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2017年6月24日土曜日

子どもたちに見通しを立たせるだけでなく、支援者自身も見通しを立てながら支援に当たる

発達障がいのある子どもたちに対する支援の中で「見通しを立てる」というものは基本にあります。

これって、基本的には子どもたちに「この後はどうなりますよ~。」っていう告知のようなイメージなんですけど、子どもたちへの一方的な支援として考えるだけでは足りない、と言うか、それだとダメです。
はっきり言って。

支援者自身の側も「見通しを立てる」ことをしながら支援に当たらなくては。

子どもたちに対する「見通しを立てる」とはまた別の視点での話ですけど、表現としては、まさに「見通しを立てる」です。

どういう事かと言うと、「これをしたらどうなるかな?」という見通しの立て方をしていくわけです。

そういう見通しの立て方をしていって、避けられるリスクは避けるし、好ましくない状況になりそうなら、それも避けるし…。

あるいは、もしかしたら、見通しの中でリスクを把握して、それでも尚、踏み込む事もあるかもしれません。

そうやって手立ての選択肢を絞り込んでいくはずです。

「見通しを立てることが苦手」な子たちへの支援なのですから、支援者が見通しを立てて、リードをしていくんです。

仕事として子どもたちと関わるのなら、やはり意図を持たないと。
ただ子どもたちといて、子どもの思いのまま、なんでもアリということでは支援にならないんです。

子どもたちが僕の目の前で取る行動に対しては常に支援の眼差しを向けたいです。

「子どもたちに判断を委ねる」ということがあったとしても、それさえも支援としてでなくてはいけないんです。

一度のリスクを負った場面があったとしても、それを次に繋げるための見通しまで立ててからリスクも負うくらいの慎重さと、大胆さを同居させないと。

僕はそう思って支援に当たっています。

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