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2015年12月28日月曜日

「なんとなく」も大切に。そしてそれを人と共有する。

千葉で高校2年生の男子生徒が祖父母を殺害して逮捕された事件。

「学校で人間関係にストレスを感じていた」
「殺す相手は誰でもよかった」
「人を殺したら必ず逮捕されると思った」

という旨の供述をしているという情報がメディアで報じられています。


その一方で、周囲は

「きちんとした生徒」

という印象で、驚きを示しています。


療育とか教育を専門に勉強している人の前で口にすると「何それ?」と言われてしまいそうですけれど、僕は目の前の子どもや人と関わるときに「なんとなく」という感覚をとても大切にしています。

「なんとなくいつもと違う」
「なんとなく寂しそう」
「なんとなく辛そう」
「なんとなく暗い」
「なんとなく…」

初めは、そういうところから変化が起こり始めることがほとんどだと思います。

「なんとなく」は言わば、予備動作のような時期だと思います。
周りから見て「なんとなくいつもと違う」とか、「なんとなくこう見える」という点というのは、その見た人の印象でのレベルなのですが、その感覚はとても大切にするべきだと思っています。

「なんとなく」という感覚は、知識あるいは経験がないと働きません。
これまでに出会ってきた人たちとのコミュニケーション、勉強で得た知識、そういうものが総動員されて「なんとなく」を作り出しています。

椅子に変な座り方をしている子どもを見て「なんとなく危なっかしいなぁ」と思ったことはありませんか?
落ち着きない子を見ていて「あの子、転ぶな…ほら(笑)」となった経験はありませんか?

それは別に予知能力が働いている訳でも何でもなく、これまでの自分の経験や見てきたものから瞬時に統計のようなものを取って、「予感」として処理しているのです。


冒頭のケースでは、本人と周囲の話に大きなズレがあります。
もちろん周囲がうそをついているとか、周囲が気づいていない、とかそういう話ではありません。

それでも、「なんとなく、あの子最近気になるな」と感じていた人が一人もいなかったとも思えないというのが、僕の正直な感想です。

「なんとなく」という言葉は根拠と自信に欠ける響きを含んでいます。
それに加えて「普段の様子」というものが、その人の日ごろのイメージを作り出していますから、そのうちに「気のせいかも」という思いが湧いてきて、「なんとなく」感じた印象を忘れ去ってしまうのです。
そうして、その印象を自分の中にとどめてしまうという構図が完成します。

それが今回の事件(他にも類似のケースは山ほどありますが)の問題点だと思っています。

根拠が説明できなくても構いません。
自信がなくても構いません。
それでも「なんとなく」感じたことを周囲に伝えていくことは、してほしいと思います。
僕もしていきたいと思います。

伝えることで「あ、言われてみればそうかも」と共感してくれて、一緒に気を配ってみようという仲間が現れるかもしれません。
誰かに伝えてみてください。

あるいは本人に伝えてみてもいいかもしれません。
こちらは勇気がいりますが。
でも、本人すら気づいていないこともあるのです。
「あ、そうか」「そうかな?」と反応も様々かもしれませんが、「今のあなた、こんな風に見えているよ」「ちゃんとあなたのこと見ているよ」というメッセージにもなります。


「なんとなく」が変化の兆しです。
「なんとなく」が支える力の原点になり得ます。


上手く説明できなくても、それを誰かに伝えてみることしてみてください。
今まで、飲み込んでいたなら尚更、これまでとは違う展開になるはずです。

今夜も取り留めなくつらつらと書き散らかしてしまいました。


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