(日時計の影の動きが、時計が発明された北半球では右回りだったから)
車が発明されたのにも理由があります。
(馬での移動よりも早い移動手段を人間が求めたから)
同じように僕がくるんぱを立ち上げたのにも理由があります。
(宗像という土地で子どもたちの居場所であったり、過ごし方であったり、彼らが自分らしくということを大切にしながら地域の中で生きていくための選択肢として必要と感じたから)
理由というのはとても大切だと思っています。
今挙げたようなものでなくても、物事が起きるのには理由が必ずあって、その理由を探すことが支援では根っこに繋がるといつも思っています。
障がいの個性ももちろん考えて日々の支援を行うこともあります。
子どもの個性を考えながら支援も行います。
でも、いわゆる「問題行動」と言われてしまうような行動をするのには、それらプラスαで、彼らなりの理由があるのです。
何か策を講じていくことと並んで、その理由を聞いてあげることが僕の仕事だと思うし、それが「問題行動」を解決する手掛かりになるとも思います。
そういう場合の理由というのはシンプルなことも多いです。
自分の子供のころを思い出してみると、そんなに難しいことで悩んでいたと思わないし、怒ったり、悲しんだり、笑ったり、単純な理由で気持ちが動いていたことを思い出すものです。
大人になるにつれ、何でも難しく考えてしまって、もっとシンプルに考えればいいのに、「まだ子供のことが分かってあげられてない」と必要以上に自分に矢を向けて難しく考えすぎていることが多いです。
(僕自身の傾向でもあるかもしれません(笑))
自分が体験してきたこと、感じてきた気持ち…そんなものを思い出しながら仕事をしていきたいと思っています。
今日は、こんな感じで。
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