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2018年2月8日木曜日

「待つ」「待つ」「待つ」

習い事、という位置付けで、ある程度決まった日程、時間枠の中で、制約がありつつ、というのが僕の支援。

その中だからこそ!ということを心掛けていますし、その中だからこそ!出来ることがあると信じています。

言い出したらキリがないし、制約が自分の腕を上げるのに役立ってきたことも大いにあります。

パニックなど“何か”があったときでも、その時間内で落ち着けるように働きかけをしていったり、僕と別れた後にその時の困り感を家庭に持ち帰らせないように発散させることを目指したり…

でも、特に、時間という制約についてはすごく思うのですが、これをケースによって外すことが出来ればもっと手立ての選択肢を拡げられるのに、と思うのです。

「待つ」ということがとても大切な時があります。

ただ、時間の制約があるから、その中で展開できるような選択をしていかなくてはならなくて。

二時間でも三時間でも待てたら良いのに、と思うことがあります。

今日は青年とのプール。

迎えに行って到着するまではいつもと変わらず、本人も乗り気だったように見えました。

それが、車を降りる段になって全力の拒否。

彼の動作の速度を考慮してゆとりのあるタイムスケジュールで時間も確保していますので、他のケースよりは幾分か付き合いやすいのですが、今日は足りなかったです。

25分。

「降りて泳ぎましょう」「泳ぎませんか?」と、「いや」「プール行かん」の問答をしていました。

車内での様子、問答中の様子からして、“行けるかもな”という感じがありました。

待つ為に、観察、口調、言葉、立つ、しゃがむ、身体的介入…

色々と講じました。

(僕の“待つ”には、“出来る”が前提に必ずあります。ただ、待つのではなく“機会”を逃さないような待ち方が大切だと思うのです)

でも、今日は、25分の中で彼の気持ちを動かすだけの手立てが見つけきれませんでした。
まだまだだなぁ(^^;

あと10分あれば彼の気持ちを動かせたかも、という手応えを残したまま、タイムリミットを迎えて、プールを後にしました。

時間になれば列車も飛行機も出発します。
いくらでも、一人のために待ってくれる世の中ではないので、その制約の中で過ごしたり練習したりすることも大切です。

でも、時にはなーーんにも気にせずに、いくらでも付き合えたら、お互いに“面白い”時間を味わえたりしないだろうか?と想像します。

ま、今の僕の役割ではない、というところなのでしょう。

追々考えていくことにします。

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