子どもたちや家族の「今」の支援が、これから「先」に繋がるものである、という認識と覚悟を持ちながら、仕事をしていきたい、そう思っています。
ただ、この「先」というのが難しいと思います。
子どもたちは楽観視しがちです。
大人は不安視しがちです。
子ども自身がまだ見ぬ、あるいは思い描けない「先」のために「今」していることがどう活きるのか、「かもしれない」という可能性と「そうあって欲しい」という願いを込めて、対話(と言えるのかも分からない)をしてしまうのが、果たして良いことなのか…。
今が先に繋がるというのは、経験によって知り得ることで。
かと言って「今」何もしないのは、逃げのようで。
腫れ物に触るような、危険物取り扱い注意みたいな、そんな関わりは健全じゃない。
子どもが葛藤するなら、僕は僕の葛藤をしながら、「彼」の側に。
それだけは止められない。
0 件のコメント:
コメントを投稿