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2022年1月7日金曜日

学びは押し付けるものではない

 年末年始、ご挨拶を兼ねていろいろな人とお話する機会が多くありました。

その時に「仕事仲間との温度差」について話が及んだことがありました。


仕事への熱量、情熱とでも言えば良いでしょうか?

そういうものを感じて苦しくなる、という人もいる様です。

僕自身、図太いというか無神経と言うか…そういうことにあまり苛立ちや焦りを感じることがないので、半ば相談に近いくらいの形で話をされることもありました。

「どうやって、そんなに幅広い人と付き合えているの?イライラしたり怖くなったりしない?」という具合です。


案外そんな風に感じている人が多いという事に驚いたし気が付きもしたので、ブログの記事にしてみます。


僕の返事としては「学びを押し付けるものではない」これに尽きます。

一緒に働く人には熱量を持っていて欲しいと思うことは思います。

これは多分、僕自身が仕事が好きだから、そういうある種の願いを持っているという感じなのだと思います。


ただ、忘れてはいけないのは「感じられる熱量がすべてだとは思わない」ことです。

感じる側(この場合は僕側)のアンテナに引っかかる熱源(材料)が見えないだけで、その人なりの熱量は持っている可能性があります。

表出するのが苦手な人もいるでしょう。

これってお互い様の話だと思う訳です。


僕は、こういう立場で仕事をしているので、チョコチョコと必要に迫られて学んできたタイプです。

もともとこういう道を志していたわけでも無くて、学校も全然関係ない学部を卒業してきていますし。

好奇心にとっても左右されるところがありますw

面白そうだと思えば手を着けてみて、違うと思えばスルーして。

それに仕事、と言っても支援のこともあれば経営のこともあるし、学びの振れ幅?が広いのだと思います。


それをガッツリ深めている人から見ると「もう少し物足りない半端モノ」に見えるかもしれませんし、「器用なヤツ」と見てくれる人もいるかもしれません。


そういうことです。


自分の学びや価値観と一致するから熱量がある、そうでない人は仕事に情熱を持っていない、という訳ではないです。


実際、仕事に対する考え方も様々です。

置かれた状況もそれぞれです。

それを自分と同じような水槽の中に入ることを求めるようなことをするのは違うかな、と。


ちょっと自分と違う、ということで排除の方向って、正直時代遅れだしナンセンスじゃないかなとは思ったりしています。


そういうお話を年末年始に何度かしました。

皆さんどのように考えますか?

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