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2017年9月18日月曜日

なんで地域なのか?

数日前にある方とのやり取りをしてから、改めて僕が「出来るだけ地域で」という事を掲げて活動しているのは何故か、について考えを巡らせる時間が増えています。

憲法にもある「健康で文化的」に生きていく権利を、みんな持っているんです。

その権利の保障に向けて、出来ることをしていきたい、というところかもしれません。

いろんな事業所、施設もこれまでに見てきて、話にも聞いてきて、世界の広さというものを感じてきました。

それこそ地域で生活することに困難さがあり、医療施設、福祉施設での生活が良いというケースがあることも承知しています。

そういう施設の必要性も感じています。

「文化的」ということの前に「健康」が来るのです。
命を繋ぎ止めるという事が最優先で行われて、本人や周囲の身の安全を最優先にして…
そういうこともあるのです。

そういう事を知って、僕は地域で生活することを大切にしたいという思いをより強くしてきました。

仕事を始めたときにはあまり考えていなかったかもしれません。
地域共生、みたいなことは。

いろんなことを見聞きして、実際に本人や家族の思いや想いに触れて(正確に受け取れている自信はないけれど、僕の感じるところで)、家族とか家庭とか地域とかに触れながら生きていくことを、ほとんど多くの人が願っているように感じています。
繋がっていたい、のだと。

孤立させない(物理的にも精神的にも)ということが大切なのだと感じています。
これが僕のしたいことかもしれません。

その為には福祉、教育、医療が連携して横断的な支援を提供していくのです。

その一端を担うという自覚を持ちながら仕事に向かいたいと思います。

もう少し。

僕の日常の支援は地味で華もありません。
僕のこと、僕の活動のことなんて宗像という狭い範囲で見たって、知らない人の方が多いんです。

啓発、ということで言えば実に地味です。
ゆっくりです。

テレビで取り上げられるような「周囲を」感動させるような話には到底なりません。

でも僕が今関わっている子どもや青年たちもそうだし、僕自身もそうですが「周囲を」感動させるためにしているのではないんです。
「彼らの日常」としての支援です。

僕と彼らの間には、それはそれは小さな感動があります。

時には周りにも与えられるかもしれませんが、自分たちの中で味わうことが第一です。

特別なものにしない、ということが大切。

出来事も、想いも、思いも。
そして存在も。

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