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2017年8月18日金曜日

保護者のガス抜きの場を作ろうか

仕事柄、いろんな家庭環境、子育て観、親子関係には触れます。

それでも我が子の子育てについては、まだまだ(と言うか、ずっとなんでしょうけれど)手探りです。
そして自分でも意外なのは、子育てについて、第三者には話をしていないということです。

それほど深刻な悩みにも直面していませんが、不安や分からないことが全く無いわけではありません。
成長の喜びもたくさん感じています。

なのに、そういうことを他人に話をしていないんですよね、多分。

仕事では「些細なことでもどーぞ」と言って、本当にいろんな話を聞きます。
悩みに限らず、いろんな出来事を聞きます。

でも、自分は積極的に話をしていないんですね。
そりゃ、聞かれれば話するし、仕事の中で共通項が見出だせると思えば、話題提供はします。

自然に話するということは、少ないんです。

深刻な悩みに直面していなくても、そんなものなのかもしれません。

話す癖が無いから、話す習慣が無いから、気がついたら「抱え込む」という状態になっているのかもしれません。

恐らく話し出せば耳を傾けてくれる人はたくさんいるんです。
何故なら、みんな何かしら聞いて欲しいこと、を持っていて共感しやすいし、「人の悩み相談」「大変な話を聞く」というのを聞くのが好きな人はとても多いからです。
「聞きたい」し「役に立っている感」を得たい人は多いと思います。

だけど、やはり習慣(文化なのかもしれない)が無いから、抱え込むようになってしまうのだと思います。

「なかなか聞いてもらえる人がいない」というフレーズにはよく出会います。

潜在的には聞いてくれる人は多分いるんですが。

そこにニーズがあるのなら、ぐるんぱとして場を考えていって良い気がしています。

座談会みたいなのは宗像もいくつかあります。
個別となると、どれだけあるのか…。

保護者のガス抜きをして、親子関係や家庭環境が改善して、子どもにとって利益になるのであれば。

やはり基本は家庭です。

ガス抜きの場を用意することが支援になるのであれば、それもありかな。

子どもに直接的に働きかける以外の支援、子どもに関わる必要性の無いケースもある気がする今日この頃。

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