「出来たね」「やったね」「すごいね」とその時々、場面、子ども一人一人によってかけるべき言葉も違いますし、その子へ向ける眼差しも違います。
プールを頑張っているEちゃん(ブログにも久々に登場です)、成長しています。
以前は「出来たね」「すごいね」というような周りにも本人にも明らかな“褒める”をしていましたが、ある種の信頼関係のような関係性も進んで、最近で(出来たね)を眼差しで送って、薄っすら笑みを交わすことで、出来たことを確認できるまでになってきました。
いろんな方法で“認めている”ということを伝えていきたいと思っています。
「これ」でないと認められている気がしない、というような錯覚。
「この方法」でないと確認できない、というのでは、コミュニケーションに偏りがある気がするのです。
「この方法」だけなら、多くの人と交流する必要ないですからね。
人の数を掛け合わせただけ、コミュニケーションもあるわけですから。
0 件のコメント:
コメントを投稿