1985年生まれ福岡県宗像市在住。西南学院大学国際文化学部卒業。 2008年福岡県警察に入職するが突発性難聴を発症し退職。 難聴や精神の落ち込みを様々なサポートで乗り越え、支援者という立場に回りたいと考え、2009年障がい児者支援団体に就職。障がい児者に療育的プール活動と学習支援活動を提供する指導員として勤務。 2016年福岡県宗像市で療育活動を提供する知的・発達障がい児者支援団体「ぐるんぱ」設立。知的・発達障がい児者、その他困り感を抱える子どもたちへの療育的プール活動と学習支援活動、福祉事業所顧問、保護者学習会主催などの事業を展開。一般企業へも発達障がい啓発・対応研修も行う。 「オムツの取れなかった10歳児がプールを始めて3か月でオムツが取れた」「家庭学習が定着した」「自傷・他害行為が減った」「従業員の仕事効率が上がった」など各家庭や社会生活に寄り添う支援を実践。 お問い合わせは、下記のいずれかへどうぞ。 メール:gurunpa.munakata@gmail.com 電話:090-5724-0660 ぐるんぱHP:http://gurunpa-munakata.jimdo.com/
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2018年4月29日日曜日
公開授業で見える子どもの世界
2018年4月26日木曜日
忘れ物をしたくない、という願いに寄り添って道具作り
1枚目が表。
2枚目が裏。
3枚目は実際に設置したもの。
学習サポートで関わっている男の子。
彼は忘れ物が多いということに困り感を抱えています。
お母さんとのお話の中で、これまでの忘れ物に関するエピソードをいろいろと聞かせていただきました。
もちろん、それに対してメモを用意するなどの対策は講じてきたとのこと。

ここ最近では、新年度で配布物、提出物が多いのですが、それらをお母さんに渡すことも忘れてしまい、提出物もそのまま持ち帰ってきてしまうということを繰り返していたようです。
連絡帳にお便りを書いても提出し忘れることがあり、保護者と先生との意思疎通にも支障が少し出ていたとのことです。
連絡帳の記入する事も忘れて帰ってきてしまい、宿題が分からない、提出期限が分からない、その他の連絡事項が分からないということも頻発していたようです。
結局お母さんが学校に電話して…ということになってしまっていたらしいのですが、今後のことを考えても、こういうところを解消していきたいというのが、本人とお母さんの希望でした。
そこでなんとか手立てがないものか?と思い、先日の学習サポートの時間の中で、子ども本人と話をして、これまでにしてきた取り組みについて聞き、朝学校についてからの様子を聞き…朝はどうやらお友達と遊びたいという気持ちが先走って、カバンの中身を机に移す時には既に、目線が他へ向いてしまう、中身を確認せずにまとめて机に入れてしまうということが見えてきました。
帰りには、みんなが連絡帳を書いている時間にもついついお喋りをしていたり(本人曰く、他の子はおしゃべりしながら書いているようだけど、自分は書けないでいるそうです)、先生の話を聞きながら書くという事にも難しさを抱えていたりするようでした。
そこで、「カバンから目を離すと朝も帰りも支度が出来ない」という一手間を挟んでもらうことにしました。
これで、嫌でも目に入るかな?と。
これまでメモをカバンに貼ったり、連絡帳に貼ったりしてきたものが機能してこなかったようなので、もう少し存在感のある仕掛けである必要性を感じました。
そこで、この形。
表面の右半分に朝に確認すること。
左半分に帰りの支度時に確認すること。
裏面は、翌日の準備をするときに確認すること。
という形で、用意してみました。
(チェックばかり、というのが少々気になるけれど、習慣が身に着くまで…本人も気にしているし)と言い聞かせて作りました。
マグネットシートに油性ペンで必要事項を書き、その日ごとに忘れたくないものは、ホワイトボードマーカーで記入するという形式を採ります。
固定するものも、ネックストラップを採用。
原則ランドセルですが、遠足のように普段と違うバッグを使う時にある程度使いまわしが出来ることを考えて。
製作開始当初は、紙に書いたものをラミネート加工して、釣り糸のような目立たないもので固定ということを考えましたが、作ってみたら軽くて、カバンの開け閉めの勢いに釣られて、確認せずともカバンの中身が丸見えになって蓋の機能を果たしませんでした。
そこで重みのあるマグネットシートに。
あとは使い勝手を見ながら修正の必要性があったら多少手を加えるということも考えてますが、それは追々。
とりあえず、本人も使用することに抵抗を示さずに、「これならいけるかも」という前向きな気持ちでカバンに着けてくれたようで良かったです。
目立てば良いというものでも無くて、本人が嫌がらないものであることはとても大切です。
提出物等は恐らく、習慣づけば道具なしでも出来るようになってくるであろう子です。
習慣づくまでのサポートアイテムです。
ある程度の時間を置いて、様子を見たら次は、アイテムを外すための段取りを考えていきます。
そこまでしていかなくてはこれも意味がないのです。
道具が出来た、で終わりではなくて、ここから。
「ぜったい出来るよ」
息子。
保育園に通い始めて1年。
毎日毎日を、強くしなやかに踏みしめて、実感しながら過ごしているようです。
そして、何より楽しく健やかに。
彼は最近、どんどんと言葉が増えてきていて、保育園での様子も自分で聞かせてくれるようになっています。
例えば「えっとねー、あのねー、きょうねー、ホールでボールあそびしたよ」とか「さんぽいってね、あかいブーブーみたよ」とか「だんごむしちょんちょんしたよ」とか…とてもイキイキと話してくれます。
これだけでどんなに素敵な時間を保育園で過ごしているかが分かります。
保育園の先生方には感謝です。
家での事です。
ここのところお風呂の中でシャボン玉遊びに夢中の息子。
石鹸をお湯で溶いた簡単な自家製シャボン玉液ですが、お風呂で遊ぶには十分。
ただ、いつも大雑把な目分量で作るので、調整しながら作っていきます。
日によってはなかなか上手くいかないこともあるんですよね(^^;
そしたら彼がこんなことを言いました。
「ぜったい出来るよ。だいじょうぶよ」と。
多分、保育園でいろんな場面で励ましてもらったり、挑戦したりを繰り返しているのだと思います。
「乗り越える」ために。
「頑張れ」だけでなく、「出来るよ」「大丈夫よ」という包み込むような言葉と共に励まして貰い、見守ってもらっているのだと思います。
僕は立場的に指導的な関わりがどうしても多くなり、子どもたちを励ましながら、一緒に過ごすことが多くなります。
今息子に関わってくださっている方たちのようにおおらかな心持ちで、子どもたちへエールを送りながら、共に乗り越えていきたいと思います。
もちろん我が子とも。
僕…というか、僕ら家族は、ものすごい幸せなんだと思います。
ぐるんぱも出会う子どもたちにとって、家族にとってそういう場でありたいものです。
2018年4月23日月曜日
お問い合わせをいただきました。
恐らく来月からプールスタートになるであろう、というお問い合わせです。
ぐるんぱでは、原則支援開始の前に保護者との面談をしております。
今日お問い合わせいただいた方とも近々中に面談する予定です。
新しい出会いを想像すると楽しみです。
面談というのはお互いにとっての準備です。
もちろん、面談の中でぐるんぱのことについてもお話をします。
その上で、ぐるんぱの支援が必要かどうかをご家族でご検討いただければ、良いということです。
ぐるんぱとして出来ることが必ずしもお問い合わせいただいた方に必要だということもないでしょう。
必要に応じて支援は行われるべきですし、不要な支援は外していくべきです。
それを知るための面談。
まずはお尋ねくださいね。
僕はそういう意識で学習とプールを通して支援にあたっています。
しなやかに、すこやかにそういう支援者でありたいと思っています。
4月度支援者の集い
昨日は6名でお話をする時間を取りました。
今回も僕の方で、実践の場面を用意していましたが、みなさん、さすが実践者で話題の豊富なこと(笑)
僕の用意した資料を少し目を通してもらって言葉を交わし始めて直に、それぞれの引き出しを開けてトークが始まりました。
自分の持っていない、他の人の実践を聞けるのは勉強になります。
間違いなく自分の栄養になっていく時間だと実感を得られています。
その人が、その時どう考えたのか、どう動いたのか。
自分ならどう考え、どう動くか…
ちょうど前日にも揉まれて(笑)帰ってきたところなので、アンテナもビンビンでした。
自分一人で学べることの幅は限られているなか、他の人と共に学びを得られるのは本当にありがたいのです。
加えて、後半は僕は参加者のMさんと二人でかなり話し込んでしまいました。
ここでは、割と“社会”みたいな広いフィールドについて語り合っていました(というか話し散らかしてしまった感じかもしれないけれど)。
とにかく皆さんの表情を見る限り、充実した表情で帰って頂けたので良かったのかな。
さ、来月も開催します。
来月は5月20日を予定しています。また、追って詳細をお知らせしますのでお楽しみに。
2018年4月21日土曜日
子どもたちと共に歩む力(集団作り部会に参加して)
宗像から福岡市まで1時間くらいあるのですが、今日は「放課後等デイサービスえるそるむなかた」のY先生と、同じく「えるそるむなかた」にアルバイトで来ているFさんにもお声掛けをして、一緒に乗り合わせて向かったので道中も支援のこと、子どものことを話しながらのドライブで行き帰りも楽しい時間になりました。
今日行ってきたのは、保育士さんたちが中心の学び場だったのですが「集団作り部会」なる部会にお邪魔して勉強させてもらいました。
Mさんの実践を検討する時間だったのですが、先輩方の読み解く力に圧倒されてしまいました。
話の展開も早い早い(笑)
頭の回転がのんびりな僕はしょっちゅう「?」が浮かんでいました(笑)
一つの場面についても詳細を掘り下げて、その場面について議論をしていく…なんかうまく言えないですが、「生きた」勉強という言葉が僕の中ではしっくり来る学びの場でした。
実践を分析する力、これが僕にはまだ不足している気がします。
自分の実践を振り返ることはもちろんしていきます。
でもそれを「分析」というところまで持っていけていない。
だからまだ試行錯誤が多いのだと思います。
先輩方に学びたいと思います。
でも、臆せずにとりあえず感じたことや考えたことを口にしてみるということはできたかな?と思うので…いや、訓練していきます!
一言に「発達」とか「成長」とかいうけれど、いろんな視点、いろんな側面があるのだと思います。
偏らず、思い込まず、子どものありのままを捉えて、共に歩んでいく力に繋がる学びを重ねていきます。
お喋りが必要
先週は、体調を崩してプールをお休みしていました。
(多分、これもある種のストレスからくるものでしょう)
そして迎えた昨日のレッスン。
いつもとおしゃべりの量が変わるわけでも、特別な話題が出てくるわけでもないのですが、話し方?なんか彼の声や表情に「訴え」のようなものを感じました。
割といつもお喋りは多い彼ですが、なんだか昨日はバランスを取るようにしているように見えました。
いつもの彼が、「おしゃべり好き」だとしたら、昨日の彼は「話す必要がある」というような感じ。
耳、というより心を傾ける、そんなイメージを持ってレッスンを展開。
やることを特別変えるわけではありませんが、頑張っているであろう彼を労う?励ます?そんなやり取り。
なんか慰める感じは違う気がして、いつも通りのプログラムをこなす中で精いっぱい、僕からの「メッセージ」を伝えてきました。
多分、しばらく「がんばり」の時期が続くのでしょう。
彼がこれからも「バランス」を取れる場であるよう、毎週待ちたいと思います。
2018年4月20日金曜日
【お知らせ】支援者の集い平成30年4月度の開催日!
日時:平成30年4月22日(日)14:00~17:00
場所:放課後等デイサービスいーりすむなかた
参加費:500円(茶菓子・資料代として)
申し込みは以下のいずれかの方法で永田まで。
電話:090-5724-0660(永田携帯)
メール:gurunpa.munakata@gmail.com
他FacebookメッセンジャーやLINEなど個別のメッセージでも構いません。
支援者にとっての止まり木のような場を目指して、場を用意していきます。
実践について語り合ったり、困りごとについて相談しながら、参加者にとって有意義な時間を持てたらと思います。
それぞれの事業所の役割は大きいです。
ただ、その一方で、事業所という枠にとらわれることなく支援者同士が繋がっていくことも地域づくり、子どもの居場所づくり、支援には必要と考えています。
事業所間の連携も行われつつありますが、他事業所との窓口になる人は限定的というところも多く、そうでない人たちは、他事業所の人たちとの接点も少なくなりがちです。
そういう永田的に気になることの補完になれば、と思い企画していっています。
ご都合許す方、興味のある方はご遠慮なく参加ください。
まどろっこしい、大人の事情なんて抜きに子どもたち、青年たち、支援のことについて考えたり話し合ったり、時にはくだらないことで笑いあったり…のんびり、じっくり定期開催中です♪
言葉以外のコミュニケーション
2018年4月19日木曜日
「外に行きたい」「帰らせろ」
パニックって、「ついつい鎮めようとしてしまう」と思うのです。
でも、パニックもまた、表現の一つだということを忘れてはいけません。
気持ちを溜めて、溜めて、溜めて…ドカーン。
そういものなんではないでしょうか?
それを安易に鎮めるというのはいかがなものか?というのが、僕の考え方です。
(そもそもそういう気持ちの表われを「パニック」と呼ぶこともあまり好きではないのですが…)
今日(日付は昨日か…^^;)、「放課後等デイサービスえるそるむなかた」で、そういう、いわゆるパニックを起こした子どもへの対応に入ったので、記録的に残しとこうと思います。
職員室でスタッフさんと打ち合わせをしていた時に、隣室で何やら子どもがパニックっぽくなり、キンキン声を上げていました。
(今、こうして振り返っても正確に言うとやっぱりパニックではないよな)
彼の主張はこう。
「外に遊びに行きたい」
「遊びに行けないのなら帰らせろ」
主にこの二つ。
実に子どもらしい主張で可愛らしい主張です。
けれど、職員の人員の関係で直ぐには無理だったのです。
残念ですけど、そういうことってあります。
安全面にも関わりますしね。
職員さんは「今はムリ」「だけど、玄関先の土間ならいいよ」という妥協案を提案していたのですが、それに納得出来ないようで、徐々にエスカレートしていってました。
しばらく耳を澄まして職員室にいたのですが、綱引き状態が長引いてきたので、ちょっと堪え切れずに介入してしまいました。
彼の様子を見たら、なんかくすぶっているような、そんな感じ見えました。
多分、新学期新年度の環境変化で戸惑いの中で生活している彼。
そんな中でとても頑張っているんですよね。
ストレスが溜まっていっているのだけど、上手いこと捌け口を見つけきれずに来ていて、出す機会を逃している感じがします。
外に出て身体を動かしたい、その彼の欲求は痛いほどわかります。
でも、今日はやはりタイミングが悪かったようです。
下校時刻がみーーんなバラバラで、職員も送迎に出ていて明らかに「今は無理」です。
(よし、外に出られないのなら、もう少し気持ちを出させてみようかな…出てこないかな?まずは煽ってみようか)
部屋の出入り口側に腰を下ろして、準備完了。
永田「どしたと?」
子「うるさい!」
永田「え?そう?あなたの声の方が大きいけどなぁ」
子「うるさい!!黙れ!」
永田「なんで?」(意地悪な問いかけ(笑))
(なんで?を掘り下げて出来れば彼の口から、「外に行きたい」の裏にある欲求を口に出させて…本人にも自分の言葉で、本音を言わせてあげたいな)
結局、今日のやり取りではそこまでいかなかったけれど。
子「いいから黙れ!帰りたいんだよ!こんなところに居たくない!」
永田「ふーん、そうなんだ。帰って何するの?」
子「もう寝る!」
永田「寝るんだ(笑)」
(「外に行きたい」っていう主張だったけど、帰ったら寝るんだね。)
この「寝る」って、多分「落ち着きたい」という彼の願いの裏返しなんだと思います。
(よし、もう少し。)
永田「『帰って寝る』ならここでももう少し待ってくれても良いんじゃない?」
そんなはずないんですけどね。
子「うるさいって!!」
永田「今はやっぱり無理なんだよね、他の子たちのこともあるし、ぜーんぶいつでもあなたのペースって訳にもいかないんだよ」
(ここが辛いよなぁ。放課後の自由な時間に制約が付くって)
でも、実際、職員側の調整だけでなくて、子どもにも折り合いをつけてもらうことをしながらでないと、場が立ち行かなくなることもあるんですよね。
だから代わりに発散させる必要があると思って、この方法を取っているのですが…併せて彼にも「足並みをそろえる」ということがここ(方デイ)でも必要だということを知って欲しいし…
僕もこの点については葛藤しながらですが、とりあえずは、この路線でもう少しやり取りを展開することにしました。
子「もーー!」
このタイミングで他の職員さんの打ち合わせする声が、彼の耳にも届いたのでしょう。
フッと静まって耳をダンボにしていました(笑)
(うん、本当に周りが見えなくなっているわけではないから、こちら側の言い分も分かってくれているんだろうね、君は。…よし、もう一押し)
永田「『もう少し待って』、って言っていて、『行かせない』とは言っていないんだけど?」
子「バカ!もう自分で歩いて帰る!外に行かせろ!お前もあっち行け!」
言葉の間も詰まってきて、いろんな主張がいっぺんに彼の口から出てくるようになってきました。
(そろそろかな…)
永田「…まぁ、今は無理やけん、もう少し待っときぃ」
(ここでガスを抜かせよう)
ここまで出入り口を塞ぐようにして腰を下ろしていたのですが、その「抜け道」を開けました。
すると案の定、彼は部屋から歩いて出ていき2階にある静養室へ入っていきました。
それまでキンキン声を発していた彼が静かに。
自分だけのスペースを見出し、落ち着ける作業に入りました。
(さ、ここから。一人の時間を作らせても、独りにさせてはいけないぞ)
部屋の直ぐそばで、中には入らなし、中から引きずり出すことも絶対しません。
ただ、彼が出てくるのを待つのです。
本当は、僕がここも最後まで責任を持つべきでしたが、他の場所へお呼びがかかってしまって、僕は退席。
他のスタッフにここまでの僕の意図を伝えて離れました。
もちろん、待っておけるのがベストですが、もしその方も場を外さなければならなくなった時のためを思って、その時には「あ、落ち着いた?」くらいにサラッと迎えてください、とだけ。
10分後くらい。
別の場所にいた僕にも聞こえるくらいのボリュームで彼が、笑って他の子と遊んでいる声が聞こえてきました。
何が「正しい」のかは分からないけれど、今日の対応は今日の対応で良かったのかな?
炭酸水のように、蓋をして振って、蓋を開けてパンパンになったものを抜く、今日のやり取りはそんなイメージ。
会話の部分も実際には10分近くあったのですが、僕的に要点はこのあたりかな。
2018年4月18日水曜日
オジサン応援したくなっちゃう!
放課後等デイサービス「えるそるむなかた」へ、学習サポートで今日もお邪魔していました。
今日はちょっとアルバイトで支援に入ってくれている女子大生のRさんについて。
とっても素敵な女性です。
子どもたちの姿をありのまま受け止めていますし、他のスタッフ(彼女にとっては先輩あるいは先生的な存在)の意図を汲み取ろうと一生懸命です。
また、勉強熱心です。
顔を合わせてお喋りする機会があると、いろいろと気になること、分からないことを報告してくれたり、質問してくれたりします。
もちろん僕の解釈というところを脱することは出来ていないかもしれませんが、僕なりにお返事をしていっているつもりです。
そんな彼女も、「えるそる」に来るようになって1年が経ちました。
今日、彼女が「私もここに来るようになって1年になるんですよ。何て言うか…もっとしっかりしていきたいと思ってて…」と胸の内を明けてくれました。
僕から見える彼女はすごく真っ直ぐ。
子どもにも自分にも。
また、授業で習う(教育大生なので)子どものこと、理論のことと、目の前の子どもの姿とを照らし合わせながら、支援の手立てを考えたり、実践したりしています。
その中で上手くいくこと、いかないこと。
分かること、分からないことを整理していっているように見えます。
素敵な姿です。
オジサン応援したくなっちゃうんです。
僕自身、素敵な先生、先輩方に育てて頂いている、可愛がって頂いていると思っています。
それと同じように僕も自分より若かったり経験が浅いという人たちの力になれれば、と思っています。
それが子どもたちの今と未来につながり、僕が出会えない子どもたちのそれらにもつながると信じています。
そして、彼女のような姿を見ると、自分の背筋が伸びる思いです。
いつもありがとう。
2018年4月15日日曜日
学童保育×作業療法 の報告会を聞いて
企画自体は10:00~12:30で、12:00までが「学童保育の暮らしと作業療法」というテーマでN倉さんによる、学童の様子に作業療法的視点での分析を加えた報告会でした。
12:00~12:30は、N倉さんの学童へコンサルに入った作業療法士の先生の解説でした。
とっても面白い内容でした。
内容すべてをここで振り返るわけにもいかないので(あまりにも盛沢山だったので)、感想というか、僕の学びの記録というか…ということだけ。
(ノートにはたくさん、内容と共に、聞きながら考えた思考の記録も含めて残しているので、じっくり寝かせて仕事に活かしていきたいと思います♪)
まだまだ、きれいにまとめきれないので、感じたこと、考えたことをつらつらと書いていきます。
大きく分けて「生活」と「遊び」という領域で分けてお話がありました。
それをさらに「物的環境」「人的環境」という2面について話は進行していきました。
生活にしても、遊びにしても、子どものしていることから「子どもなりのワケ」を汲み取っていくことの重要性は改めて感じました。
一見理由がないようなものも、見えにくいだけで「ワケ」があるのです。
そこを見落としてしまうと、見当違いな手立てを講じてしまうことになりかねません。
支援の手立てを講じる上では、なんとなくではなくて、ハッキリとした根拠を積み上げていくことが重要だということだとも思いました。
子どもたちの行動がどんな心や思い、あるいは発達の表出であるか?という見かけに惑わされずに捉えていくことが大切だと思いました。
(これは僕自身の大きな課題でもあります。殊更、自分も入り込んでいる支援ではついつい見えにくくなってしまいます。まぁ、その為にこうやってブログを書いたり、振り返りをするわけですが…)
それから「バランスの良い感覚刺激」ということが大切だということも学びました。
これらが育まれることで、子どもたちは自分の状態を知れるようになります。
それが、彼らの安心感につながっていくのだということです。
こういう積み重ねが、生活の中で子どもたち自身が、互いの個性を発見したり承認し合えたりするまなざしを育てていける、そんな環境づくりの必要性を考えさせられました。
…本当にまとまっていない(笑)
でも、頭の中とノートにはしっかりと今日のことが刻まれていますので、また明日からの子どもたちとの時間に活かしていきます。
でないと、学んだ意味がない!
実践に繋がる学びを続けていきます!
職業支援者にとって、子どもたちを「温かく」見守るということは、「専門性を持って」寄り添うことなのだとも思います。
2018年4月13日金曜日
降車せずとも…2
ちょうど先週「降車せずとも」という記事で、車から降りないでプールをせずに帰ることがあるということを書きました。
今週、また彼を定時に迎えに行き、プールへと向かいました。
車内では「プール行く」「プール」ということを繰り返していました。
ところがプールに到着して、車のドアを開けて、彼の降車の介助に入ろうとしたところで「いかん」「プールいや」と。
(でたーー、またですかぁ(笑)…さて、こうなると…)
永田「行きましょう」
青年「いや、おりん」
永田「そんな言わないでくださいよぉ、プール行きましょう」
青年「いや、いや、プールいかん」
そう言って、ドアを閉めようとします(僕は扉に挟まれる(笑))
(ん~、また同じパターンやなぁ)
(押してダメなら一回引くか…)
一度扉を閉めて、僕は車の周りをぐるりと…深呼吸をしながら…
もう一度彼の座る後部座席左側の扉の前に戻って、一旦自分の喉元あたりに意識を集中して出来る限り最高の明るい声色を使って、ドアをゆっくり開けて、ゆるりと、まるで今から今日初めて降車の声をかけるようにして。
永田「さて、行きましょうか」
青年の表情が動きました。
(お!?ここは我慢、彼を信じて…)
何事でもないように振舞いながら、彼の身体が動き始めるのを待ちました。
10秒くらいして、ドアの上にある取っ手を掴んで、足を車から降ろそうとし始めました。
(よっしゃーー!!)
昨日は、初めて、一度は拒んだけれど、プールに行けました。
これはもう、めちゃくちゃ嬉しかったですね。
そして、プールに入っている間、とっても表情が良かったんです。
きっと、これまでも「ちょっとしたきっかけ」で入りたくない、と思ってしまっていたのでしょうし、「本当はプールに入りたい」という気持ちもどこかに持ちつつの駄々、だったのでしょうね。
それがまた、「ちょっとしたきっかけ」で本音の後押しになって…そういうことが起こっていたのでしょうね。
これでまた、これまでとは違う関係性が始まっていくのだ思うと、また次回が楽しみです。
2018年4月11日水曜日
カメの飼育で見ているものは?
今日は入学式という学校も多く、式に出席しない児童は朝から「放課後等デイサービスえるそるむなかた」に来るとのことで、僕も午前中からお邪魔していました。
数週間前から「えるそるむなかた」では、カメの飼育を始めています。
子どもたちの希望で始まったものです。
カメの飼育が始まってからの子どもたちの様子を見ていると、とても面白いです。
「飼いたい」と言い出した男の子たちはせっせと水替えやカメの甲羅磨きをしています。
自分たちが「えるそるむなかた」に来ない日には先生方にお願いをして、自分たちがいるときには自分たちでしているようです。
このお世話の中心になっているのは高学年で、彼らはカメに対する知識もある程度持っていて、エサの量や、水槽内の環境についても「これがいる」「それはいらないんじゃない?」と話をしたりしています。
こういう子たちがいる一方で、「まだよく世話の仕方が分からないなぁ…」と少し遠くからお兄さんたちの様子を眺めて、時折水槽を除く程度の低学年の子たちもいます。
彼らは彼らでとても面白い様子を見せてくれます。
ある低学年の子は「カメさん、ここ狭くないのかな?」とカメを気遣う発言をしていました。
また別の子は「(高学年の子がエサをやった後の水槽を覗いて)ごはんがプカプカしてて食べにくそう」と言っていました。
他にも「甘いもの食べたくならないのかな?」と尋ねてきた子もいました。
低学年の子たちは、カメに対する知識の代わりに自分たちの生活を当てはめるようにして、自部たちの生活と比べるようにしてカメの生活を眺めているようです。
これは、とっても大きな学びだと思います。
自分たちと何が同じで、何が違うのか…そういう学びの機会になっているようです。
彼らが、これから「カメさん」から学び得ていくものがどんなものであるか、一緒に見ていきたいと思います。
2018年4月10日火曜日
ちょっぴりドキドキしながらのプール
2018年4月8日日曜日
【お知らせ】支援者の集い4月22日
日時:平成30年4月22日(日)14時~17時
場所:「放課後等デイサービスいーりすむなかた」
参加費:500円(茶菓子、資料代として)
申し込みは永田まで一報を。
メール:gurunpa.munakata@gmail.com
電話:090-5724-0660
Facebookメッセンジャー
いずれかでご連絡をくださいませ。
実践を持ち寄ったり、お互いの支援観、子ども観、福祉観…いろいろとおしゃべりしませんか?
もちろん愚痴をこぼしても、悩み相談をしてもOK。
僕は語るほどに自分の支援観がどういうものなのかをよりクリアに知る機会となってきています。
ご都合が許す方はぜひお越しくださいませ。
2018年4月7日土曜日
学習サポートの在り方
問題が解ける、ということより意欲とか好奇心を育てることを僕は大切にしたいし、何より「『学習は嫌な時間』を如何に取っ払うことが出来るか」を目指して、僕の学習サポートは在ります。
その為に「分からないところはいくらでも時間をかける」「お喋りも目一杯する」「メリハリをつける」ということを都度使い分けていきます。
ちょっとお尋ねを頂いたので少し書いてみます。
それから…
僕との学習だけを切り取るなら、ハッキリ言って「姿勢が悪かろうが離席があろうが構わない」と思うところもあります。
でも、僕との学習はせいぜい週に1~2時間。
学校や僕抜きの家庭学習の方が多いのです。
そこで注意を受けたり、叱責をされたりして「学習が嫌な時間」になる可能性があるのであれば、それを回避するために姿勢や離席に対して、サポート、練習をします。
なかなか集団の場では「なんで離席するのか」「なんで姿勢が崩れるのか」ということについてじっくり話したり聞いたりすることは出来ません。
そこを探るのも僕の学習サポートの役割。
子どもなりに理由があるはずです。
個別の良さ、成績アップにこだわらない良さがあると僕自身は考えているところです。
もちろん、「成績アップ」が求められることもあります。
ただ、それは進学ということだけの話ではなくて、自尊感情とか自己肯定感とかの話で。
成績が、本人のそういう心持ちにマイナスに作用しているのであれば、問題を解けるようになるということや成績アップということを目指しもします。
学習も「人の育ちの一環」だと思いながら、僕は学習サポートをしていっています。
2018年4月6日金曜日
降車出来ずとも
久しぶりにブログに登場の、50歳の青年とのプール。
ブログには久しぶりですが、変わらずお付き合いは続いています。
ただ、最近はプールに入られないことも多いです。
昨日も彼の通う事業所に迎えに行き、一緒にプールへ入る予定でした。
車の中でも「プールプール」「プールいく」と表情もそう悪くない感じでつぶやいていました。
けれど、到着してドアを開けたら「いや」「入らん」と言い、ドアを閉め降車を拒みました。
こうなるとテコでも動かない、という感じで頑としてプールは入れなくなります。
体調や体型、これからの体力の低下、生活…それらを考えると出来るだけ、活動量を増やした方が良い、と僕は思っていますし、周りともそんな話をしているところです。
入れないことは残念だし、なんとか入れないかな?と思うから「入りましょうよ」というお誘いは時間の許す限りするようにしています。
今のところ、拒み始めると頑なな彼ですが、もしかしたら今日が「1度は拒んでみたけど、やっぱり入れた」という日になるかもしれないから、このお誘いは絶対に必要だと思っています。
それに、僕が彼の立場なら「あ、今日もそのパターンですね、了解しました、帰りまーす」みたいにサラッとされたら、ちょっと寂しい気もするんですよね。
諦められている感じがして。
車から降りてもらえず、閉めようとする扉に挟まれながら「いきましょーよー」と声をかける…
それでも良いのです。
彼からすると、若造がうっとーしいでしょうね(笑)
もちろん、「僕の価値観」というところでの行動だし、彼の気持ちとは別のところで「毎週永田とプール」ということが決まったので、そりゃ気分が乗らないということもあるでしょう。
そういうの全部ひっくるめて受け止めながら、ドアに挟まれながら、めげずにプールの機会を重ねていこうと思います。
2018年4月4日水曜日
ハサミでチョキチョキ、君は何を見ているのかな?
と言いつつ、今日もとっても心地よい陽気で、子どもたちもほとんど外遊びに出掛けていました。
残って、室内で過ごしている子どもと遊んで(子どもの超ローカルルール有りのはさみ将棋を習っていました)、春休みの宿題の仕上げ的に見直しを一緒にして、と言う具合で、割とゆるりと過ごしていました。
新年度、新学期のスタートを控えてソワソワしている子。
は?新学期?だから何?今は春休みだし!と存分に満喫している子。
子どもたちの様子も様々です。
そんな中から、この春小学校に上がるS君の様子について。
おもむろにハサミを手に取り、僕が脇に置いていた自由帳のページを切り始めました。
学習サポートで使用するものなのですが、テーブルに置いていたら切り始めちゃいました^^;
でも、思うようにいかない様子。
すると、チョンチョンと合図をしてきて、ページを切り離すことをジェスチャーで要求してきました。
(言葉はあまり多くない子です)
「いいよ、ちょっと待ってね」と応え、ページを数枚切り離して渡しました。
すると、とても器用にチョキチョキチョキチョキ…
何を作るのかな?としばらく眺めていたら、確かに「何か」を作ろうとしているようです。
目的を持ってハサミを動かしているように見えます。
こちらからは「何か」が、なかなか分からないのですが、彼の作ったモノが次々にテーブルに並んでいきます。
楽し気に、一心に。
ただ、多分、本人も「何か」が「思い通り」の場所へ行きつかなかったようで、2,3分ものすごい集中して切っていましたが、急につまらなさそうな目をしたと思ったら、ハサミと紙をその場に置いて、他の遊びへと向かってしまいました。
しばらくはこれで良いのかな、と。
徐々に徐々に。
彼のことを知っていって、彼の作るモノ、彼の見ているモノをとらえられるようになっていくのがしばらくの間の僕の役割かも、と思うところです。
彼の作りたいモノ、あるいはしたいことがもう少し見えたら、「観察」というところから、もう少し「目的地までの同伴」というくらいのエッセンスを加えてもいいのかな。
「もし」なんていうのもナンセンスですが、「もし今日同伴が出来ていたら、彼はまだ続けたのかな?もっと何かを作っていったのかな?」と考えながら場を後にしてきました。
春。
新しい出会いが楽しみな時期ですね。
やることもてんこ盛りの時期ですが、ボチボチしていきます。
2018年4月3日火曜日
「やめてもいいんだよ」と
それで、昨日も朝市をしていたら、途中で続々と東郷駅から人が出てきました。
なんでも人身事故で列車が動かなくなったとのことでした。
昨日は4月2日。
新年のスタート。
いろいろと推測してしまいます。
行きたくなかったのかな?とか。
嫌だったのかな?とか。
学校にしても職場にしても、「辞める」ということも言えないほどに追いつめられている人がいるということなのでしょう。
いえ、周りは追いつめているつもりもなくて、フォローをしているのかもしれないのです。
それでも責任感とか、先への不安とか、希望がなかなか見えづらくなっている人がいるというのは一つの事実だと思うのです。
「続けることが良い」という文化が日本にはまだまだあります。
僕自身も「頑張るってことは続けること」ということを子どもに伝えていくこともあります。
でも、自分を消耗して、自分を削りながら、をしてまで続けなさい、とは微塵も思いません。
「会社のため」「社会のため」と頑張ることも素敵です。
でも、「仕事のために生きている」訳ではなくて「生きていくために仕事をしている」のですし、「自分の存在を意味づける」ために役割を担っていくのだと僕は考えています。
悩んでいたり、自分を消耗していたりする人には、僕は「やめてもいいんだよ」ということを伝えたいと思うのです。
死んでまで続けなくてはならないことなんて無いと思うのです。
僕は出会う子どもたちに、「続けること」「やめてもいい」という一見、矛盾するこの二つを伝えていきたいと思います。
「かぜだー」
自宅の庭先で遊ばせているときに風が吹きました。
そのときに「かぜだー、きもちいいねぇ」と風の心地よいことを伝えてきました。
そのあとに風で揺れる木々を見て「あそこ、かぜだ」と言うのです。
風を目でとらえて楽しむ。
そんな彼の姿が、いとしくて愛しくて。
2018年4月1日日曜日
エイプリルフールって嘘をつく日ではない
【エイプリルフールは嘘をつく日ではない(と思う)】
もうね、ネットなんか根も葉もない噂や嘘、誤情報が蔓延してるんですよ。
だから、直ぐにエイプリルフールに嘘をつく、っていうのも「嘘か本当か分からない」ってことになってしまうんですよ。
「エイプリルフールは冗談を楽しむ」っていう認識がないとアカンのです。
もっと言えば「仲間内で」ということも必要なご時世。
「宝くじで100万円が当たりました」なんて「マジか!?いいな」ってなる嘘か本当か分からない典型だし、変な話、これが1億くらいでも書き方によっては「え?マジ?」ってなるし。
それから、こんなのは絶対アカン。
「夢のために思い切って退職しちゃいました!」なんてのも間違いなくアウト。
「体調が悪い云々…」みたいなものも当然アウト。
この手はオオカミ少年になるのがオチ。
人が笑えない、応援出来なくなるような嘘は付くだけ損。
せっかくならみんな(仲間内)で楽しめるジョークにしましょうよ✨
上手く過ごせれば仲間が寄ってくるし、下手こけば人が離れる。
モラルとセンスが必要。
エイプリルフールってそういう日だと思います。
Googleのエイプリルフールなんて毎年面白いですよ。
だから世界規模の企業なんだ、と思うんですよ。
分からない人は調べてみてくださいね😄
因みに僕は今日、ガソリンスタンドでタイヤの空気圧を調べたら減っていたので、空気を入れようと思ったら、空気を入れすぎて車が飛んでいってしまいました!
的なまるでトムとジェリー的な絵面が浮かぶようなジョークでないともはや難しいと思うのです。
以前は出来なかったことが再現できるように、時代が進んでいるから。
ま、もう今年のエイプリルフールも間もなく終わりますから、良かったらどなたか、来年一緒に楽しみましょう。
好きなことをして生きていくって
僕の場合は、仕事が好きで、「好きなことを仕事に」ということが叶っている人間です。
これを羨ましがられることも多いですが、僕は思うんですよ。
「好きなことを仕事に」=「好きなことをして生きる」ではないと思います。
仕事に対する考え方、価値観も人それぞれで、「仕事はお金を稼ぐツール」と割り切って働いて、他の時間で「好きなことをして生きる」ことだってモハメド・アリな訳です。
(こうやってしょうもない駄洒落をチラつかせることだって「好きなことをして生きる」ことの1つだし(笑))
「好きなことを仕事に」というのはやはり大変は大変です。
場合によっては好きでいられなくなるかもしれませんしね。
でも、「好きなことをして生きる」ってことは案外と、その気になれば誰でもしていけると、僕は思います。
僕は仕事以外にも「好きなこと」「してみたいこと」を割りと素直にしながら生きています。