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2017年11月7日火曜日

「お母さん」という存在

「お母さん」という言葉。

存在であって、一つの概念でもあります。


息子がこの「お母さん」について、ちゃんと理解し始めていることに気が付きました。

もちろん、「自分のお母さん」を見れば「ちゃあちゃん」という一人の女性を認識します。
他の女性を見ても彼にとっては「お母さんではない」のです。
当然です。

じゃぁ、他の人だとどうなのか?
今日、散歩で出会った親子を見ても彼の中に、「お母さんと子ども」という関係性は見えないようです。

僕が目の前の親子について「女の子」という呼び方と「お母さん」という呼び方をそれぞれすると、「お母さん」が自分のお母さんだと勘違いをして、きょろきょろと「自分のお母さん」を探し始めました。

けれど、保育園で「お友達のお母さん」を見て、その時に「お母さん」と言っても、自分のお母さんだとは思わないようです。
「○○ちゃんのお母さん」という認識を持つようです。

毎日のように顔を合わせる子同士、よく見ているんですね。
お互いのことを。

お友達にとって大切な、唯一無二の存在であるということを見取り、自分にとっては「お友達のお母さん」であるということを察するのです。
自分にとっては「お母さんではない」ということも。


それが初めて会う、短時間の交流相手だと、その関係性まで見取ることができないのでしょうね。
もう少し。

がんばれ、息子よ。

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