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2016年11月28日月曜日

自己犠牲を払いながら働くなんて時代遅れでナンセンス

「地域貢献して頂けませんか?」
「手伝ってくれませんか?」
みたいな言い回しで相手に自己犠牲を強いる、そんなバカな話はないと思います。

時代遅れでナンセンスです。


僕もたまに「手伝って」的なお誘いを受けます。
内容によっては引き受けても良いと思えるものもあります。
でも、たまに「それを無償で?」と目玉が飛び出そうな話にも出くわします。

僕は、ぐるんぱの活動を仕事、つまり生業としている以上、どこまで無償で出来て、どこから有料にするか、というのは自分の中でハッキリとした線引きがあります。
(もちろん金銭ではないメリットだって天秤にかけます。繋がりだとか勉強になるだとか)

でないと、僕自身の生活もしていけないし、今、僕にお金を支払ってくれている方たちに失礼だと思います。

それを「人助けだと思って」と同情を引くような言い回し、「地域貢献だと思って」と無償でするものを善とするような雰囲気を出して迫ってくるのは、卑怯で、ハッキリ言って自己中心的な偽善だと思います。

「僕だって地域の一員でもある」んです。
そこに犠牲を強いて、良いものが出来るものですか!?
地域貢献、社会貢献したいと思うことがあれば、自ら動きます。


自分たちで出来ないことを他にお願いしようとしているのなら、相手に身を切らせるというのはちょっと違うと思います。
僕であるか否かはともかく、魅力的な企画だったら協力者は現れます。

それが現れないのであれば、企画から見直さないといけないのではないですか?



久しぶりに、耳を疑うようなお話がありまして。

僕は自己犠牲を払ってこの活動をしているわけではありません。

自分だって、幸せと言うか目指す生活がありますし、そもそも「仕事としてだから出来ること」というものがあると自分自身信じて疑っていません。

自分の企画に「人助けだと思って」と同情で引き込むなんて…地域、社会に対して貢献することを求めているのか、「企画者を助けて」なのか。

さっぱり分からないお話でした(笑)


だから僕は、「ここまでしているのに」と思わないで済む料金設定をして提案をさせていただきます。
頂くものは頂いて、することはする、ギリギリまで出来ることを探す、そういうことをコツコツと僕なりにしてきています。


クドイようだけど、もう一度。
自己犠牲を払いながら働くなんてナンセンスなことしません!
力になりたい、と思ったら自分で動きます。

人に犠牲を求めるようなやり方だから協力者が現れないことに気付いてほしいものです。

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