今日の記事は誰に、ということでもなく、呟くように綴ろうと思います。
多分、一種のパニックなんだろうと思う。
予想していた状況と違ったものだから。
その中で頑張った、ということを聞いてほしかったのではなかろうか?
パニックも表現方法の1つだとは思う。
だから、僕なんか子どもと関わるときにはパニックを起こさせないように、なんてことは、限定的にしか考えない。
パニックを起こしたら対応に困るとか、僕との関わりのあとに尾を引く可能性があるだとか、そういうときにはパニックも避けるけど。
そういう観点から行くとパニックを起こしたら、ガス抜きになるから、まぁ良いかくらいのもの。
ガス抜きしてスッキリして、建設的になれるのなら、尚良い。
そうなることを期待したい。
もう少し別視点から起こったことについて考える。
目的が同じでも、それに向けた目標設定が違う、ということは大いにあり得る。
立ち位置、立場が違うから仕方ない。
その為に自分の歩もうとしている道の弊害になりはしないか?と警戒しているのかもしれない。
「目的はこうですよね?」
「それに向けて、私たちはこうしていきます」
「あなた方はこうですね?」
という確認とすり合わせがもっと必要だったのかもしれない。
チーム内での役割確認のようなイメージであるべきところを、何を感じ取ったか敵味方、あるいは使える使えないという線引きをしてしまったか…
気持ちは分からないでもない。
けど大人気ない。
もう少し慎重に距離を測るべきだったか。
あるいはもっと丁寧に立場の確認をしていくべきだったか…
反省が残る。
大人気ないとか書いたけど…
…こんなことをわざわざ綴る僕も同種か。
補足。
パニックは起きても良い、というようなことを書いたけど…
パニックとは別に「調子が悪いなら、少しでも良く」「調子が良いなら維持しながら」という関わりは大前提です。
それに必要なら、パニックも臆さないという話。
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