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2017年11月24日金曜日

決してスピリチュアルな話をしているわけではない。子どもの姿の捉え方の話

今から書くことは、決してスピリチュアルな精神世界の話ではないです。
僕の、子どもの姿の捉え方。
それから、経験則による話です。

子どもの情緒の様子は身体の状態に表れます。
子どもに限らずですけれどね。
分かりやすいのは「緊張したらお腹が痛くなる」みたいなこと。
他にも「憂鬱なことがあると頭痛や微熱が出る」というのもよく聞くし、よくある話。
それと似た話です。

小学生女児のEちゃん。
プール、本当によく頑張っています。
今日はそんな彼女がいつもと少し様子が違いました。
プールのロビーで顔を合わせた時にも「ん?少し固いかな?」という違和感がありました。
表情も頬の辺りが固い感じに見えたし、歩き方も上半身が緊張していていつもより動きが少なかったように思いました。

お互い更衣を済ませて、プール室で合流したら、やはり固い。
体操の時に手を繋ぐ場面があるのですが、そこでもカチカチでした。
すると、入水して直ぐに「あーーー」と大きな声を上げるという行動がありました。
それでも「そうか、今日はそういう感じなのね。まずは泳いでみようか。泳ぎにくかったら過ごし方変えるからね」と前置きして、泳ぎ始めてみました。
泳ぎ始めてみたら、いつも通りに戻れるということもあるかもしれませんしね。

1周目。
ビート板キック。
途中でビート板を抱え込むように身体を丸めて中断する場面も。
うーん、厳しいかなぁ。
2周目。
背泳ぎ。
足を動かすのを止めて足を組んで、やっぱり身体を丸めることが。
背中辺りを触れたら、“いつも頑張るときよりも下の方”が固くなっていることに気が付きました。
これは、一旦中断だな、と判断。

そこから彼女には仰向けで浮かんでもらって、僕が下から支えて、身体をゆらゆら揺らすという体操(?)のような体ほぐしをしました。

身体が緊張していると、揺らしても身体がカクカク動くんですよね。
それが徐々にほぐれてくると、滑らかにうねるようにゆらゆら出来るようになってきます。
5分ほどしたら、だいぶほぐれてきたので、元々のプールのメニューに戻りました。
ゆっくりゆっくり。
戻って直ぐには声が少し出ましたが、直に落ち着いて、とっても柔らかく泳げるようになりました。

僕はこういうプールもします。


彼女の緊張していたのはちょうど、へその裏くらい。
本当に腰と背中の間くらい。
彼女が“いつも”頑張ったときに固くなるのは、もう少し上の肩甲骨辺りから肩、首。
割と上半身の中でも上の方ですね。

今日みたいな時、僕はこう考えます。
「いつもより深いところで頑張っているな」と。

慣用句で「腑に落ちる」という言葉がありますよね。
この「腑」は肝を指しています。
あるいはこの慣用句の話で言うと「心の底」を意味します。

慣用句やことわざって、結構的を射ていることってありませんか?

納得が深まると「腑に落ちる」と言うように、気持ちが深まると身体の低いところに「何か」変化が起こることが多いように思います。
緊張もちょっとしたものならちょっと手が震えるとか、唾液が増えるとか、目に見えるところで起こり始めるのですが、緊張が強まると、お腹とか目に見えにくい深いところで「何か」が起こり始めるのだと思います。

今日のEちゃんの固くなっていたのは、まさに「腑」「肝」のような、“深い”ところ。
我慢なのか、踏ん張りなのか、辛さなのか…そこまでは分からなかったけれど(個人的には「つかれたよーー!」って聞こえてなりませんでした)。

「肩ひじ張って」という段階よりも、もう少し深いところまで気持ちを下ろして頑張ってきてしまっていた感じでしょうか。
身体が固くなっていたのは、そこに蓋をしていた感じですね。

それが身体の状態で表れていて、上半身の動きは少ないし、低い場所が緊張していた、というように僕は考えます。

プールという場は、多くの人にとって、もちろん彼女にとっても、リラックスできる場になります。
それで、蓋をして頑張っていたところの蓋が外れて、声として表出したのではなかろうか?と思います。

そう考えると、そのまま帰すわけにもいかないし、彼女の「声」を聴いたら、僕のすべきことは、ゆらゆら体操というところに行き着きました。

気持ちが身体に表れるのなら、アプローチしやすい身体からアプローチして、気持ちに働きかけれるのではなかろうか?と。


こういう話も僕自身の感覚としてではなく、共有できるように、整理して体系立てて話せるようになれば良いのだろうけれど。

どうもスピリチュアルな匂いが漂う気がして、自分の表現の無さが情けなくなる(笑)

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