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2016年7月22日金曜日

本当にそれで肯定感は育まれるのか?通知表の今昔

夏休みの始まり。
つまり1学期が終わったということですね。

学期末と言えば通知表、良い悪いで僕も一喜一憂していた記憶があります。

その通知表が今と昔とでは大きく違うところがあります。

「よくできる」「できる」「もう少し」

これが今の評価区分。

以前は違っていました。

「できる」「もう少し」「頑張ろう」

だったのです。

もちろん学校や自治体によって言い回しが違うかもしれませんが、概ねそういう感じでした。

今は「出来ている」部分を分けて、「苦手」というところを一まとめにしていて、以前は、「苦手さ」をどのくらい苦手なのかを分けて評価していたということです。

僕自身の個人的な考えではありますけど、「よくできる」と「できる」を分ける必要があるのか?という感じがします。
特に小学校の通知表などは。
100歩譲って中学校は受験もありますが…(それでも理解はし難いです)

それより「とても苦手なのか」「惜しい」感じなのかを知る方が良い気がします。

それによってサポートの仕方が変わりますから。

「出来ている」子たちは「勉強の仕方を含めて出来る」でしょう?

教育現場では、個別に、手厚い、という風潮が高まるのに、現状を保護者に伝える面でぼかしてしまっているのでは?と思います。

だから必要なサポートが届くまでに時間が掛かることが出てくるのです。
「うちは必要ないだろう」と。

自己肯定感云々の風潮から生まれたもののようですが、ぼかしているだけで、正確な現状を知らなければ、「見て見ぬふり」「臭いものに蓋をする」のと変わらない気がします。

自己肯定感は、「ありのままの今の自分を受け入れること」から始まるのではないですかね?

良いところ、コンプレックス、諸々を見ないと。

「苦手さ」をぼかすのが、自己肯定感に繋がるとは、思えないんですよね。

いろんな意見があると思います。
お待ちしてます(笑)

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