僕は今でもそうだけど「クソ」が付くほど歌が下手です。
子どもの頃からそうでした。
音楽の授業は嫌で嫌で仕方ありませんでした。
クラスメイトからも「下手」だの「音痴」だの言われたし、家族からも「歌は上手くならないねぇ」と言われていました。
だから授業では歌いたくなかったです。
でも歌わなくてはならない。
でも「授業は受けていた」のです。
授業をサボれば「きっと歌が下手で嫌だから逃げたんだよ」と言われるのが嫌だったからです。
指先が不器用で、鉛筆の持ち方が独特な子がいたとします。
それでも「字が書けている」のです。
その背景には、「字が書けるようになりたい」という思いと、もしかしたら訓練による獲得があるかもしれないのです。
人と違ったやり方でも、「出来る」を得るための努力があるかもしれないし、「それでも良いんだよ」という救いがあったのかもしれません。
そういうことを慮ってから支援に当たりたいものです。
僕は歌が下手だけど、授業で歌うのも嫌だったけど、「歌自体」を嫌いになったことはなかったし、鼻唄もよく歌います。
そう居られたのは小学校の時に音楽の先生が「歌は好き?そう、好きなら良かった。歌っていいからね」と励ましてくれたから。
家族が「上手くならないねぇ(笑)」と言いながらも、僕が家で下手っぴな歌を歌い続けるのを止めずにいてくれたから。
「出来る」は自信になるけれど、「出来る」「出来ない」にこだわり過ぎず、背景にある気持ちを慮ることが、支援の土台です。
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