敢えて「障がい理解」ではなく「子ども理解」という言葉で。
子ども理解を深めることは、子どもと関わる支援者に必要不可欠です。
「子ども」という存在について、考えないといけないし、目の前の「一人ひとり」について考えないといけません。
支援者の子ども理解が深まってくるとどうなるか?
ちょっと僕なりに考えてみました。
なんと言っても、子どもたちの言動に見通しが持てるようになることは大きいと思います。
子どもに対する「思いもよらない」行動が減り、備えられるようになります。
これによって、子どもたちの安全と安心が確保しやすくなります。
それから、支援の手立ても絞れるようになると思います。
子ども理解が無いと「子どものことが分からない」ということですから、「あぁしたら良いのかな?」「こうしたら良いのかな?」「どうしたら良いのかな?」と、あるような無いような、ぼんやりした無数の選択肢に迷うことになります。
「正解」があるというものではないけれど、その時の、その人のベターな手立てにたどり着くための道筋が、見つけやすくなるように思います。
支援者が困ったり、迷ったりしているとき、間違いなく子どもたちも困ったり、迷ったりしています。
支援者が困ったり、迷ったりしなくなれば、それが子どもたちの安心感にも繋がります。
子どもたちが安心感を抱けるようになると、落ち着いて過ごせるようになりますから、支援者も落ち着いて構えられるようになります。
すると、子どもたちの姿をよく見られるようになって、ますます理解が深まります。
こうやって良い循環を作れると良いのかもしれません。
僕の考え。
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