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2017年4月28日金曜日

「家族としての歩み」を支える

今日は久しぶりに自宅のパソコンから更新中です。


今日は「家族としての歩み」ということについて考えてみたいと思います。
特に「親」や「夫婦」のことに視点を当てて。


人は生まれてから死ぬまで、というサイクルの中で生きています。
その中で各々が人としての役割を持って生きていくのです。
それが存在意義とか存在感とか生きる意味とか、そういうものに繋がるのです。

それは「家族」という単位でも同じことだと思います。
結婚し、家族が増え、自立し、年老いた家族はこの世を去り…サイクルの中にあります。
その家族の中で家族のメンバーはそれぞれの役割や責務を持っているのです。
父として、夫として、母として、妻として、長子として、末っ子として、長男として、長女として…とにかく、殆ど多くの人がそういう役割の中に所属しているのです。
(「家族」という単位に無自覚な人でさえも所属していることが殆どです。)


個人で課題や危機に直面した際に、課題を克服したり、危機を乗り越えるなり回避していき、成長をしていくことが求められる場面があります。

家族単位でもでも同じこと、あるいは似たようなことが起こり、求められます。
家族が、あるいは家族の誰かが課題や危機に、もしくは節目に直面した時に、お互いにその状況に適応し、対応をしていくのです。


「親」や「夫婦」としての役割は子供の成長に合わせて変化していくモノなのかもしれません。

幼児期の子の「親」「夫婦」と、思春期の子の「親」「夫婦」の役割は違ってきます。

その時期ごとの課題や問題、危機に適応し対応していくのです。

その「時期」も家族によって構成や生活習慣、慣習が違いますから、訪れる課題や問題や危機も違ったものになってきます。


家族での歩みをサイクルと考えた時、今、自分たちがサイクルのどのあたりにいるのか、ということを考えてみることは突破の糸口になり得るかもしれません。

あるいは支援者は対象の家族が、どういうサイクルを持ち、どういう位置に立っているのかを考えることが支援していくうえでは必要なのかもしれません。


特に、障がい児者が家族にいたり、不登校児が家族の中にいたりすると、その課題や問題、危機というのは一過性のものではなく、継続性が含まれていることも多く、家族メンバーも各々の役割や責任を見失ってしまったり、あるいは障がい児や不登校児がいない家族とは違ったプラスアルファの役割や責任を負うことも現実としてはあるでしょう。

そういうことを含めて考えて支えていくことが必要だと思います。

「父親」「母親」「夫婦」「兄弟」「姉妹」…
その家族における役割、これまでの歩み、これからの歩み…個人と家族のサイクルを考える。

たくさん話をして、たくさん聞いて、たくさん考えて…

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