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2017年2月26日日曜日

隔てない言葉が、子どもを育む

小学校の頃って、走るのが速かったり、ドッジボールが上手だったりするだけで、クラスの中でヒーローになれる、みたいなところありませんでしたか?

同じようにプールだと、泳げる(ようになる)というのは、ヒーローとまでいかなくとも、純粋に「凄いなー」ってことに繋がります。

そういうものが「壁」を取っ払うのだと思いながらプール指導をしています。
障がいがあるとか無いとか、そういう「壁」が水泳という共通項によって取っ払われるという実感があります。

共通項のないところ、あるいは人へ理解を求めようとするとなかなか難しいものがあります。
それを押し付けるようにすると「『障がいがあるのに』すごいねー」になって、一線を引かれてしまうのだと感じました。

「障がいがありながらも頑張っている」というのが悪い訳ではなく、そういうのも大切です。
事実としてそういう一面もあると思います。
そういう事を足掛かりに、知っていってもらうということの方が、コミュニケーションの入り口になりやすいのだとも思います。

僕の自己満足かもしれませんが。

ある種の同情のようなものを抜きにして子どもたちの成長を周りの人には捉えてほしいと願っています。

「良いものは良い!」
「惜しいものは惜しい!」
「まだまだなものは、頑張れ!頑張ってるね!」

と本音を受け取った時、子どもたちは良い表情を見せてくれるんです。

僕の活動の中においては、そういう関わりが子どもの「個」を育む大きな力になっています。

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