アレ、僕、嫌なんですよね(笑)
「贅沢しちゃった」とか「気分転換」「息抜き」「リフレッシュ」…そういう言い方で良いのに、「ご褒美」だなんて言うの嫌なんです。
最近は少し免疫が出来ましたが、数年前は「じ・ぶ・ん・へ・の・ご・ほ・う・び?はぁ~?」ってなくらいにイラっとしてました(笑)
そんなご褒美ブームの昨今ですが、ご褒美のあり方は本当に考えた方が良いと思っています。
「しなきゃならないこと」や「して当たり前のこと」をして「ご褒美」はあり得ないでしょう。
だから「自分へのご褒美」なんてのはあり得ない訳です。
そして何より問題なのが、その「自分へのご褒美」(当たり前のことをしたに過ぎないのに「ご褒美」といって報酬を得る)という価値観をそのまま、他人へ、特に子どもへ向けるのはよろしくない、と思っています。
「ご褒美」が当たり前のことをして与えられると、はじめは良いのですが次第に「ご褒美が無いとしない」という思考が芽生え始めます。
いつの間にか、「ご褒美」ではなく「嫌なことをしたあとのご機嫌取り」になっていて、それを用意できない状況になると相手と上手にコミュニケーションが図れなくなっている、ということになるんです。
よく時代劇とかで「褒美をつかわそう」「褒めてつかわそう」みたいな台詞があるじゃないですか?
あれ、当たり前のことをしている人に与えられていると思いますか?
何かしらそのお殿様なり王様なりの求めるものに貢献しての話じゃないですか?
「当たり前のこと」をしているのか「それ以上のこと」をしているのかを、しっかりと考えて「ご褒美」についても考えていかないと、結局お互いにタフな思考、タフな関係なんて出来ないんです。
ちょっと突いたら崩れる信頼関係(信頼と呼べないけれど便宜上)程度で止まって発展しなくなるんです。
「モノで釣る」ということをしているのか、本当に感謝の念を持つなり、相手を評価しての「ご褒美」をなのか…
多くの人に考え直していただきたい。
「自分へのご褒美」も然り。
もちろん、楽しみと言うのは必要ですよ。
それ以前の話として。
その意識の持ち方を間違えると大変だという話です。
「モノで釣る」。
これは相手を認めていないことの裏返しでしょう。
もしかしたら最初は「ご褒美に値すること」で「ご褒美」を与えていたとします。
でも!
「人は成長する」んです。
その前提を忘れていつまでも、毎回「この前もこれをしたときにご褒美を与えた(もらえた)」ということに囚われていてはだめです。
ご褒美のハードルは上がっていくものです。
幼稚園児がお風呂掃除をして「ご褒美」、まぁ、分からんでもないです。
僕がお風呂掃除をして「ご褒美」…「はぁ?馬鹿にしてんのか?」って話です。
そういうことを頭に起きながら「ご褒美」のあり方は常に見直し続けなくてはいけないと思っています。
…よぉし!今日は「自分へのご褒美」に夜、シュークリームを食べちゃおうっと(笑)
失礼しました。
みなさん、良い連休を。
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