無着成恭編「山びこ学校」。
まだまだ読み始め。
それでも書き残しておこうと思いまして。
生活の中にある言葉を、生きた言葉を引き出して、文章という形で残していく…
これは教育であり、コミュニケーションであり、社会そのものである…そんな感じです。
僕らは何故生きていくのか?
僕らは何故学ぶのか?
そんな問いかけと答えが同居しているようにも映ります。
哲学的なふわふわと輪郭の掴みにくいレベルではなく。
文を書いた一人一人の中に確実に思考の足跡として残されているものとして。
山間部という立地が思考を仕向けるのか、時代に依るものなのか、それらを含めた教育に依るものなのか、あるいはそれぞれの往復運動や循環によるものなのか…
生きるとか、学ぶとか、生活とか、社会とか…
それらの厳しさも温かさも。
ろくでもない一面も捨てたもんじゃないという一面も。
他者も自分も。
受容しながら歩もうという意志と決意。
それから子どもらしさも、か。
子どもたちの本音に迫り、寄り添う学び、育みをしていく、考えていく必要性を感じています。
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