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2017年11月21日火曜日

自分のものにして、日常にして

先週から新しくプールに来始めたCちゃん。
未就学児の女の子。
今日で2回目。

お母さんと共にプールに到着。
挨拶をした後、まずはお母さんへ。
「前回終えてから体調とか情緒とか変わりありませんでしたか?」
と尋ねてみたところ、
「なかなか寝なくって」と。

21時ころに寝たのだけど(お母さんのお話しぶりだといつもよりかは遅めなのかもしれません)、夜中の2時に目覚めて5時まで起きていたとのこと。

うーん、それはよろしくない。

先週プールを終えたときにはとてもいい表情をしていたのですが、嬉しさ余って、ドキドキもあって、興奮しちゃったのかもしれませんね。


永田的に表現するならフワフワしたまま帰しちゃったかな?というところ。

そこで今日は少しメリハリをハッキリとつける作戦で。

基本的には楽しく。
これは外しません。
ただ、今日は「お助けマン」の登場を少しゆっくり目に。

まだまだ水の中でははしゃいで、水の怖さも知らぬ年齢。
前回は初回ということもあって、お助けマンの登場が早くて、あっぷあっぷなる場面がほとんどありませんでした。

けれども、今日は少し遅らせて、「やり過ぎちゃうとあっぷあっぷなっちゃうよ」というところを目指しました。

ビート板を手放したり、プールサイドの縁につかまっていても手放してしまったり…そういうことをしてしまうのですが、まずはあっぷあっぷしてもらおうか、と。

「あっぷあっぷなっても助けてくれる」「だから私はしたいようにするわ」と、一見楽しんでいるようですが、そこ(彼女の中に)にほとんど僕の存在が入っていなかったのかな?と思いまして。

お助けマンを遅らせたらどうなったか?

僕の存在を意識し始めました。
手を伸ばしてきたり、目を合わせてきたり。

その結果、ビート板につかまって自分でバランスを取りながら水の上に浮かぶことが出来るようになりました。

「一緒にやっている」という感じを味わってほしいし、「どう出来てる?」でも良いし、「教えて!」でも良いし、「見てみて!」でも良いから、一緒にやりつつ「自分でしている」という実感を持ってほしかったんです。

僕が「させている」のではなくて。
彼女が「自分でしている」という実感が欲しかったんです。

そういうものを味わってくれた1時間になったんじゃないかな?

帰り際にとっても上手にお辞儀の挨拶をしてお別れしました。
また、来週ね。

さて、今頃、どんな様子で家で過ごしているかな?
ぐっすり眠っているかな?
まだ興奮しちゃってるかな?

ゆっくり歩調を合わせましょうね。



楽しければ、と言う事でもないんですよね。
やっぱり。

「楽しそうにしてくれている」というのは親にとっては励みになります。
僕もそうです。
我が子とのことを振り返ってもそうです。

でも思うんです。

それって、最初の数回だな、って。

どんなに子どもが楽しそうにしていても、例えば興奮して眠ってくれないことが続くと…迷い始めちゃうと思うんですよね。
「楽しそうにしているし、この子のためとは思うけど…きっと今夜も眠れないんだろうな」という具合に。

そうなると、頑張る(続ける)ことが大変になってきます。

そういうことも含めてプールは展開していきたいんです。
僕との関係が良ければそれで良いなんてことでもないし、子どもが楽しければ良し、でもないし。

プールに入るのは僕と子どもだけど、親子、家族も含めたプールなんです。

そういうこと。

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