子どもたちと関わる際、「いつも通り」ということが、とても大切だと僕は思っています。
多少「何か」を抱えて僕のところに来ようとも、「僕との付き合いはいつも通りだよ」というスタンスで迎えるようにしています。
それが子どもたちの安心感に繋がると信じています。
もちろん「何かあったんだね」という点は忘れずに。
「多少の何か」ならそれで良いのですが、「大きな何か」を抱えてきたときにはそうもいかなくて…。
僕なりに必要と思う策を、関わりを展開していくのです。
「出来ることはしておきたい」と思いますから。
だけどこういう時、「いつも通り」とは違うことをしているからだと思うのですが、後から「あれで良かったのかな?いつも通りが良かったのかな」と考えることもよくあります。
もちろんその時の「いつも通りは難しい」との判断なんですけどね。
こちらが意図的に「いつも通り」を一回手放すことで、その後の関わりを「いつも通り」にし、「いつも通りが難しいときには、それなりの過ごし方をしていこうね」ということまでコミコミで「いつも通り」にしていきたいという思いもあるのです。
それでも考えてしまいますよね~。
「いつも通り」することで気持ちに蓋をすることになるのか。
「いつもと違うこと」をして気持ちに蓋をすることになるのか。
その場で結論の出る話ではない難しさ。
自分の関わりが子どもの世界の全て、だなんて厚かましさは持っていないつもりですけど、僕以外の誰かとの世界も思い描きながら、その中でバランスを取りながらしていきたいとは思うのです。
こういうある種の葛藤とは年がら年中付き合ってきていて、それとの同居の仕方も大方心得ているつもりですが、たまーにこうして書かずにはいられないくらいの大きさになるケースにぶつかります。
愚痴をこぼしてバランスを取る感じですかね?
さて、これからまた支援。
「いつも通り」の永田的関わりをしてきます!
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