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2017年11月16日木曜日

「なんで早く分かったと?」

放課後等デイサービスえるそるむなかたでのサポート中のこと。

小学校1年生のS君、女性支援員、永田の三者。
以下S、支、永とします。
「」は実際に飛び交った言葉。
()は僕の、その時の思考。

S「誕生日いつと思う?」
永「?」
S「ボクの誕生日12月のいつと思う?」
永「1」
(まったく情報がないけど…まずは「1」から順番に数字出してみるか。下旬だとしたら途中でシビレを切らすだろうな。どのくらいでシビレ切らすかな♡)
S「違うよ」
永田「2」
S「正解!」
永田「そうなんだね」

僕とのやり取りの直後に、ずっと横にいた女性支援員へ向き直って。

S「ねぇねぇ、僕の誕生日12月のいつのことと思う?」
(ほぉ~、君の中で『場』は1対1になっちゃうわけね。よーし続けてごらん)
支「2日」
S「え?なんで?」
支「何が?」
S「なんで早く分かったと?」
支「聞いていたからだよ」
S「?」(きょとん)

文字にしてしまうと見えにくくなるけれど、すぐ横にいた女性支援員さんへ同じクイズ出したのは、わざとではなかったと僕は見ています。
(女性支援員さんはどのくらいで当てられるかな?)というイタズラっぽい表情をしていたというのが一つ理由としてあります。
他にも女性支援員の「聞いていたからだよ」という最後の一言への反応の示し方も、何を「聞いていた」のかがピンと来ていない様子だったことからも確信に近いものがあります。

わざとではない、という前提の下ですが、これは今後の彼の支援を考えていくためのヒントになると思います。

ちょうど彼についてのケース会議を通して、「風を怖がっているようだ」「高学年の子たちの遊びについていけていないようだ」「モノの共有が難しいようだ」というような情報も僕の元に届いたところでした。
併せて、怒り出したり、人をたたいてしまったりすることもある、と。

これらの情報で、僕は彼の困り感は「見通しの立たなさ」から来るところが大きいように思いました。
風は、目に見えず、いつ吹くかわからなくて、音の出どころなども唐突で「見通しが立たない」。
高学年の子どもたちの遊びの展開のスピードやルールの複雑さから「見通しが立たず」は入れない。
モノの共有についても、事業所内の物品や支援員という人についても、占有出来るモノでもなく、所有権が「見通せない」。

そのストレスから怒り出しちゃったり、人を叩いちゃったりしてしまうという具合に僕は考えています。

この場面でも女性支援員が会話を聞いていたことを「見通せていなかった」訳で、彼の情報収集の視野と言うか、認知出来る視野の広さというか、生活視野とでも言うべきか…そういうものの広さが見て取れます。

この広さであるから、他の支援員から寄せられた情報や場面でも「見通せない」という点も遠からずかな、と思います。

彼に対して、どうやって、どのくらい見通しを立たせるか?というところで、困り感を幾分か解消できるのではないか?と思います。

風について見通すということは難しいかもしれないけれど、風が強いことで鳴る物音が、どこから出ているのかを説明する。
高学年の遊びについて整理して伝える。紙に書いたり、一度彼のために確認しながらしてもらうことを他の子に協力してもらう。
モノの共有は、ルール化できるところはルール化して、ルール化が難しくても彼がいつになったら自分の番になるのかなどを、「彼がわかるように」説明してあげる。

こういうことの積み重ねだと思うのです。
安心出来たり、楽しい体験を重ねられたり、みんなで一緒にみたいな体験を重ねたり…自信とか自己肯定感とか、自尊感情とか、そういものを育むことって。

決して特別な一手があるわけではなくて。
集団生活を通して社会性を育むっていうのは、一朝一夕で出来るものではないから、コツコツとさりげない手立てを積み重ねて、周囲と上手に過ごせる体験を積んで、他者への安心感とか、他者を信じるということをしていくことで、身に着けていくものだと思います。

支援者もまた、困り感に遭遇した時だけで見ようとしてもいけないのだとも再認識しました。
日常のコミュニケーションを通して、子どもたち一人一人の様子を把握して、そこから子どもたちの発達段階や困り感との関係性を読み解いたり紐解いたりしていくということをしていかなくてはいけないのだと思います。

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