そこへのアプローチの仕方が大切です。
学習サポートの場面を拾ってちょっと書いてみます。
「なんでうちの子は勉強が苦手なんでしょうね?」ということを導入時期ももちろんだし、節目節目に保護者から尋ねられます。
学期ごとの定期試験、進級、進学、就学相談…
こういう相談があったときには、僕の見立てを話することにしています。
「こんな癖があるように見える」
「こんな特性が見える」
もちろん、保護者によって言葉や伝え方は変えていきますが、一緒に学習していて、あるいは教科学習以外のやり取りを通して見える姿を伝えて、それがどうして教科学習の困難さにつながっているのか、ということを説明していきます。
話を進めていくと、「どうやったらそういう見立てが出来るの?」というお尋ねも頂きます。
やはり保護者は我が子のことについて知りたいと思うのからでしょう。
当然ですよね。
自分で我が子のことにもっといろいろと気づけたら、と思いますからね。
で、僕が思うに、この「見立て」という言葉が大きな誤解を生んでいるように思います。
いかにも「(自然に)見えてくる」気がしますが、そうではなくて案外能動的に情報収集を行っています。
「どんな感じなの?」という質問を僕はたくさん子どもに投げかけます。
子どもが「あぁ~、疲れてきた」といえば「その疲れってどんな感じ?」と聞いてみます。
「面倒くさい」といえば、「どんな風に面倒くさいの?」と聞いてみます。
ふんわりとした質問をふんわりと投げかけてみることが多い気がします。
子どもが自分の言葉で話せるようにするために、自由に話せる“あそび”の部分を作れるように、そんな質問の仕方をします。
そうするとそれぞれ自分の表現で教えてくれます。
「なんかさぁ…ざわざわしだす」
「手が疲れる」
「飽きてくる」
「時間が気になりだす」
「○○がうるさいんよね」…
こういう子ども自身の言葉が一番間違いない気がしています。
独特の表現で、最初は「ふーん、なるほど」と相槌は打ちながらも(どんな感じや!?)と内心首をかしげることも少なくないです。
でも、何度もこういうやり取りを繰り返していくうちに、僕自身の中でも「この子が言いたいのはこういう事かな?」という子どもの言葉の輪郭が見えてきます。
子どもは発信しているので、その言葉のニュアンスや声のニュアンスを知るためにチューニングしていくイメージの作業をするわけです。
そうして、「こういうことを取り入れてみよう」「こんな風に過ごしてみよう」という時間の組み立てをしていきます。
もちろん、経験も積んできていると手札がある程度最初からありますから、その場で組み立てるという事も出来るようになってきます。
それでも、どんなケースでも僕はこの作業工程を通っていると思います。
大人の質問で、大人が直ぐに理解で出来る言葉が出てきやすい質問をしていてもなかなかここは出来ない気がします。
目線を合わせる、相手の立場に立つ、そういうことを大人はたくさん言いますが、子どもに向けた問いが子ども目線でないと、解決の糸口はなかなか見えてきません。
そうやって結構積極的に、能動的に情報収集をしているものだと思います。
そのなかで得たり導き出した手立てとしては、「じっくり待つ」ということもありますが、これも受け身ではなく情報はさりげなく集めていっているイメージです。
まだ新年度という節目が近づいてきて、時折寄せら得る質問なので残しておくことにします。
何かお尋ねがあればメールでもどうぞ。
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