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2018年6月13日水曜日

学習支援の手立てを考えるためにこんなことを考えています

記録や考察という感じでブログにも残してみようと思います。

一日の支援を終えて、帰宅してから振り返りをする永田の脳内を文章にするとこんな感じ…というところで。

これはこれまでのブログ記事とは少し質が違い、自分の訓練という要素も含んでいるので、まだまだ荒いとは思いますが…読んでくださった先輩方…揉んでください(笑)

と言いつつ、小心者のビビり屋さんなので、手立ての案を出すまではここではまだ書く勇気が湧いていません(笑)

さて。
ある小学校高学年男児の学習について。

計算ドリルの問題を解いていく中で計算ミスが多発している。
計算方法が分からないわけではなく、いわゆるケアレスミスのような間違い方をしている。
どんなミスの仕方が多いのか洗い出してみると以下のものが挙げられる。

・そもそもの問題の写し間違い。
・桁のズレ。
・文字の乱雑さ故、本人でも解読できない文字が式中に現れること。

目につくのは以上の3点。

よって計算ミスが多いのは視写が苦手であるということが要因となっているように思える。

彼の文字を見ると非常に強い筆圧で、かつノートのマスからはみ出ていることがほとんど(消しゴムを使う時でもキレイに消しきれないくらいに濃い文字、しかも大きい)で、声掛けによって幾分か一時的には解消するが、数分後には再び元の状態に戻っている。

視写についていくつかの視点で考えてみる。

彼の筆記の際の姿勢を見てみると、前傾姿勢で机に体重を乗せるように座り、その体重が筆圧にまで影響を与えているように見える。
→一般的?には、前傾に体重をかけたところで、手首周辺まででその力は逃げて、手首や手指を使いながらスペースにあった適切?な筆記が出来るはずだが、体重が筆圧にまで影響しているとなると、手首や手指の使い方が不器用なのかもしれない。
→手首や手指の細かな動きの不器用さが字の乱雑さを生じさせているように思う。

また、「なぜ前傾姿勢になるのか?」を考えると、一つは姿勢保持のための筋力が不足していることが考えられる。
→座布団を用意し、その上に座らせると却って「休憩」が多くなる傾向がある。

次に、腕へかかる負担、感覚的な刺激を求めている可能性もある。
→本人曰く「しやすいから」という言葉もある。
→「しやすい」という言葉がある以上、この姿勢を安易に取り払うことは避けたくて、代替案を考えていっているところ。

この前傾姿勢を取ると両肩が上がり首の可動域が狭くなる様子。
その為、計算ドリルとノートとの視線の行き来にも不自由さが生じているように見える。
→目だけを動かして作業をするということが困難?
→だとするといわゆるビジョントレーニングのようなものが必要か?
→姿勢改善で解消されるのか、観察を継続。

別の場面でノートよりも大きな文字を書かせた際に気になったのが、運筆時の目の使い方。
自分が通ってきた道筋とこれから通るであろう道筋を覗き込むようにして、確認を繰り返していた。
→目に見えないものをイメージとして残しておけない?ので覗き込むのか…
→ノートに書いた文字にバラつきがあるのは、ノートの字だと小さくて確認しにくいから?



まずは、数か月の彼とのやり取りを振り返って、現状こういうところに居ます、というところまで。
協応動作とか感覚統合とかの話ですね。
これに加えて、やっぱり「心」みたいなものも見ていきたいので、頭の中がごちゃごちゃとしてしまうんですよね。

2018年4月26日木曜日

忘れ物をしたくない、という願いに寄り添って道具作り


 1枚目が表。
2枚目が裏。
3枚目は実際に設置したもの。

学習サポートで関わっている男の子。

彼は忘れ物が多いということに困り感を抱えています。
お母さんとのお話の中で、これまでの忘れ物に関するエピソードをいろいろと聞かせていただきました。

もちろん、それに対してメモを用意するなどの対策は講じてきたとのこと。
しかし、そのメモを見ること自体を忘れてしまい、メモがメモとして機能してこなかったということでした。

ここ最近では、新年度で配布物、提出物が多いのですが、それらをお母さんに渡すことも忘れてしまい、提出物もそのまま持ち帰ってきてしまうということを繰り返していたようです。

連絡帳にお便りを書いても提出し忘れることがあり、保護者と先生との意思疎通にも支障が少し出ていたとのことです。

連絡帳の記入する事も忘れて帰ってきてしまい、宿題が分からない、提出期限が分からない、その他の連絡事項が分からないということも頻発していたようです。
結局お母さんが学校に電話して…ということになってしまっていたらしいのですが、今後のことを考えても、こういうところを解消していきたいというのが、本人とお母さんの希望でした。


そこでなんとか手立てがないものか?と思い、先日の学習サポートの時間の中で、子ども本人と話をして、これまでにしてきた取り組みについて聞き、朝学校についてからの様子を聞き…朝はどうやらお友達と遊びたいという気持ちが先走って、カバンの中身を机に移す時には既に、目線が他へ向いてしまう、中身を確認せずにまとめて机に入れてしまうということが見えてきました。
帰りには、みんなが連絡帳を書いている時間にもついついお喋りをしていたり(本人曰く、他の子はおしゃべりしながら書いているようだけど、自分は書けないでいるそうです)、先生の話を聞きながら書くという事にも難しさを抱えていたりするようでした。

そこで、「カバンから目を離すと朝も帰りも支度が出来ない」という一手間を挟んでもらうことにしました。
これで、嫌でも目に入るかな?と。

これまでメモをカバンに貼ったり、連絡帳に貼ったりしてきたものが機能してこなかったようなので、もう少し存在感のある仕掛けである必要性を感じました。
そこで、この形。

表面の右半分に朝に確認すること。
左半分に帰りの支度時に確認すること。
裏面は、翌日の準備をするときに確認すること。
という形で、用意してみました。

(チェックばかり、というのが少々気になるけれど、習慣が身に着くまで…本人も気にしているし)と言い聞かせて作りました。


マグネットシートに油性ペンで必要事項を書き、その日ごとに忘れたくないものは、ホワイトボードマーカーで記入するという形式を採ります。
固定するものも、ネックストラップを採用。
原則ランドセルですが、遠足のように普段と違うバッグを使う時にある程度使いまわしが出来ることを考えて。

製作開始当初は、紙に書いたものをラミネート加工して、釣り糸のような目立たないもので固定ということを考えましたが、作ってみたら軽くて、カバンの開け閉めの勢いに釣られて、確認せずともカバンの中身が丸見えになって蓋の機能を果たしませんでした。
そこで重みのあるマグネットシートに。

あとは使い勝手を見ながら修正の必要性があったら多少手を加えるということも考えてますが、それは追々。

とりあえず、本人も使用することに抵抗を示さずに、「これならいけるかも」という前向きな気持ちでカバンに着けてくれたようで良かったです。

目立てば良いというものでも無くて、本人が嫌がらないものであることはとても大切です。

提出物等は恐らく、習慣づけば道具なしでも出来るようになってくるであろう子です。
習慣づくまでのサポートアイテムです。
ある程度の時間を置いて、様子を見たら次は、アイテムを外すための段取りを考えていきます。
そこまでしていかなくてはこれも意味がないのです。

道具が出来た、で終わりではなくて、ここから。

2018年4月4日水曜日

ハサミでチョキチョキ、君は何を見ているのかな?

つい今しがたまで「放課後等デイサービスえるそるむなかた」と「放課後等デイサービスいーりすむなかた」にて学習サポートにお邪魔していました。

と言いつつ、今日もとっても心地よい陽気で、子どもたちもほとんど外遊びに出掛けていました。

残って、室内で過ごしている子どもと遊んで(子どもの超ローカルルール有りのはさみ将棋を習っていました)、春休みの宿題の仕上げ的に見直しを一緒にして、と言う具合で、割とゆるりと過ごしていました。



新年度、新学期のスタートを控えてソワソワしている子。
は?新学期?だから何?今は春休みだし!と存分に満喫している子。

子どもたちの様子も様々です。
そんな中から、この春小学校に上がるS君の様子について。


おもむろにハサミを手に取り、僕が脇に置いていた自由帳のページを切り始めました。
学習サポートで使用するものなのですが、テーブルに置いていたら切り始めちゃいました^^;
でも、思うようにいかない様子。
すると、チョンチョンと合図をしてきて、ページを切り離すことをジェスチャーで要求してきました。
(言葉はあまり多くない子です)

「いいよ、ちょっと待ってね」と応え、ページを数枚切り離して渡しました。

すると、とても器用にチョキチョキチョキチョキ…

何を作るのかな?としばらく眺めていたら、確かに「何か」を作ろうとしているようです。
目的を持ってハサミを動かしているように見えます。

こちらからは「何か」が、なかなか分からないのですが、彼の作ったモノが次々にテーブルに並んでいきます。

楽し気に、一心に。


ただ、多分、本人も「何か」が「思い通り」の場所へ行きつかなかったようで、2,3分ものすごい集中して切っていましたが、急につまらなさそうな目をしたと思ったら、ハサミと紙をその場に置いて、他の遊びへと向かってしまいました。

しばらくはこれで良いのかな、と。


徐々に徐々に。
彼のことを知っていって、彼の作るモノ、彼の見ているモノをとらえられるようになっていくのがしばらくの間の僕の役割かも、と思うところです。

彼の作りたいモノ、あるいはしたいことがもう少し見えたら、「観察」というところから、もう少し「目的地までの同伴」というくらいのエッセンスを加えてもいいのかな。


「もし」なんていうのもナンセンスですが、「もし今日同伴が出来ていたら、彼はまだ続けたのかな?もっと何かを作っていったのかな?」と考えながら場を後にしてきました。


春。
新しい出会いが楽しみな時期ですね。

やることもてんこ盛りの時期ですが、ボチボチしていきます。

2018年3月23日金曜日

人とのつながり感で物足りなさを埋める

しなくてはいけない課題があるとか、人が周りにいるとか、そういうことでは埋まらない「物足りなさ」というもの。

まぁ、いろんなことが考えられると思いますが、そういう時って「人とのつながり感」、その不足がそういう思いに駆ることもあると思うのです。

そういう時には、なかなかやる気スイッチも入らないし、集中できないから「らしくないミス」も繰り返してしまうものです。

こういう話って、フワフワとしている感じがして、分かりにくいかもしれません。

でも、人と人とのコミュニケーションの上では確かに存在していると思っています。

「つながり感」

○○療法、○○法、○○学…いろんな理論、実践、手立てがありますが、それらはあくまでツールだと思うのです。
コミュニケーションをとるための。

「つながり感」を得ていくためのツールの一つでしかないのです。

ツールを勉強していて、実践に移しているとしても、肝心の「つながり感」ということを脇に置いていては、目の前の相手と心を通わせていくこと、交流を深めていくことは難しいと思います。


「つながり感」をどんなところで感じて、どんなところで感じられないか…

これを考えていくことはとても大切だと思います。


極端な話かもしれませんが…
「テレビを見せる」ということを考えてみると良いと思います。

子どもにテレビを見せていても「見せっぱなし」にしていては、子どもの心は満たされないことがあるのです。

そこに(例え家事などをしながらでも)「子どもと一緒に」という要素が加わると途端に子どもにとって意味が変わります。
子どもがテレビを見ながら、何に感動し、何に心躍らせているかを“ほんのちょっぴり”でも良いから気にかけてあげると、子どもにとっては全く違ったものになります。

何をするにしても相手を、温もりを、存在を感じることが必要なのです。

僕は少なくともそういう事を忘れたくないと思います。
我が子とのかかわりも、仕事を通して出会う子どもたちとも。

2018年2月20日火曜日

アンバランスを正当化しないように

例えば更衣の場面。
“更衣が一人で出来ない”と一言で言ってもいろんな理由があるわけです。
目の使い方が分からなくて着替えられないのか、手の使い方が分からなくて着替えられないのか、で当然働きかけも違います。
あるいは両方ということだってありますから、どちらから取り組むのが良いのか、両方法を並行していくことが良いのか…

もしかしたらそういう機能的なことでないことが、躓きを生んでいることだってあるのかもしれません。

そういうことをトータルで見ていくことが、実際の支援には必要なんです。


バランスよくサポートをしないと、“出来るようになった『けど』”ということになってしまうと思います。


「どこかが治まるとどこかが飛び出てくる」みたいな話が出てくるケースに出会ってきましたけど、それって結局支援の在り方がアンバランスだったということでは?と思うのです。

なんかまるで「その子が持っている特性」かのように話をして、支援の正当化を図ろうとしてはいけないと思うのです。

支援の内容、タイミング、スピード、その他の環境…バランスを取りながら支援をして、上手くいかなかったことを、子どものせいにしなくていいような支援を考えていきたいものです。


今夜はつぶやき。

2017年11月29日水曜日

安心して布団に入り、希望を持って目を覚ます

今夜は急遽中学生のお宅にお邪魔する予定が入りまして、22時過ぎの帰宅になりました。

中学1年生の男の子なのですが、夏休み後半からくたびれ感が凄いのです。
恐らくいわゆる「中1ギャップ」によるものです。

中学生になると、生活リズム、環境、人間関係、学習…様々なものが小学校の時分とは変わってしまいます。
それも急激に。
そのギャップによる苦悩や葛藤を総称して「中1ギャップ」と呼ぶようです。

ですが、「中学生」という像が僕が中学生だったころと比較して劇的に変化をしているか?と言えばそうでもないようにも見えます。
学習内容にしても、部活動の話を聞いていても、さほど驚く話は出てきません。


そんな中で、劇的に変わっているものがあるとすれば、それは、「中学生」という像ではなく、むしろ「社会」の方が変わったのではないかと思うのです。

インターネットの普及がまずは大きいと思います。
これは、ありとあらゆるものの速度を上げたと言っても過言ではないと思います。

手紙もメールになり、電話も携帯できるようになり…いつでもどこでも短時間でコミュニケーションを図れるようになりました。
裏を返せば、「人は待つことから遠ざかった」と思うのです。

人気店など話題になる場所へは行列を作って「並び」ますが、「待つ」ということではないようです。
並んでいる間には携帯ゲーム機やスマホで時間もつぶせますし、その場にいない人とコンタクトも取れて、「待つ」ということをあまり体験していません。


この社会全体の傾向として「待つ」ことから遠ざかったことが、子どもたちから「間」とか「余裕」とか「ゆとり」を奪っているように思えてなりません。

「ゆとり世代」なんていう言葉も若者を揶揄して言われますけれど、そもそもそれも当時の大人が勝手に設定したもので、そのしわ寄せを若者に押し付けているものですから、可笑しなものです。

子どもにとっての「間」とか「余裕」とか「ゆとり」はそういうものではなくて、のびやかで健やかでしなやかであるべきです。


彼のことに話を戻しますと、その「間」「余裕」「ゆとり」の無い、ある種の流れに飲まれまいと必死になっているようにも見える瞬間があります。

彼の抱える大変さは、彼自身の傾向とか癖とか、経験不足とか…そういうものも要因にはあるでしょう。
それでも、それとはまた別のところで「流れに乗らなければ」という義務感と「乗れるかな」という不安と「そもそも僕どうしたら良いの?」という混乱とに晒されているきがしてなりません。

これは、支援者としてかかわる以上、見過ごすことはできません。
この圧力で彼は生活リズムも体調も崩しがちになる日が続いていて、自分というものに対して実感を持てなくなっています(僕には明らかにそう映っています)。

目に見えるところとしては「自学」の手伝いなのですが、今挙げた圧力に押しつぶされないようにするということが僕の目的でした。

また、そんな我が子の姿を見ると保護者も心配になります。
電話でお話ししていただけで、声に強張りを感じました。
きっと心配で心配でたまらないのでしょう。

潰されまいと、もがく我が子をなんとか守りたい。
でもどうしたら良いのか…

そんな中で僕へ投げられたSOS。

取り付く島もない、という濁流の中にいたのかもしれません。

“島”と言えるほど頑丈なものではないかもしれません。
中州程度なのか、もっと弱弱しい辛うじて流れずにいる樹木程度なのかは分かりませんが、彼と彼の家族にとっての拠り所になれたら、という思いです。

終えた後、少しほっとした親子の顔を見られて僕も一安心。

…とは言え、まだ対処療法的支援しかできていないのも事実。
継続的に彼のサポートをしていく必要があると思っています。


安心して布団に入って、希望を持って目を覚ます。
そういうのが一番。
それを目指したいところ。

2017年5月1日月曜日

恋愛とか性とか

今日は僕が子どもたちと関わる上で感じてきた恋愛や性のことについて書いてみます。

プール指導をしているときというのは、当然僕も生徒も水着です。

水着というのはご存知の通り、洋服に比べて薄かったり、露出が多かったりします。
そうすると性差というものを感じやすいし、意識もしやすい現場ではあります。

また、プール指導はどうしても体に触れながらしないといけないという場でもあります。
物理的な距離も縮まるし、指導を重ねると信頼関係というか絆みたいなものも育まれて、精神的な距離感も縮まります。
(特に生徒が異性の時には、体に触れることについて細心の注意を払っています。水中で例えば腹部に触れなくてはいけない時には手のひらを出来るだけ使わず手の甲側を使うということもあります。他にも手で触れても、こちらの腕以上の部位の接触は出来るだけしないようにするなどしています。)

まぁ、とにかく距離感が縮まりやすい時間なわけです。

ここでお尋ねなのですが、みなさんが学齢期の頃とかに「異性の憧れの先生」とかいませんでしたか?
「〇〇先生ってカッコいいよね~!きゃーー♪」
とか、
「○○先生って、美人で優しくていいよなぁ」
くらいのものです。
記憶の片隅にこんな思い出を持っている人は案外多いはずです。
僕も記憶にあります(笑)

そういうことが稀に起こるわけです。
そういうのってすぐ分かります。

「あ、この子、なんか僕のことを異性として見てるな」と。
「恋愛に近い感情を持ってるな」と。

恋愛とか性とかいうのはとっても難しくデリケート。
感情とか認知とか目に見えない部分が大半を占めますから。

そして「悪いことではない」というのが難しさを生みます。

「人を好きになる事」というのは良い感情です。
けれど、恋愛関係として深みを持たせていくことが可能かというのは、また別問題。
本人の抱える特性や事情、背景もあるし、そもそも相手がいること。

「友達としては好きだけど、恋人としてはちょっと…」ということはよくある話。

「生徒としては良いけれど、恋愛の相手にはなれないよ」ということは伝えなくてはいけない部分。
でも、その伝え方を間違えると「私を受け入れてくれない」という風になってしまいます。
丁寧に伝えていかなくてはいけません。
「人を好きになる」という感情は否定せず。

僕も中学生くらいの頃かな?
片思いしていた女の子がいて、振り向いてもらえなくて、徐々に「この人とは恋愛関係が深まることはない」というようなことを、ぼんやりと感じながら、気持ちが少しずつ冷めて、また次の恋をしていった、という経験があります。

そういうことです。
人を好きになっても良い。
でも、恋愛関係が深まるかは別。

恋愛だけでなく、性というもう少しデリケートなことについても同じ。
(恋愛と性は全くの別物ではないですが、ここでは別に書いていきます)

男性の性の象徴はやはり性器ということになるでしょう。
女性の方は視線に振れやすいというところで胸でしょう。
(動物生理学的にも異性を引き付ける要因であることはよく言われますよね)

プールというのはやはりそれらも強調される場です。
ぴっちりとした水着ですし、それは仕方がないのです。
だから、学びの場になるとも思っています。

行動や視線、態度…

不特定多数の人がいる中で、誤解されないための振舞い、適切な距離感を伝えていきます。
それは、もちろん子ども一人一人によって違う伝え方になります。

プールという場で取り組んでいるのは、こういう事。

他にも保護者の方から相談されることもあります。
特にマスタベーションのことなど。
誰にでも話したり、相談したりできることではないですものね。
やはり、そういうプールという場で関わる相手だから、ということで相談されるのかもしれません。

で、マスタベーションということについて。
難しいことではありますが、これは出来れば同姓の大人が伝えていくのが良いかな?というのが個人的な考え。
男子の方がその辺は必要性に迫られることが多いと感じています。

この場合、男親あるいはそれに近い立場の人がいればその人が教える。
構造化して、時間、場所、流れなどを伝えます。
「準備」や「片づけ」も自分でしなくてはいけませんので、これらを伝えることが大切です。

女子の場合は、女親やそれに近い人というのは、同じなのですが、まずは、マスタベーションについての考え方は男性よりも個人差が大きいというのが現実でしょう。
男性のほとんどが経験していくのと比べると、経験しない、あるいは経験としてあっても、習慣的にはしない、という人の割合がとても高くなります。

男性の性欲というのはある種、排泄欲に近いものと言われます。
女性のそれとはそもそも欲求の質が違うのです。

ですから、女子の場合はマスタベーションを認めるか否か、というところからまずは考えて、認めるならやはり時間や場所についてしっかりと約束事を決めて構造化を図ることが大切です。

男女ともに、決めたところ、時間以外にはしない、という約束や、他人の象徴に安易に触れてはいけないなど、練習することはたくさんあります。
「嫌よ嫌よ」も好きのうち…なんて言い回りがあったりもしますが、そういうことで済ませられないデリケートな話です。

不適切な行動に対しては毅然とした態度で、「いけない」「やめて」ということを伝えなくてはいけません。

講釈を垂れるのではなく。

体験として、経験として、伝えることは伝え、練習することは練習をする。
そういうことが必要なのが、恋愛や性の問題。

これは何も障がい児者に限った話ではなく、誰にでも言えることだけれど。

永田の恋愛とか性についての、支援者としての立場はこういうところです。
何かお尋ねがあればいつでもどうぞ。

2017年1月18日水曜日

「分かりやすくなったねぇ」

今日はキッズクローバーでの学習サポート。
そう、マイケルジョーダン先生の日です(笑)

ただ、彼とのやり取りの紹介が続いていたので、別の子とのエピソードを。



中学生のHちゃん。
今日は漢字の書き取りが宿題で出ていました。
かなり難しくなってきているようで、弱気になってきている彼女。

その様子を見て一つ、僕がいないときでも学習の一助になればと思い、その場で(Hちゃんのすぐ横で)ちょっとしたアイテムを作りました。


一辺10センチの正方形を書き、縦横に区切って「田」の字にします。
漢字練習用のマスですね。

これくらいの大きさだと漢字の練習には程よいかな、と。
いろんな子で活用してもらうのに使い勝手のいい大きさである必要があります。
形をしっかりとらえるのにはこのくらいのサイズからスタートが良いと思い、取り敢えず10センチで作ってみました。

これだけの状態でも、ノートやプリントのマスよりかは大きめなので、練習はだいぶしやすくなるとは思うんです。

でも、子どもによってはもう少し具体的な方が良いかな、と。
もちろんHちゃんにも使ってほしいとの思いもあって、区切ったマスをそれぞれに色分けまでしてみました。
これで、線の長さや通る場所をよりはっきり捉えられるんじゃないかな?と。

これをキッズのスタッフさんにラミネートで加工してもらえば、ホワイトボード用のマーカーで練習が繰り返しできるんです。

これには、お手本を書いても良いし、本人が書いても良いし、ノートの下に敷いて使っても良いし…あとの使い方は支援者の工夫次第。


(本当は大きさも幾通りも用意して、徐々にノートのサイズに近づけるのが良いのかもしれませんが、それはそれぞれの子に合わせたものをスタッフさんに任せるとして…)

とにかくこういうものを用意してきました。


そして、面白かったのはこのアイテムを作っている時のHちゃん。

Hちゃんの横で作っていたら、興味津々で「何作っているんですかぁ?」と尋ねられたので、「見ててごらん」と応えました。
「あなたの宿題にも使えるものだよ」とだけ伝えて。

すると途中で「マスかなぁ?」と言い出しました。

永田「そうだよ、先生がいないときとかこれ使って漢字の練習してみてね」
Hちゃん「わかったぁ」

それから、マスを色分けし始めたら、「分かりやすくなったねぇ」と彼女が言ったんです。
使い方も説明していないし、完成している訳でもないんですが。
「漢字を練習するマス」という情報だけで、使い方や使っている姿を想像したのかな?

その辺は定かじゃないですが、そういう一言を言ってくれました。

制作の段階のことでいうなら大成功。
使い手が「使いやすそう」と思ってくれない事には使ってもらえないですから。
第一段階クリアかな?

実際に使ってみて、使い勝手がどうか?というのはまだ分かりませんが、使う本人が思い描きやすいものが作れたことは良かったです。



療育のための道具とかって買おうと思うと高いんですよね(笑)
僕もいろいろネットとかお店とかで見たりして良いなと思っても、なかなか買わない(買えない)です。

「似たものが作れないかな?」「あの子にはこれよりもこうしたほうがいいかも…」と参考にして作ってみます。
もちろん、モノによっては買った方が到底手作りできなかったり、長持ちしたり、使い勝手がいいものもあるので、毎度天秤にかけるわけですが…

出来れば、身近なもので作りたいんですよね。


家庭で継続的に療育に取り組むためにはお金をかけない、というのは原則になると思いますし。

それに、手作りしてみて目の前の子に「合う」「合わない」を確かめながら改良を進めることで子どもの認識も深まりますし。


教材は出来るだけ手作り。
前職場で学んだ大きな財産です。

2016年12月29日木曜日

口癖を取っ払えたら

この一年間、小学生のI君とプールと作文で付き合いを重ねてきました。

「ぁあ!もう!」

これが彼の口癖、でした。

課題に直面する、僕から促される、上手くいかない…。
とにかく、なんてこと無い出来事でもスムーズでなくなると決まって「ぁあ!もう!」と口にしていました。

(あ、来るな♪)
永田・I君『ぁあ!もう!』

と合わせる事が出来てしまうくらいでしたからかなりのものです(笑)

そんな彼の口癖の裏にあるのは、「上手くやりたい」という向上心。
不器用さがもたらす「またか…。」という失敗体験の繰り返しからくる苛立ちです。

僕は前者を後押ししたいと当然思うわけです。

なのに、この口癖を耳から何度も自分の声で聞いてしまうので、行動まで投げやりになってきてしまうんです。

この口癖を取っ払えたらいいなぁ!

と思ったんですが、「『ぁあ!もう!』禁止」と伝えても言葉を排除するだけで、前述のような内面まで響かせるのはなかなか難しいと考えました。

そこでひたすら茶化すようにして、「ぁあ!もう!」と彼の口癖が出た後に真似をしてみせました。

それから、自分の声でネガティブな言葉を繰り返し聞いたことで行動が投げやりになっていた、という見立てがあったので、反対にポジティブな言葉を口にさせてやろうと思い「出来た」ということを繰り返し確認してきました。

永田「できた?」
I君(うなずく)
永田「出来ましたか?」
I君「出来た」

という具合に。

そうして、付き合うこと数ヶ月。
(数ヶ月、効果らしいものが全く現れませんでした)

ある時、僕がいつものように彼を真似て「ぁあ!もう!」と言った後に「僕って、いつもそんな?」と尋ねてきました!
きたーー!って感じでした。

永田「そうだね、真似してるつもりなんだけど、どんな風に見えた?」
I君「へんなぃ」

と、自分の姿(かなり僕の意図が介入した姿ですが)を省みることが出来ました。

もちろん、「癖」になっているのでなかなか抜けませんが、さらに3ヶ月経って12月に入りました。

今月もいつものように1時間×3回、彼と過ごしましたが、その時間の中で「ぁあ!もう!」は1度も出てきませんでした!

もちろん、僕との関わりがプールか作文という固定されたもので、慣れてきたということと、どちらも上手になってきたということはあるかもしれませんが、どちらも、段階的にハードルも上げてきたつもりです。
そんな中で口癖が出なかったのは、大したものだと思いませんか?

多分これから、彼の行動も変わってくるはず。

僕はめちゃくちゃ嬉しかったし、楽しみなんです。

支援としての仕事は年内は終了。
僕も身体を少し休めながら、今度はそれぞれの子の支援について振り返ったり整理したりして、年明けに備えていきます!

もちろん、ブログも書いていきます!

2016年12月27日火曜日

怖かったし、不安だったし、…。

今日、作文書きにやって来たK君。
好きな事について話をさせると止まらなくなってしまう、と以前の記事にも少し登場した彼との作文の時間。

ところが時間になっても、やって来ません。
電話をしてみようかな、と思ったところへお母さんから着信。

向かう途中、一本筋を曲がり損ねたら、道が分からなくなって、Uターンをしようとしたら側溝に脱輪してしまったとのこと。
現在地を説明してもらうと近くだったみたいなので、永田急行!

僕が到着すると、お母さんとK君が車の前でオロオロ…。
JAFを読んで、到着まで40分程かかるとのことなので、K君を預り、取り敢えずレッスンへ向かうことにしました。

このときのK君、肩が上がって腰の辺りもフワフワしてました。
歩き方が落ち着かないんですね。

でも、「大丈夫だった?」と声をかけると平静を装って「うん」と答えて、状況を話してくれました。

ここで僕の解釈としては、「あぁ、自分のドキドキとか不安に蓋してるな」だったんです。

これはよろしくない、なんとか1度、自分の気持ちを出させないと、自分の気持ちに気付かせないと、と思いました。

永田「よし、今日は珍しい体験したね。今日の体験を記録に残しましょう。作文の課題は『今日の事故について』にします!」(話にすれば状況を上手に説明するだろうけれど、書かせると無理だろうな、という見立てはありました)

K君「うん、出来ると思う」

(ほほぅ、どうなるかな?)

で、部屋に着いていざ、書き始めようという段になったら、固まってしまいました。

永田「まずは、どんなことがあったのか、さっき聞かせてくれたことを書いてみて、その時にどう思ったか、ということを加えたら十分やないかなぁ」

K君「うん…。」

どんどん声も小さくなっていって、50センチの距離にいても聞き取れないことをブツブツ言い始めました。

しばらくは、K君が浮かび始めた感情とどう向き合うのか見守ってみました。
僕は、こういう時、割とゆっくり間を取る方だと思います。
他の作業をするふりをしながら「どんな感じかな~」と呟きながら…。

ここで、直ぐに介入するのは、感情の横取りになりかねないとも思うんです。

しばらく待ってみましたが、一行「タイヤが溝にはまった」という事実を書いたきり止まってしまいました。

涙目になっていて、「書けない、なんて書いたら良いのか分からないよ」と呟き始めました。

永田「よぉし、書くの止めるか。今どんな感じ?」
K君「分からない…。(ボソッ)」
永田「怖かった?」
(K君うなずく)
永田「それに驚いたね」
(うなずく)
永田「お母さんのことも気になるね」
(うなずく)
永田「よし、今日はもう止めてお母さんのところに向かおう」

K君は、帰りの支度をしながら、状況を話始めました。
永田「気持ちに蓋をしない練習やね。僕が作文だけ、教える人じゃないってのは感じ始めてるやろ?これからどんどんうるさいおじさんになって、突っつき回すからなぁ(笑)」
K君「うん」

そうして、お母さんの元に送り届けて、今日の様子をお母さんに伝えて、今日の支援終了。

以下、今日の様子からの僕の考えも。

元々は「自己表現が苦手」として、僕のところにくることになった彼だけれど、苦手なのは「自分の気持ちに共感すること」。
自分の気持ちを味わうことで、苦しくなる、あるいは苦しくなりそうになることってありますよね?
そういう場面に出くわしたら、彼は蓋をして、自分は何ともないことを装います。
一種の防衛です。

彼自身、そのことには気が付き始めている気がします。

蓋をして、平静を装ってやり過ごすから、周りから気付かれない。
気付かれないから、段々と「まぁ、いいや」と、伝えないことが当たり前になる。
けれど、溜まるものは溜まっていくから、ふとした拍子に、本人も予想しないタイミングで、予想しない出方をするものだから、本人も周囲も驚く。
結果、「原因が分からない」「つかみ所の無い子」となる。

そんなことをしてきたんじゃないかな?と思います。

これは本当に少しずつ練習をしなくてはいけないと思います。

気持ちに蓋をして、表出することに慣れていない子の気持ちの蓋を開くと、開き過ぎになってしまいます。
少しずつ開いて、また閉じて、をするイメージを持って働きかけが必要かな、と思っています。
開きっぱなしだと、日常がしんどくなることもありますし。
一気にやると体調まで崩してしまうことがあります。

ちゃんと、関わりの中で、また閉じるところまで、しばらくは付き合っていき、少しずつ意図的に自分の蓋を開く術を身に付けてほしいです。

そうして、新鮮な気持ちを上手に相手に届けることに繋げていってほしいと思います。

こういうちょっといつもと違う過ごし方をしているので、お母さんにも様子と、これから起こるかもしれない、と想定できることをお伝えしました。

びっくりしないように。

ここでお母さんにびっくりさせると、また気持ちを出すことに臆病になっちゃいますから。

子どもの支援をする中で、平行して子どもの変化に驚かせないよう、保護者へのフォローも必要なんだと思います。
それが子どもの支援に繋がります。

2016年12月23日金曜日

1つ1つの動作がどういうことか?と考えていく

立つ、座る、歩く、飛ぶ、物を持つ、食べる、着替える…

日常の動作や作業に対して、どういうことか?とか、どうやっている?

という問いを持つことは支援の足掛かりになりやすいです。

その動作なり作業をすることが難しいのであれば、その動作なり作業を行う過程で、どの要素が欠落して、あるいは負荷が大きすぎて、苦手で困難さを生んでいるのか?と考えていきます。

まずは難なく行えている動作を振り返って、分解して見ていくんです。

それから、対象者のつまずくポイントをあぶり出していくんです。

日常生活の動作や作業のほとんど全部が、異なる運動の組み合わせによって出来ていますから。
だから、分解していくんです。

例えば「コップを持つ」という動作1つを取ってみても、「目で見る」「腕を伸ばす」「指を曲げる」という大きく見ていっても、そんな動作が含まれていますし、更に感覚的なことまで見ていくと、「コップまでの距離感」「コップの固さ」「コップの重さ」「コップの形」なんかを捉えながら、力加減や身体の各部を動かさなければなりません。

そういう風に見ていって、「ここが苦手」という部分に働きかける…。

意識的にそういう視点を持って仕事をしていきたいです。
まだまだ僕もそういう視点を養っていかなきゃならない。

2016年12月21日水曜日

速くなくっていいとー?

今日はOちゃんとのプール。

彼女とは、今日で4回目。
順調にやり取りを重ねられていると思っています。

僕にはOちゃんが、ものすごいがんばり屋に映っています。
僕の話も耳だけじゃなくて五感を思い切り働かせて理解しようとしている、そんな感じです。

そんな彼女だから、比較的泳ぎに関しても覚えるのが早いですし、1週間あるいは2週間という時間が空いても、前回のレッスンでやったことをしっかりと頭も身体も忘れずにいて、積み重ねも出来ています。

ただ1つ、プールの事で言うと初回から感じていたけれど、同じ事を続けるということが課題かな、という節がありました。

そこで今日は意識的に「ゆっくりで良いから続けてね」ということを言ってみました。

するとゆっくり続けられます。

ところが「もう少し!最後までがんばれー」と声をかけると、ばた足がバーッ!と速くなってしまうんです。

永田「Oちゃん、最後まで同じ事を続けてね、ゆっくりで良いから」

Oちゃん「うん」

で、また同じやり取りになります。

なるほど。
「頑張って」いるな。

永田「Oちゃん、先生の言う『頑張って』は同じ事を続けることだから、速くなくても、力を入れなくても良いからね」

Oちゃん「速くなくてもいいとー?」

永田「うん、速くなくて良いとよ。同じ事を続けるのが、上手になる近道だよー」

Oちゃん「ふーん…」

そう言うと、すこーし続けられる距離が延びました。

子どもたちは、大人から、友達から「頑張れ」って言われることも多いです。

でも実はその「頑張れ」っていう言葉自体が「どうするのか」を具体的に示してくれるものではありません。

だから、頼りにやるのはイメージになってしまうんです。

「頑張れ」「頑張る」という言葉にセットになる画がありませんか?

力こぶをモリッとしている画ですか?
汗をかきながらせっせと作業をする画ですか?
歯を喰いしばりながら走る画ですか?

いろいろあると思います。

それが、その人の「頑張り方」に繋がっているように思います。

Oちゃんにとっては(少なくともプールという場面に於いては)、「頑張る」=「速くする」ことだったように見えます。

傾向として、のんびり屋さんは「頑張る=速くする」と思っている人が多いと思います。
力を入れるのが苦手な人は「頑張る=力強く」と思っている人が多いと思います。

極端な言い方かもしれないけれど「頑張る」が「苦手なところを隠す」ような捉え方をしている子が多いんです。
それは「頑張れ」という言葉を掛けたくなるのが、苦手な事に取り組んでいるときだからなのかもしれません。

「頑張れ」という応援の言葉も気をつけて使いたいものです。

僕はプールであったり、学習であったり、子どもたちと同じ事を通して継続的に関わっていくことがほとんどです。

なので「頑張るは、続けること」というスタンスで伝えるようにしています。
僕自身もそういう意識で、仕事を「頑張って」いきます。

どういう意味で言葉を使うか、その擦り合わせを行うことが足並みを揃えることに繋がります。

さ、擦り合わせも少しずつ進んできて、今後ますます楽しみです。

それから擦り合わせと言えば。
Oちゃんは、更衣の大学生サポーターの先生とも「りさ先生」と呼ぶほどに仲良くなってくれています。
呼吸も前回よりか合ってきて、スムーズに更衣が出来ていました。
するとプール内での過ごせる時間も長くなってきます。

更衣も1つ、やり取りです。
更衣自体を見なくても、上手に関わってくれているのが伝わってきます。

りさ先生も今週もありがとうございました。

2016年12月16日金曜日

Eちゃんのプール~ゴーグルで見る世界はドッキドキ~

先週まで飛ぶ鳥落とす勢いで、ステップアップをしてきているEちゃんのプール。
今日で3回目。
今日はゴーグルも用意してみました。
今の彼女の力、段階がそろそろ見えてくる頃じゃないかな~と、思いながら僕もプールに臨みました。

まず、今日最初に目を惹いたのが「車を降りてからプールまで歩く姿」です。

ピョンピョンと嬉しそうに小さく跳ねながら歩いてきた前回。
今日はどんな感じかな~と、思って待っていたら、今日は顔にはワクワクしているような笑顔がいっぱいでしたが、歩き方はものすごい落ち着いてゆったりとお母さんの傍を歩いてきました。

堂々としているというか…地に足を着いている、そんな言葉がピッタリという雰囲気で現れました。
うん、「目新しいもの」という段階を越えましたな。
ここからがやり取りの始まりです。

受付でチケットを買う流れもすっかり定着したようで、お母さんがチケットを買ってくれている間には館のパンフレットを手に取って眺めて待つことが出来ていました。
別にハマるという感じでもなく、ちょっと声をかけるだけで、パンフレットを元の場所に戻して、ロッカーキーの受け渡しもスムーズに出来ました。

流れがすっかり分かっているEちゃんは、直ぐに更衣室に向かおうとしました。

永田「Eちゃん、ちょっと待って。コレ、今日から使っていくからね」

ゴーグルを出して見せました。
興味を少し示すけど、顔には「?マーク」。
ゴーグルを顔に近づけたら払い除けようとしました。

永田「中で着けようね、そしたら着替えておいで」
ここで何の抵抗も無ければ、そのまま更衣室に持っていって貰って、着けるところまでしてきてもらおうと思いましたが、着けるのはこちらの仕事と判断。
入水してから。

着替えを済ませてプール室で合流。
…と思いきやお母さんだけ出てきちゃって「あれ?」と。

更衣室内ではぐれた様子。
(後で聞けば、他の利用客が声をかけてくれて、お母さんと話している間に離れていて、更衣室内を歩いていたとの事。問題無し。ちゃんと待っていられたんだね)

無事に合流して、体操(体操の前にビート板を取ろうとする。ハリキリ過ぎだぜぃ♪)

体操も一通り覚えて、今日は10数える間も姿勢保持が出来ました。
次の課題は「手足ブラブラ」かな。
これ、力を抜くのって難しいんですよね。
ついつい「手足を動かす」だけになっちゃうんです。

さて、いざ入水。
直ぐにスタートしようとするEちゃんに「コレ、つけてごらん」と声をかけながらゴーグルを頭に近づけたら(何?)って感じで見上げてきました。

永田「同じだよ」(僕自身のゴーグルを指差しながら)
そしたら、頭に着けることに納得してくれたみたいです。

第一段階クリア。

ビート板キックから。
もう「パンパン」という声かけも要らないくらいに続けられるようになってきました(さすがに25メートルまではいかないけど、3分の1くらいは続けられます)。

前回は2メートルくらいごとに手を構えてスモールゴールを作っていましたが、ぐんと距離が延びました。
数メートル先で待つ僕を意識してしっかりとゴールを目指して泳げていました。

今は正面で構えてゴールを用意しているから、もう少ししたら斜め方向にゴールを用意してみようと思います。
そうなったときに、一旦足を着いて方向転換するのか、泳いだまま方向転換出来るのか、あるいはゴールが意識できなくなって真っ直ぐ泳ぐのか…泳げれば良いっちゃ良いんですけど、この「斜め」というのが、僕のプールでは大切。
これが後々「他の人がいたら避けながら泳ぐ」に繋がるんですよ。

さ、次はゴーグル第二段階。
背泳ぎです。
頭にあるゴーグルを下ろして目にかけます。
永田「Eちゃん、ゴーグルをかけてみよう」(まずは僕がかけて見せる)
頭上のゴーグルを下ろしてあげると、目をパチパチさせていました。
永田「ほら、みんな一緒」(ゴーグルをかけて泳いでいる人たちを指で示して)
直に「これをかけて泳ぐ」ということが結び付いたみたいです。

いざ出発!
目もしっかり開けて、仰向けになって…しっかり覚えていてくれました。
そして今日はゴーグルを着けて目に水が入らなくなったから、少しずつ手を回します!
かーなーり、背泳ぎらしくなってきます。
永田「1(右手を上げる)2(左手を上げる)」
(「右、左」だと泳いでいる間に考えちゃってリズムが取れなくなることがあるんですよね)
これで「1」が右手、「2」が左手と認知してくれたらクロールも同じ掛け声でいけるようになるんです。

上手に出来ました!
Eちゃん「で(き)た」
2週間「出来た」と自分で出来たことを確認してきた成果が出てきました♪
まだ反射的に言っているだけかもしれないけど、自分の声で自分の耳に「出来た」を伝えることはとても大切。

いよいよ今日の最難関。
顔つけビート板キック。

ゴーグルをかけて顔を水に浸ける訳ですが、水がかかるのと、水に向かうのは段違いに勇気が要ります。

最初に横について「ブクブク」としてみせました。
Eちゃん「あー!!」(そんなの無理だよー!)

ブクブク…

Eちゃん「ママー」(どうしたら良いのー?)(見学ルームを見ながら)

ブクブク…

口を強ばらせるも水には浸けられず…

作戦変更!

正面に立ち直して「バタバタ!」と声をかけました。
出来ている感を味わえているビート板キックをすることを意識させます。
そして、指で水面を指差しながら僕も短時間ブクブクをしてみせる。
掛け声はあくまでバタバタ。
ブクブクは別にしなくても良いよーくらいに。

これが成功!
鼻の下まで水に浸けることが出来ました。
しばらくココですね。

ようやく彼女のドッキドキを見られました。

少しずつ数回をかけて水に顔を浸けられるようになることを目指します。

ドッキドキでも以上のメニューを3クールしましたから、大したものです。

ゴーグルって、ちょっとかけただけでも見える世界が別世界になるんですよね。
締め付け感もあるし。
泳げる前にはメリットが見えないんですよね。

少しでも世界が変わらないように、レンズは透明。
締め付け感も直ぐに変えられるようなバンドのもの。
ケースもEちゃんが扱いやすい形状のもの。
そういうものを選んできました。

今日は「こいつ(ゴーグル)のせいでビビったぁ!」が数回あるいは十数回後には「これのお陰で水に潜れる」と結び付けば良し!

プールに引率してくるお母さんの顔もすっかり解れたし、お姉ちゃんも楽しそうに眺めてくれるし、このレッスンが家族の結び付きを強く出来れば嬉しいです。

子どもたちだってやっぱり自分のありのままが好き

今、関わりのある女の子Eちゃんの様子を見ていて、前職場時代に関わりを持っていたT君を思い出すことがとても多いです。
T君は重度の自閉症。
当時小学校の5年生。
言葉としては2語文くらいかな。

そんな彼との思い出を記録としてとどめるために。
あの日の出来事は僕の中で凄い嬉しかったから。



写真を撮る場面で、T君は、ピースが出来ませんでした。
手の形が作れない、というのではなく、ピースを作って「わーい!!」っていう雰囲気の中で写真に写ることが出来なかった、という意味で。

カメラを向けると、その場で止まって、足は「気を付け」をして、手は自分の方を向けてチョキを作るんです。
つまり相手に手の甲を見せた形でピースを作っていました。

多分「T君、ピース!ほらほら、こうだよ」って具合に正面に立って教えられたものだから、「手の平側を自分の方に向ける」という風に視覚的に覚えてしまったんですね。
そして「動かないでね~」が「気を付け」を作ったと思います。


そんな彼を含めて、子どもたち数人と日帰りで一日ハイキングに出かけたことがありました。

写真を撮ろうとすると、何をしていても中断して「お決まりのポーズ」で移ろうとするんです。
記念写真のような写真が続いていました。

そこで隠し撮りを敢行。

写真に写ること自体は好きなようで、隠し撮りをしようとしても目敏くカメラを見つけて
「お決まりのポーズ」(笑)
そして、カメラを覗きに来て、写りをチェック♪(お行儀よく映ってますから)

でも、僕が撮りたかったのはそういう写真じゃなくて、自然体の彼。

思考錯誤しながら、何とか隠し撮りに成功。

永田「T君、来て」
T君にカメラを見せて、自然な彼の姿を見せてあげました。

予期せぬ一枚を見せられて、一瞬「あれ?」っていう顔をしていたことをよく覚えています。
食い入るように見ていました。

次にまた「T君」と声をかけて写真をパシャリ。
当然「お決まりのポーズ」で写って、チェックに来ます。
でも、サラッと見て終わりだったんです。

おや?と思うわけです。

今度はもう一度隠し撮り。
永田「T君、ほら撮れたよ」
また食い入るように見ています。

永田「ほらT君、あなただよ。良い表情しているね。素敵」

T君がほんのり笑顔を作りました。
永田「こういう写り方もあるんだよ」

T君はそのまま友達のもとへ戻っていきました。

その後、何回かこういうやり取りを繰り返していくうちに、呼びかけて撮っても「お決まりのポーズ」以外のポーズで写真に写りだしました。
最初はぎこちなくピースの位置をずらすくらいでしたが。
「気を付け」だった足が少しラフな姿勢になったり、視線もイマイチ定まっていなかったものがレンズに向けられるようになったりもしました。

気が付いた時にはピースをカメラの方へしっかりと向けて写れていたんです。


数年前の話でした。



Eちゃんとは、個人的にプールで関わりもありますが、放課後等デイサービスでもお付き合いの機会がありまして、外出に同行することもあるわけです。


そんなEちゃん、写真を撮ろうとカメラを向けると「きちんと止まって」ポーズを取ってくれます。

ただ、当時のT君のように、「毎回同じお決まりのポーズ」です。
そして、撮った写真にもそれほど興味を示す様子が見られません。(少なくとも嬉しそうに見るという感じではないです)

でも、彼女の様子を見ていると、すごく柔らかな表情でものごとを観察しているし、穏やかな笑顔もたくさん持っています。
もちろん子どもらしい、いたずらっぽく笑う表情も持っています。

呼びかけずに写真を撮るとそういう表情も捕まえることが出来ます。
そういう写真を見せたときの方が嬉しそうに見てくれている気もしています。


どんな場面でも写真を撮ることを伝えるとやっぱり「お決まりのポーズ」になってしまうんです。

僕はそのうちに彼女に「その時、その瞬間の思い出」としての写真の写り方が出来るようになってほしいと願っています。

無理に表情を作るんじゃなくて。
義務的に映るんじゃなくて「その時の自分らしい」ポーズなり表情をカメラに向けられるようになってほしいと思っています。

あまりにしつこくカメラを向けられて「もういいよ…」っていう表情が写真に写り込んだっていいと思います(笑)


写真のことを話に挙げましたが、「自分のことが好き」と思ってほしいんですよね。
ナルシスト云々なんて小さな話でなく。
因みに、僕は…自分が大好きです(笑)




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