある女の子Eちゃんの様子を見ていて、前職場時代に関わりを持っていたT君を思い出すことがとても多いです。
T君は重度の自閉症。
当時小学校の5年生。
言葉としては2語文くらいかな。

そんな彼との思い出を記録としてとどめるために。
あの日の出来事は僕の中で凄い嬉しかったから。



写真を撮る場面で、T君は、ピースが出来ませんでした。
手の形が作れない、というのではなく、ピースを作って「わーい!!」っていう雰囲気の中で写真に写ることが出来なかった、という意味で。

カメラを向けると、その場で止まって、足は「気を付け」をして、手は自分の方を向けてチョキを作るんです。
つまり相手に手の甲を見せた形でピースを作っていました。

多分「T君、ピース!ほらほら、こうだよ」って具合に正面に立って教えられたものだから、「手の平側を自分の方に向ける」という風に視覚的に覚えてしまったんですね。
そして「動かないでね~」が「気を付け」を作ったと思います。


そんな彼を含めて、子どもたち数人と日帰りで一日ハイキングに出かけたことがありました。

写真を撮ろうとすると、何をしていても中断して「お決まりのポーズ」で移ろうとするんです。
記念写真のような写真が続いていました。

そこで隠し撮りを敢行。

写真に写ること自体は好きなようで、隠し撮りをしようとしても目敏くカメラを見つけて
「お決まりのポーズ」(笑)
そして、カメラを覗きに来て、写りをチェック♪(お行儀よく映ってますから)

でも、僕が撮りたかったのはそういう写真じゃなくて、自然体の彼。

思考錯誤しながら、何とか隠し撮りに成功。

永田「T君、来て」
T君にカメラを見せて、自然な彼の姿を見せてあげました。

予期せぬ一枚を見せられて、一瞬「あれ?」っていう顔をしていたことをよく覚えています。
食い入るように見ていました。

次にまた「T君」と声をかけて写真をパシャリ。
当然「お決まりのポーズ」で写って、チェックに来ます。
でも、サラッと見て終わりだったんです。

おや?と思うわけです。

今度はもう一度隠し撮り。
永田「T君、ほら撮れたよ」
また食い入るように見ています。

永田「ほらT君、あなただよ。良い表情しているね。素敵」

T君がほんのり笑顔を作りました。
永田「こういう写り方もあるんだよ」

T君はそのまま友達のもとへ戻っていきました。

その後、何回かこういうやり取りを繰り返していくうちに、呼びかけて撮っても「お決まりのポーズ」以外のポーズで写真に写りだしました。
最初はぎこちなくピースの位置をずらすくらいでしたが。
「気を付け」だった足が少しラフな姿勢になったり、視線もイマイチ定まっていなかったものがレンズに向けられるようになったりもしました。

気が付いた時にはピースをカメラの方へしっかりと向けて写れていたんです。


数年前の話でした。



Eちゃんとは、個人的にプールで関わりもありますが、放課後等デイサービスでもお付き合いの機会がありまして、外出に同行することもあるわけです。


そんなEちゃん、写真を撮ろうとカメラを向けると「きちんと止まって」ポーズを取ってくれます。

ただ、当時のT君のように、「毎回同じお決まりのポーズ」です。
そして、撮った写真にもそれほど興味を示す様子が見られません。(少なくとも嬉しそうに見るという感じではないです)

でも、彼女の様子を見ていると、すごく柔らかな表情でものごとを観察しているし、穏やかな笑顔もたくさん持っています。
もちろん子どもらしい、いたずらっぽく笑う表情も持っています。

呼びかけずに写真を撮るとそういう表情も捕まえることが出来ます。
そういう写真を見せたときの方が嬉しそうに見てくれている気もしています。


どんな場面でも写真を撮ることを伝えるとやっぱり「お決まりのポーズ」になってしまうんです。

僕はそのうちに彼女に「その時、その瞬間の思い出」としての写真の写り方が出来るようになってほしいと願っています。

無理に表情を作るんじゃなくて。
義務的に映るんじゃなくて「その時の自分らしい」ポーズなり表情をカメラに向けられるようになってほしいと思っています。

あまりにしつこくカメラを向けられて「もういいよ…」っていう表情が写真に写り込んだっていいと思います(笑)


写真のことを話に挙げましたが、「自分のことが好き」と思ってほしいんですよね。
ナルシスト云々なんて小さな話でなく。
因みに、僕は…自分が大好きです(笑)




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2016年7月19日火曜日

僕らしい、ぐるんぱらしい関わりを探していきたい

僕は今、学習サポート(もちろん学習の中には作文や一般科目の指導も含めますが、学習に向かう子どもたちの気持ちのサポートの意味が強いかな)とプール指導(日常生活に出来るだけ直結する要素をプール指導の中には盛り込んでいます)という2本柱を表に出しながら、ぐるんぱの活動をしています。

その他にも日常生活の様子などを聞かせていただきながら、必要と思えばいろんな提案をさせてもらっています。



そんな中で、絵本を使うことがあります。

僕自身が読み聞かせを行うこともあれば、子ども本人に読んでもらったり、保護者に読んでもらったり、あるいは親子で一緒に読んでもらったり。


つい先日も、ある親子に読むタイミングをお伝えした上で、絵本をお貸ししました。

特定の場面になると、親から離れられないというのです。
そのことについて保護者の方がお話を聞かせてくださいました。

お話を聞いているうちに、ある絵本が頭をよぎったので、「お母さんから読んであげてください。僕からの意図なんかは話しなくていいので、ただそのタイミングが来た時に一緒に読んでみるだけでいいですから」と言い添えてお渡ししました。

数日後、読む機会があったか尋ねたら、割とすぐにその機会が来たとのことで読み聞かせをしたとのことでした。

で、その後の様子を聞いたら「それから急に、今まで付いていっていたのですけど、一緒に行かなくて良くなった」とのことでした。

それを嬉しそうに話す保護者の顔がたまりません♪
キラキラしているんです。

もちろん、これからいろんな葛藤が親子の間に出てきて、またこれまでのような様子が顔を覗かせることはあるかもしれません。
それでも、お互いに今まで不自由さを感じていたところを乗り越える体験を出来たことは良かったと思います。

こうやって自分の思い描いた方法がハマって、親子のつながりが深まる機会に立ち会えることは、この仕事の最大の魅力だと思っています。



「学習支援とプール」この2つを掲げているからと言って、それにとらわれず、これからもいろんな、それこそ「僕らしい」かかわりを見出しながら、出会う家族と向き合っていきたいと、改めて思いました。


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ぐるんぱホームページ
住所
811-3425
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※支援中など出られないこともございます。折り返しお電話いたします。よろしければ留守番電話にメッセージを残してください。

ファックス
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メール
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SNSで僕のことを知ってもらうことも出来ます。
フェイスブック:junya.nagata.543
ツイッター:@nagatajunya

お気軽にお問い合わせください。

2016年7月10日日曜日

表出する状態にとらわれず、感情を育むことを目指したい

「悔しい」という感情を味わうには人とつながることが必須です。
独りぼっちにでいても決して味わえない感情です。

また、「悔しい」は向上心の裏返しですよね?
向上心が無ければ湧いてこない感情です。

他者と比べることもあれば、自分の思っていた結果が出ないこともあります。
「そのままでいいや」となれば「悔しさ」も湧いてくることはありません。


悔しい時には、泣いたり、落ち込んだり、怒ったり…

そういう形で表出することが多いので、ついつい周りは慌てて表出を抑えさせようとしてしまいます。

でも、「悔しさ」も感情の一つであるとするなら体験する場、味わう機会を大切にしてほしい、と思います。

もちろん、その表出の仕方が突発的で、当人や周囲が驚いたり(驚くくらいならいいけれど)、危険が及ぶようなときには対処が必要ですが。


けれど表出したものにばかり気を取られて、端から感情を抑制させようとするのは情緒の育みの機会を失くしてしまうのはもったいないと思います。


ついつい大変さから前向きと言うか、穏やかな表出が見込まれる感情ばかり許容してしまいますが、僕は関わる子にはいろんな気持ちを体験してほしいと願っています。


例えば、家族だけでそれをしていこうと思うと大変な時もあります。
その分担と言うか、抱え込ませないために僕は子どもと家族のサポートをしていきたいと思います。

それが配慮だと思っています。

大変な感情に出会う機会を「ただただ無暗に避けさせる」のは、配慮とは認めがたいと思っています。
腫れ物に触るような、危険物取扱注意のような、そんな関わりはしたくないと思っています。

どうやったら、本人や周囲が無理なく感情を味わえるか。

そんなことを考えています。


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