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2017年2月18日土曜日

お互いに知っていくことが「地域」である

金曜日の夕方は、小学校3年生Eちゃんのプールの日。

毎週同じ時間にやっていると、他のお客さんも顔ぶれがある程度決まってきます。

毎週毎週の小さな積み重ねを見守ってくれる、ちょっとした応援団です。

彼女の苦手な泳ぎで、ゆっくりと進んでいると「ごめんね~横通るよ」「頑張って」と声をかけてくださる方々が出てきました。

彼女が得意な泳ぎでスピードが早い時には、「お、早いね~」「上手になったね」と声をかけて進路を譲ってくださいます。

彼女も周りの人への興味が出てきました。

声をかけてくださる方にニコッとしたり、何らかの反応が返ってきたら、僕の方を見て(仲良くなったよ)とでも言うように、嬉しそうな表情を向けてきます。

動作的にはピョンピョン跳ねるような動きも多くて、言葉も少な目で発せられた言葉も明瞭じゃないものが多いから、僕の要求を掴もうとしていたり、泳ぎを獲得していく姿が周りの人には驚きらしいです。
「この子も泳げるようになるんだね」
「こちらの言っている事がちゃんと分かっているんだね」

そういう言葉を掛けて貰ったら彼女の特性を少し交えながら「こういう理由で、こういう言葉を選んでいるんです、こういう方法で練習しています、そうするとちゃんと伝わるし、ゆっくりだけど出来るようになってきます」と説明をします。

「出来るだけ地域で」と思ったとき、特別支援とか障がい福祉に携わる人たちだけでなく、それまで縁の無かった人たちも意図を理解できるような手段を取っていく、共感してもらえるような説明をしていく、ということもしていかないと、地域は広がらないし、「共生」みたいなことにはならないと思います。

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