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2017年2月6日月曜日

誰でも知っている発信ができますか?

勉強不足だろ?という言葉で片づけてしまうのは簡単ですけれど、パッと聞いただけで意味が理解しにくいアルファベット、カタカナ表記の言葉の多さに戸惑うことが多いです。

ある一部の人たちにとっては当たり前の言葉でも、ある人たちにとっては耳慣れないというか、なじみのない言葉の類。

別にそういう言葉が悪いという話ではありませんが、意識共有や目的共有をしようとした際に、そういう言葉を使うと足並みが揃わない、乱れると言うことになりかねません。


もちろんそういう言葉が持っているニュアンスと言うのがあり、「この言葉でないと」ということもあるでしょう。
そういう時には、必要な人が全員、意味を正確に把握できるように配慮しなくてはいけません。


10000歩譲って、その言葉を使っている本人が意味をしっかりと捉えていれば良しとしましょう。




ある人に「それってどういう意味ですか?」と尋ねたら「うーん、○○という感じだと思う」という少し濁すような回答をしてきました。

「感じ」?「思う」?断定できない言葉を使うな!と突っ込みたくなりました。

いや、僕も本当のバカではない(と思っている)から、さらに10000歩譲って(笑)話し方とか使いどころで、全く分からないでもないんです。
聞いているだけでいいなら。

ただ、仕事をそういう認識程度でしていくわけにはいかないじゃないですか?
自分だって責任を負わないといけないのですから。

それを「感じ」だの「思う」程度でしか説明できない言葉を多用して説明されても困るんですよね。

仕事の提案者が曖昧な言葉を使い続けているのに「一緒にやりましょう」なんて…出来るか!(笑)

感想聞いているわけじゃなくて「あなたの使っている言葉の意味を教えてください」ですから、曖昧な言葉で逃げるというのは「私何をしゃべっているのかわかりません」と同義でしょう?

目指したいところは分かるけれど、そのために何をするか?という肝心なところが曖昧になっているんです。

もう永田、ビックリです。

自分の使う言葉が他の人にも伝わることばであるか、今一度振り返りたいと思う次第です。



いつだったかな?新聞のコラムで確か「村言葉」(だったかな?)という一部の人でしか共有できない言葉、用語を自覚しなくてはいけない、というようなことを書かれていたな…それが社会の発展の妨げになりかねないと。



「お前のブログも分かるような分からないような記事多いぞ」と言われそうですけれど、良いんです(笑)
僕は大体の記事、毎回特定の誰かひとりに向けた手紙のようなイメージを持って言葉を選んでいるので、分からない人がいても不自由ないんです。

もちろん、「あの記事、どういうこと?」と尋ねられたら答えられるくらいのものではありますから、気になれば尋ねてください。

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