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2016年8月21日日曜日

夏休みの宿題、答えを写させるのも場合によってはアリ。何を目的にしているのか、ハッキリさせながら活用してください。

夏休みの宿題が終わらずに焦っている人も出始めているころですね(笑)

夏休みの宿題は、答え合わせまでして提出というものも少なくありません。

そうすると手元に答えがあるものだから「写せば良い」と言う子もどうしても出てきます。
僕もそのクチでした(笑)

いざ、学習支援という立場で子どもたちと関わり始めてからは、やはり答えを丸写しということには抵抗がありました。

多分、多くの保護者がそうではないでしょうか?
「自分のためにならないでしょう?」と投げ掛けながら格闘していらっしゃる方も多いと思います。

でも、この夏、「答えを見せるのもアリなんだ」と気付きました。

僕が学習サポートをしている子たちの多くが、学習について苦手意識を強く持っていたり、実際問題として障がい特性としても定着の弱かったりする子たちです。

そういう子たちには場合によっては「答えを見せるのもアリ」なんじゃないかと。

例えば漢字の定着が弱い子に漢字のプリントをやらせようと思っても、本人でも「僕は漢字は苦手」という意識を持っています。
すると解ける、解けない以前に「嫌だな」という葛藤が始まってしまうのです。

そうすると当然周りは「頑張って」の一色になるんですね。
でも、応援されようが、嫌なものは嫌だし、大変なものは大変で、自分の中では葛藤し、応援団とは問答しということになって、「やっぱり漢字は大変」という体験だけが残ってしまう気がします。

それよりかは、「問題にチャレンジ」ではなく「漢字の定着」に着地点を設定して「答えを見て良いから、よく見ながら丁寧に書いてごらん」と促して、正確な文字をかけることを目指した方が建設的だと思うわけです。

すると子どもの方でも「きれいに書けた」という達成感を味わいます。

宿題で苦労すること自体を目的にしないことです。
日常生活であったり、試験であったりで活かせるように、本当に定着を図るために学習はあるべきだと思います。

だからと言って、端から答えを渡して「丸写しで良いよ」とはなりません。

「この子には何が必要なのかな?」と見極めて、あるいは設定して、その目的に合わせて、必要とあれば答えを写しながらでも良いんだ、ということです。

答えを渡してほったらかし、では、寂しさだけが募ります。
答え渡すなら渡すで、その活用を周りは見ながら「そうだね」と共感してあげたり、「ほら、しっかり見て」とか「そこは自力でやってみよう」とか、バランスを取って上げる必要はあります。

課題と真っ向勝負することで、却って学習の定着が妨げられるとか、ガミガミ言うことが続いて親子関係がしんどくなる、という現状があるなら、答えの使い方をコントロールして、写させるのもありなんじゃないかな?

そんな気付きがありました。

忙しい保護者も多いですが、夏休みは学校が無い分、子どもと共有する時間も体験も増えるという人も多いでしょう。

それが宿題が理由でガミガミ、怒られてシュン…ということばかりでは勿体ないですよね。
答えを上手く活用して、親子の関係も深まることになれば良いし、子どもの地力に繋がれば、それは「良い夏休みだった」ということになるんじゃないでしょうか?

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