知的障がいを伴う 自閉スペクトラムの女児のお母さんより。
「気持ちって何なんですかね?なかなかこの子の気持ちが分からないことが多くて…でも先生(僕)や他の事業所の職員さんは、そういうのが凄くわかるみたいで…説明をされると、なるほどって思うんですけど、私は気づいてあげられていないことも多いんじゃないかなって思うんです」
こんな言葉を漏らされていました。
でも、このお母さん、今はとってもとってもいい親子関係を見せてくれています。
子どもの気持ちにもいっぱい気づいているだろうし、自分の気持ちについても上手に子どもに伝えているように、こちらからは見えます。
それでも、というところです。
とってもデリケート。
この親子。
もっともっと小さい頃は、本当に大変な時期がありました。
お互いにどうコミュニケーションを取って良いのやら…と困り果てている時期が確かにありました。
僕が出会った当初は本当にそんな感じでした。
お母さんも事あるごとに「すみません」を口癖のように使っていましたし、表情も少なかったことを今でも覚えています。
最近の、特にこの2,3年の様子からまさか「気持ちって何なんですかね?」みたいな言葉が出てくるとは思わなかったので、今日は少し驚きました。
それでも、これまでこちらからお伝えしたり、お母さんの方から聞いたエピソードを引っ張ってきたりして、「大丈夫ですよ」というメッセージをお返ししたところでした。
毎週のように会っているお母さんが、急にこんなことを口にするのには恐らく何か理由があるのでしょう。
今日はハッキリときっかけを聞くことはできませんでしたし、無理に聞く必要もないのかもしれません。
親子が「わたしたちはこれで大丈夫」とつながり感を感じながら生活していければそれでいいのではないかと思うんです。
ところで、気持ちを汲むのには確かにちょっとしたコツみたいなのはあるかもしれません。
僕も仕事を始めてすぐの頃は「分からん…」の連続でした。
でも、レッスンの数とか、子どもとの時間とか、保護者からのお話とか…そういうものを通して、少しずつ「どういう動作や表情に、どんな気持ち(きれいに一致しないまでも近いもの)が表れるのか」ということを学んできました。
動き(体全体も、顔のパーツなどの細部も)、姿勢、顔の表情、声、体温、緊張感、何だったら排せつにだって体調は表れるわけでそれに伴う気持ちがあるはずです…こういうものにいろいろ表れるのは確かです。
それらをキャッチするコツはある気がします。
これまで仕事を始めてから出会った子たちの2分の1くらいは言葉が少ない子たちです。
それでも彼らが嬉しそうにしているとか、ちょっとしょんぼりしているとかくらいはパッと見て感じます。
そこに頭の中でロールプレイをしてみて、「自分ならこういう様子の時にはこういう気持ちかな?」という細かなニュアンス、解釈を加えていきます。
「正解」はない問題です。
その子の気持ちはどこまで行ってもその子だけのものです。
それでも「どんな気持ちだろう」と考え続けることを止めてはいけない気がしています。
「分からないけれど、分かろうとし続ける」という意志が、つながり感を育んで、「気持ちが分かる(ように見える)」関係性を作る気がしています。
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