ぐるんぱの活動をサポートしてくれている人で、「きょうだいが障がいを持っている」という人がいます。
20代前半です。
今日は、その人と少し話す時間があり、話を聞いていました。
その人なりのインクルーシブ教育への考え方があるようです。
きょうだいとして育ってきたからこその言葉、だと感じました。
「今の日本でインクルーシブ教育、って正直、違和感を感じる」
「インクルーシブ教育をそんなに推す?」
「インクルーシブ教育っていう言葉を調べると、障がいのある人もない人も一緒に、という言葉が出てくるけど、その人らしくあれば一緒とか別とかどうでも良いと思う。その前に目の前の現実をもっと見て欲しい。言葉が独り歩きしているように感じてしまう」
きょうだいとしての本音。
話はもっともっとコアな話題へと移っていって(途中から押し寄せてきて止められないような、心の内から溢れるような言葉がたくさん)、涙と共に話を聞かせてくれました。
その人のきょうだいは、本当に重度の知的障がいを持っているとのこと。
「家族支援」というと第一に考えられるのが親、特に母親。
でも「自分は一緒に育ってきた」「一番近いのはきょうだいだと思う」「きょうだいには、きょうだいの思いがある」。
きょうだい支援、っていうことを本当はもっともっと考えたい、とのこと。
もちろん親には親に同じような思いがあることと思います。
それを踏まえた、きょうだいとしての声。
きょうだいにはきょうだいの生き方がある。
でもきょうだいのことはやっぱり気になる。
自分ときょうだいの違いを知る瞬間。
本当に重みのある言葉がスタッフの口からは出てきました。
きれいごとではない、人生そのもの。
小一時間、ここ数年で一番心も目頭も熱くなる時間でした。
こういう価値観と言うか世界を僕に見せてくれる、スタッフがいること。
語弊があるかもしれないけれど、ぐるんぱにとってはとってもありがたいことだと思います。
こういう思いも知って、僕はぐるんぱのかじ取りを考えていきたいと、改めて思いました。
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