溢れる感情をどう受け止めるのか。
正解もないです。
目にも見えません。
感じてもらうしかないものです。
支援者として、それをどう子どもに届けるか。
「本気で子どもたちと価値観をぶつけ合う」という方法を昨日は選択しました。
静かに問いを持って、子どもに考えさせるということも、僕自身の手札として無いこともなかったんです。
でも「算数のテストで、こんなに良い点数を取れた」と喜んで報告に来てくれて一緒に喜んでた子が、数分後に他の子の頑張りを「そんなもの」と言ってしまっていたのを聞いて、今日は伝えないと!と思いました。
彼の背景にもいろんな思いがあったことと思います。
その察しはつくけれど、その場で伝えないとクドイ大人の説教になると思いました。
永田「算数で満点取ることも大切かもしれないけど、もっと大切にしなきゃいかんものがあるやろ!」
子ども「さっきはスゴい!って誉めてくれたのになんで!?」
と泣き始めました。
うん、そのあなたの頑張りは僕も近くで見てきた大人の1人として、痛いほど分かる。
でも…
永田「それはそれ。自分がテストで良い点数取れたら、他の人の頑張りを『そんなもの』なんて否定して良いこととは繋がらんやろ!」
子ども「否定なんかしていないよ、認め方だって、人それぞれでしょう?」
そう、人それぞれだよ。
それを広げるために今日は引き下がれないよ!
永田「人それぞれだけど、自分の頑張り方に当てはまらない人を『そんなもの』なんて言い方するのは、僕は許さない。少し考えてみぃ!」
一度他の子の学習に僕は入り込み、味わってもらおうと思いました…が(笑)
子ども「なんで僕を見てくれないの!?そんなの自分でやらせれば良いじゃん!」
そこだ!
そこを分かってもらいたい。
永田「あなたが今頑張っていることを他の人から『そんなの自分でやらせれば良い』って言われたらどうね?そういうあなたがまずは自分でやれば良い!考えぃ!」
部屋を出てひとしきり泣いていたようです。
他の子の学習のサポートが終わってから、別室にいたその子に会いに行ったら、一瞬「あっ」って顔をしましたが、「僕は一緒に過ごす子たちに育てて欲しいと思ったものは絶対伝えるから。見てみないふりされたら寂しかろ?」と話しかけたら「はーい。…ねぇ、先生、先生これ見て!」とブロックを見せてくれました。
きっと何かを感じてくれているはず。
他者を認めること、自分を認めること、他者に認めてもらうこと。
どれが欠けても、残りのものを本当に出来るようにはなりません。
そして、この子が、例えば算数で目に見える点数として結果を得続けるためにも、そこを育む必要が絶対に出てきます。
キャパというか、寛容さというか…世界が広がって落ち着いて物事に向き合えてこそ、なんです。
テストで良い点数を取るのは反復練習によるものかもしれないけれど、認めたり認められたりの喜びをしっかり知っていかないと、そのうちに勉強する意味すら見失います。
そういう事を子どもたちには伝えていきたい。
学習は育みのツールです。
大人になる、とかそういうことでなく、自分という「個」を育むツールなんです。
そして「らしく」というのは、我を押し通すとか、突き進むことではなく、選択肢に気付き、一旦考えて、選択を出来る自力をつけるということだと思います。
他のやり方だとどんな風になったのか…巻き戻せないから面白いんだけど、ついつい考えてしまいます。
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