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2016年2月18日木曜日

慰めるというのは本当に難しい。

こういう仕事に限らず、人と関わり合いながら生きていく以上、いろんな付き合いがあります。

励ましたり励まされたり。
慰めたり慰められたり。
褒めたり褒められたり。
その他にもいろんな関わり合いがあります。

「お互いさま」で生きていくことって大切なことだと思います。

今日はそんな中から一つ。

慰めるということについて。

慰めるのってとっても難しいと思っています。
僕が苦手、という話なのかもしれないけれど。

テクニックがいるような気がします。

慰める相手と言うのは、何かしら落ち込んでいたり傷ついていたりするものだと思います。

落ち込んだり傷ついていたりする人には、励ます方が難易度としては低い気がしています。
難易度というと語弊がありそうですが、便宜上。


励ますって「大丈夫だよ」とか「頑張ろう」とか「次がある」とか…
そういうこれからのことにベクトルが向きやすい働きかけだと思います。

それに対して慰めるって「そうかそうか」「そうだよね」「分かるよ」「大変だったね」「つらかったね」と言いながらヨシヨシするイメージが僕の中で付きまといます。

それって、すごく停滞しがちな働きかけだと思います。
また、巻き込まれやすいんじゃなかろうか?と思います。

どういうことかというと、「そうかそうか」「ヨシヨシ」としているうちに、自分の辛かった体験なんかとリンクしちゃって下手をすると「分かるよ」「私もそうだった」みたいな言葉を引き出しかねないと思います。

気を付けていないと、慰めているつもりが「慰め合い」、もっとハッキリ言うなら「傷の舐め合い」になりかねないと思います。

そうなると、いつまで経っても深い井戸のような穴から出てくる機会を掴めない危険もあると思います。

慰めるということが悪いと言っている訳じゃありません。

何が言いたいかと言うと、言葉としては慰める言葉と言うのは口から出やすく、「共感している風」が出やすいのです。
そして、相手からも「親身になってくれている」と思われやすいものです。

でも、その言葉の使い勝手の良さとは裏腹に、慎重になるべきことだと思っています。

励ますことは意識してする人が多いです。
慰めることは無意識にやっている人が多いです。

慰めることこそ、意識的にすべき事なんじゃないかな?と思います。

相手を思うのと同じように、自分自身を大切にするためにも、無意識になりがちな部分を意識的に行う癖をつけたいと思っています。
でないと、自分らしさと他の誰からしさ、の境界が曖昧になってしまって、本来の自分の立ち位置を見失うとさえ僕は思っています。

慰めるというのは、役割としてはとても大切な役割を担う事の多いものです。
だけど、下手な人がすると、却って相手を(あるいは自分と共に)孤立させることになりかねないと思います。

次につながるような慰め方、歩き出せるような慰め方で、建設的な健全な共感をしないといけないと思っています。


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