変化を促すこと。
この2つは子どもたちと関わる上で大切にしたいと思っている事です。
言葉として並べてみると、矛盾しているようにも見えるこの2つ。
でもどちらも大切にしていきたいものです。
どちらか一方だけだと、僕の役割としては不足です。
「そうか」と子どもたちの困り感(だけじゃなくて喜びにも)に寄り添って、「じゃあ、こういう風にしていってみようか」という提案や後押し、お手伝いするところまでしていくことが僕の仕事だと思っています。
やはり両方必要なんです。
こう書いてみると、「受け止める」→「変化を促す」という順番に映るかもしれません。
でも少し違います。
並行していく感覚です。
「受け止めながら、変化を促す」
「変化を促しながら、受け止め続ける」
「受け止めたら、変化が起こる」
「変化を受け止める」
文章で伝わるかわからないけれど。
とにかくこういう感じ。
この「ありのままを受け止める」と「変化を促す」、どちらかが欠けるとどうなるか?
恐らく「認めてもらえている」という実感であったり、大げさに言うなら「生きている」という実感であったり…自己の存在感について疑問を持つようになってしまうのだと思います。
いえ、どちらかが欠けると恐らく、もう一方も成り立たないのだと思います。
受け止めてくれない人からアドバイス「的」なことを言われても変わりたいとも思えないですし、受け止めてくれている「ぽい」だけだと変化を促す際にチップでファールでストライクになることは目に見えていますし。
もし本当に受け止められたら「繋がり感」「安心感」を紡ぎだすことが出来るはずで、そのこと自体が「変化」だったりもするんじゃないかな?と、思います。
こう書くと勘違いされそうなんで書いておきますが、相手を理解するのとは違います。
「受け止める」と「理解する」は別物です。
「そうだよね」である必要はなくて「そうなんだ」で、受け止められるんです。
全くの同義ではないけれど「受け止める」は「相手を知る」ことです。
それから当然ですが、闇雲に変化を促せばいいという訳ではありません。
そこにはある種の健全さのようなものを含んでいなければなりません。
「あぁ、キツイなぁ…そうだ死のう」という変化じゃいけないのと同じです。
「あぁ、キツイなぁ…少し休むか」という方が健全でしょう?
ありのままを受け止める。
変化を促す。
共感しながら、個を育む。
そういうこと。
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