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2015年12月24日木曜日

日常生活を整えてこそ余暇に向かえる

つい先ほど、散歩がてら予約していたクリスマスケーキを取りに行ってきました。
とわは興味津々です。

これは僕ら夫婦のケーキです。
とわのは、ペットショップで「犬用ケーキ」を購入済みです♪
甘いなぁ~!(いろんな意味で)

…。失礼しました。

余談でした。


今日の朝日新聞朝刊、社会面に「競技と出会って人生輝く」と大きく見出しがあり、知的障がいを持つ高校生がスペシャルオリンピックスを目指してフィギュアスケートを習っているということ、義足でスノボに向き合う男性、この2件を取り上げた記事でした。

記事の中にもあるように障がいを持っていてスポーツをしているという人は、本当に少ないです。

それだけ、何かしら障がいを抱えると日常生活で困難さを感じたりしているのでしょう。
それが「スポーツなんて」と遠ざけることの一端になっているのかもしれません。

日常生活で感じる困難さが、そうやってスポーツであったり、それ以外の趣味であったりから遠ざけるというのであれば、日常生活を整えないことには、いくら周りが「大丈夫」「きっとできる」「やってみようよ」とどんなに本人や家族らに呼びかけても届かないと思います。

日常生活を整えることの大切さ、本質はこういう部分にあると僕は考えています。
ただ、単に勉強して、働いて…それだとあまりに無機質的で、思考というのも健全に働かなくなります。

もちろん、仕事や勉強に生きがいを見出したり、自分なりの使命を持って励む人もいます。
そういう人はそこを軸に、輝く場所を持っています。
それとは違う話をしていることは察していただけると思いますので、話を戻します。



日常生活。
イレギュラーな行事や、突発的なものとは違い、毎日継続的に流れていく時間です。
子どもであれば、学校生活や家族とのコミュニケーションなどがそれです。

それが整わないというのは、余裕がなくなります。
次第に「あれも上手くいかない。これも上手くいかない。」となれば「新たにチャレンジしてみよう」なんてバイタリティが湧くはずもありません。
バイタリティのない状態で、日常生活を送ると日々が無味乾燥に感じられ、無機質さを覚えます。
「僕は何のために生まれたの?」「生きるってなんだろう」と一種哲学じみたことを考え出し、日常のもっと考えなくてはいけないことに目が向かなくなって、益々日常生活が破たんするという悪循環に陥ってしまいます。

僕は子どもたちへ学習をツールにして日常生活を整える支援をしていきます。
そこが僕の考える切り口として最適だから。
いきなり「もっとバイタリティをもちなさい」なんて言うと説教されているようで嫌になるでしょう。
そもそも日常生活が整っていない子の中には「僕はどうせ」というのがどこかに根付いている子も多いですから。

自信を身につけたり、取り戻したりするには生活に密着したものをしていく必要があるのです。
いきなり何かにチャレンジして「出来た」という経験をしても、それを機に日常生活に繋がる自信に気付かせないと結局継続できないということになります。

日常生活から切り込んで、余暇を考える、というところまで持っていけたら、ぐるんぱの活動の意味はあるのかな、などと考えています。



障がい児者や日常生活でつまずきを抱えている人たちの余暇。
そういう一種、文化のようなものを変えていこうと思ったときに、周囲の人間環境もそうですが、設備的な面でも、「もっと変わればいいなぁ」と思うことはたくさんあります。

日常生活に「これでいいかな?」と疑問を持ちながら目を向けていきたいです。



今日も思いのままに文章を綴ってしまっていますが、日常生活を整えることで障がいや困難さを抱える人が、趣味や生きがいを見出す助けになるのではないか?という僕の考えをつらつらと書いてみました。

どうぞよいクリスマスを♪


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