(おばちゃんが二人組で日傘を手にしながら訪問してくるあれです。
日傘に罪はないのに日傘が鼻につく、不思議な現象を僕に起こす、アレです。)
一度、庭先に出てるときに捕まって話を聞いてからたまに来るんですよね…
毎度、聖書の一節を持ち出してちょっと話をして帰ります。
ミッション系の大学を一応は卒業しているので、聖書に書いてあることにある程度の理解もあるつもりですが、やっぱりああいう話し方をされるのは苦手なんですよね。
僕は家系は一応仏教です。
でも、日ごろ仏教徒らしいことはほぼほぼしません。
盆くらいなものです。
それでも、信仰心のようなものは持ち合わせています。
何に?と聞かれても困るのですが…敢えて言うならご先祖様かな?
僕の家系は別に金持ちとかはいないけど、割と真面目に働く人が多いのがささやかな誇りです。
そういう真面目に頑張ったであろうご先祖様のことは信じています。
苦しい時にはどこに向かうでもなく「あぁ、なんとかなりますように」と思ってきた経験がありますし、上手くいったときには「あぁ、上手くいきました」と報告と共に感謝をした経験もあります。
神頼み的なことって、本当に最後に最後にするべきものだと思います。
その前に出来ることを出来る限りやって、直前に、っていう感じで。
何かを信仰するって、精神的に安定につながる気がします。
出来ることに手を抜いているのに神頼みに走るのは失礼極まりないと思うので、出来る限りのことをしてから、神頼みというのが筋だと思います。
そこまでしての神頼みだと「ここまでしたんだから」と胸を張って物事に迎える気がします。
外国のスポーツ選手なんか、大事な場面でお祈りをする人多いじゃないですか?
あれって、きっとただルーティンというだけでなく、心の支えになっているんですよね。
「そんなことしてなんになる?」
と言う人もいるかもしれません。
でも「そんなこと」と言われるようなことをしてでも成功させたい、という気持ちの裏返しですよね?
そして「そんなこと」と言う程度のことが出来ない人が失敗して「俺はダメだ」とか言っているのはアカンと思います。
「そんなこと」までして失敗したらもう諦めがつくというものです。
お祈りして、気持ちが落ち着いてパフォーマンスが上がるならしてみた方が良いですよね。
何か信仰を押し付けるのは性に合わないし、押し付けられるのもご免ですが…何か信仰出来るものを持っておくのも悪くないと思います。
今日はちょっといつもとカラーの違う記事ですが、たまには。
…にしても、ひざ下くらいまでのゆったりとしたスカート、日傘に、手提げバッグ…
あれはユニホームみたいなものなのかな?
今までいろんな土地に暮らしてきたけれど、どこでもあのセットで来るなぁ…
スニーカーにリュック(「よっ」とか言いながら、バッグを下して資料出せば面白いのに)、キャップじゃ雰囲気が足りないか。
余談でした。
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