社会全体を見渡したときには「療育」という言葉はまだまだ認知度は低い気がします。
関係者の中では当たり前のように使われますが。
その為か、どうも療育というものを特別なものと思い込んでいる人が多い気がします。
もちろん訓練あるいはトレーニングと言われるような取り組みを専門的にしていくことも療育には含まれるのですが、そういうものでさえ、日常に根差したものです。
日常を少しでも、より豊かにするということに繋がるものです。
いくら専門的なことをしていても日常(あるいはこれから先迎えることになる日常)と結び付かないことであれば意味はありません。
裏を返せば、日常に根差した支援であれば、それは療育と言えるでしょう。
専門的なことでなくても、靴を揃える、手を洗う、排泄が自立する、風呂に入れる、食器が洗える…こういうものを獲得していくことを目指すことも療育です。
むしろそういうものをせずにトレーニングばかりしようとしても、生活は整いませんし、豊かにもなりません。
何が言いたいか?
「療育」なんていう言葉にとらわれずに、日常を丁寧に過ごすこと、丁寧に生きること、それ自体が「療育」だと知ることが大切です。
そして、もう一発ジャブを入れさせてもらうなら…
そういう「丁寧に過ごす」「丁寧に生きる」ことが療育なのだから、「経験がない」「分からない」なんていう言い訳は出来ない。
出来ることやっていきましょ!
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