相手の様子が「見えているのか」、相手の様子を「見ているのか」、この違いは大きいとおもうのですが…。
たとえば、目の前の人が寂しそうだとして。
寂しそうな様子が「見えているのか」、あるいは、「寂しそう」という風に見ているのか。
中立な目線で見えているものなのか、自分の経験から、そう見てしまう傾向なのか。
もし後者だとしたら適切な支援を行えるか怪しくなってきます。
そうならない為にも「自分を癒しながら」仕事に向かう必要がある気がしています。
1985年生まれ福岡県宗像市在住。西南学院大学国際文化学部卒業。 2008年福岡県警察に入職するが突発性難聴を発症し退職。 難聴や精神の落ち込みを様々なサポートで乗り越え、支援者という立場に回りたいと考え、2009年障がい児者支援団体に就職。障がい児者に療育的プール活動と学習支援活動を提供する指導員として勤務。 2016年福岡県宗像市で療育活動を提供する知的・発達障がい児者支援団体「ぐるんぱ」設立。知的・発達障がい児者、その他困り感を抱える子どもたちへの療育的プール活動と学習支援活動、福祉事業所顧問、保護者学習会主催などの事業を展開。一般企業へも発達障がい啓発・対応研修も行う。 「オムツの取れなかった10歳児がプールを始めて3か月でオムツが取れた」「家庭学習が定着した」「自傷・他害行為が減った」「従業員の仕事効率が上がった」など各家庭や社会生活に寄り添う支援を実践。 お問い合わせは、下記のいずれかへどうぞ。 メール:gurunpa.munakata@gmail.com 電話:090-5724-0660 ぐるんぱHP:http://gurunpa-munakata.jimdo.com/
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