今、少しずつ、新しいスタッフにプールに入っていってもらっています。
僕がこれまで関わってきた子どもを引き継ぐという形になるので、いろいろと思うところもあるようです。
難しさやプレッシャーも感じているようです。
この点に関しては、それだけ真剣に子どもたちと向き合おうとしているということでしょうから、僕もその気持ちに寄り添いながらサポートをしていきたいと思っています。
いろんな話をしながら乗り越えてもらうところは乗り越えてもらい、一緒に乗り越えることについては一緒に乗り越え、チームを作っていきたいと思います。
“プール”という限定的な関わりだからでしょうか?
泳ぐということに意識が向きがちなようです。
でも、僕は、まずは泳ぐことは置いておいて良いと思っています。
今は、目の前の子どもについて理解を深めることをして欲しいと思っています。
昨日は、言葉の少ない子とプールに入ってもらいました。
僕は、子どもとスタッフのやり取りを脇で見ながら、必要最低限の介入にしていました。
どうやったら良いのかな?みたいなことを恐らくスタッフは考えていたでしょうし、子どもの方でも、こうかな?と考えていたのではないでしょうか。
言葉でのコミュニケーションが少なくなるので、いわゆる「感じる」みたいなことが必要なので(もちろん、実際にはそんな抽象的なことではなくて、解釈した動機があるわけですが)、スタッフに向けて、「子どもからどんなメッセージを受けとりましたか?」と尋ねました。
一瞬、「?」という顔をしていました(笑)
子どもの動きには大抵意味があると思うので、子どもの動きから受け取ったメッセージに応えていく、というようなやり取りを重ねないと、関係性は深まらないと思う、ということを伝えました。
しばらく考えて「ちょっと分からないです」という答えが返ってきたので、「そうかもしれませんね、もしかしたらこの子も『分からない』と思っているのかもしれませんね」と僕も伝えました。
(イジワルでしょ笑)
でも、僕は、そこだと思うのです。
コミュニケーションというのは当人同士のものです。
間違いなく。
それを深めないとお互いの理解は深まりません。
この場面で言うと、『分からない』というメッセージならば、『何が分からないのか』を考えることが、この子の障がい理解にも繋がると思うのです。
ハウツーを伝えて、泳げるようになること“だけ”を目指すようなチームにはしたくありません。
スタッフが自ら考えたり、考えを持って、レッスンを組み立てられるようになることを目指すためには、一見すると遠回りだし、歯痒い思いもするかもしれませんが、こういうことが必要だと思っています。
プールだって、学習だって、コミュニケーションの上に成り立っているものですから。
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