今夜、ある方と話をしていました。
その方は「なんでこんなことで悩んでいるのだろう。」「なんでこんなことで苦しんでいるのだろう。」「なんだか情けなくなってくる」と話していました。
聞いていて、こちらまで苦しくなってくるような言葉や話ぶりでした。
子どものことを純粋に考えたい、支援のことを考えたい、前向きな学びや繋がりを得たいのに、それが叶わない環境にいることが辛い、と。
子どもたちに子どもたちらしく育っていってもらうことを願うのであれば、やはりそれを支える大人もまた、健全な心持ちでいられる必要があると思います。
障がいがあろうが無かろうが、子どもであろうが大人であろうが、ジェンダーがどうであれ…
その人の興味関心、権利、願い、夢、存在を粗末に扱うことは、虐待だと思うのです。
子どもを守り育てることはもちろん大切だけれど、支援者1人が、生涯に出会える、支えられる人の数は、やはり知れているから、支援者仲間を守ることも大切にしていかなくてはならないことだと強く感じました。
結局、勉強会の立ち上げがなかなか思うように進まずにいますが、支援者の集える場は必要なのだと思っています。
支援者自身が「ここに来れば羽休め出来る」という止まり木のような場が。
しかもそれが、“紛らわし”ではなく、“前進するため”のものであるものが。
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