小学5年生のS君。
最近ずっとピリピリしている感じが僕の中ですごーーーく気になるのです。
彼に対して、今の僕の関りが良いのか悪いのか…そんなことも考えさせられます。
当然支援というのはある程度計画があるわけですが、日々の関わりの中では支援者自身の、その時々の見立てや手立てで時間が流れていくことも多いです。
だから子どもの様子の捉え方にしても「僕から見て」というところが出発点になります。
この「僕から見て」というのが難しい。
「僕から見て」必要と思うことが子どもにとってどう影響するのか。
初見ではなくて、継続的なかかわりの中で見えてくる変容を考えると、そうズレているとも思わないのですが、その時々を切り取ってみると「良かったのだろうか?」と頭を悩ませることになるのです。
最近、書字が著しく乱れていて、彼自身が書いた文字なのに本人でも読み間違えをするほどになっています。
文章であれば前後の文脈から読めないこともないのですが、算数でもそうだから大変です。
数字の読み間違い、写し間違い、書き間違いが多発。
今まで難なくこなしていた計算で躓きが目立つようになってきてしまいました。
本人も歯がゆさを抱えている様子です。
毎回「先生、宿題見てください!」と愛らしい声で呼んでくれるのですが、最近は僕との学習を始めても直にイライラを募らせています。
単純な割り算、引き算のひっ算でも桁を間違えたり、数字を「0」と「6」の違いが曖昧になっていて計算ミスをしたりします。
この字の乱れがイライラの引き金になっているものだから、都度気になる文字を「慌てなくて良いから書き直してごらん」「読めないよそれじゃ」と伝えています。
それはそれで「またか」とイライラを募らせてしまうようですが。
「僕から見て」その訂正は必須。
ただ空欄を埋めれば良い、というものでもないし、本人もそれで良いとは思っていないから伝えるのですが…
あまりにいら立っている彼を見ると、「一旦、ここはやり過ごした方がいいのか?」と思ってしまうこともあるのですが、「いや、気づいていること、思っていることを伝えないのは、それこそ彼に失礼」と自分に言い聞かせながら、彼とやり取りを重ねています。
その一方で「僕も意固地になっている?」と振り返ることもあるのですが…
半ばケンカ腰になりながら彼も僕に「なぁーんでーー?」と突っかかってきます(笑)
僕の方も「僕は別に困らないけれど、それであなた自身納得していないでしょう?」と突き返します(笑)
イライラしていて面白くもないから集中力も低下していて、他のことが直ぐに気になる。
僕と話していても突然他へ注意が反れたり、自分の話を始めてしまったり…
しばらく待ってみても、エスカレートするばかりで、自分で戻ってこれそうになくなるのです。
すると「ほら~、また目の前のことを雑にしている」と僕もつい口にしてしまいます。
(これは良いのか悪いのか、しっかりと振り返るべき点だと思っています)
少し前まで、彼はそんなことがなかったのです。
多少波はありましたが、落ち着いて、目の前の人としっかりとやり取りをして、僕との学習もイキイキとしていました。
ケンカっぽくなりながらでも終わったときにはホッとした顔を見せるし、その直後には「先生、後でスピード(トランプの)しよう」と誘ってきます。
だから「アカン」関りではなかったのかも、と救われますが。
それで満足しているわけにもいかない。
何があったのか、何が彼をそう苛立たせるのか…
それを知らなくては。
そこに寄り添わなければ。
目に見える課題というか躓きの一つとして書字の乱れがあり、僕の立場から比較的働きかけをしやすいところと踏んで、彼とのやり取りのツールに選んでいます。
とにかく「出来た」という体験を積みなおしてほしいし、「そうだ、僕はできる」というように思い出しても欲しいのです。
そういう思いと「この関わりが彼をいら立たせている」ということの間で珍しく揺れた時間でした。
いえ、まだ自分の中で「いざとなったら方針転換だ」と考える余裕は残していますが。
さて、次回、彼とどう向き合うか振り返りと検討だ。
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