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2016年11月1日火曜日

たった一人の「誰か」になれるか

「誰かが言うだろう」「誰かがやるだろう」の「誰か」になれるか、というのはとても大切なことだと思っています。

肝心なことを「誰か」に任せて、外野としてジャッジを下すなんてことは、どうも性に合いません。

「誰かがするだろう」で、みんなが手を引いてしまって、「誰もしなかった」なんてことになることを想像したらゾッとします。

でも、だからと言って大多数の人を悪く言うつもりもありません。
自分の立場、考え方、その他諸々が絡み合ってくる話ですから。

僕だって自分の力量、考え方、立場がもちろんありますから「これは僕の出る番ではない」と思えば、やり過ごします。

ただ、「あぁ、何とかしたいけど、誰かがするだろう」なんて立場は取りません。
自分自身が何らかの関わりを持てるかもと思えば踏み込むし、僕じゃないと思えばやり過ごす、それだけです。

そして「誰か」に任せたら、もうそこは任せます。
自分はやらずに、人にやらせてジャッジを下すなんてせこいことはせず、委ねます。
もちろん、その中で協力出来る点が見出だせたら協力出来るようにはしていたいと思います。

「たった一人の誰か」になるためには並々ならぬ覚悟が要るものです。
ジャッジばかりする人は、その覚悟の重さを知らないのだと思います。

いざと言うときに「たった一人の誰か」になれる準備は常にしておきたいものです。

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