今日は、今年最初のキッズクローバーひかりが丘でのサポート。
ただ、今日は始業式とあって子どもたちも宿題も出ているでもなく、外に遊びに行っている子も多く、室内にはいつもより少なめの子どもたちと、支援員さんでした。
そんな空間での出来事。
新聞の折り込みチラシかな?小さくちぎって、丸めたものをたくさん作ってあって、それをお菓子の入っていた缶箱の中でパラパラとさせて遊ぶのが大好きな小学生のM君。
今日はそんな彼としばらく一緒に過ごす時間がありまして。
ここしばらく見る彼は、よくその遊びをしていました。
その遊びのどんな点が、彼を惹きつけるのか…それを知りたくて知りたくてたまらなくなってきてしまいました♪
もちろん手の感覚、視覚的に楽しんでいるのは分かるんです。
でも、そういう回答だけではどうも物足りなさを感じてしまうんです。
「手の感覚」ということについては納得できるんです。
僕も彼の真似をしてみたら、これがなかなかどうして気持ち良いんです(笑)
ただ「視覚的に楽しんでいる」ということについては、そういう言葉で説明されるだけじゃ、イマイチ物足りないんですよね。
彼の様子を見ていると、目線は手からこぼれ落ちる「パラパラ」を見ている…ように見えるんですが、ピントはどうもその先なんですよね。
缶箱に反射する影の色を楽しんでいるのかな?いや、それにしては視線が固定的すぎるかな?
たしかに夢中になっていて、楽しそうではあるんですけれど、目の前の「パラパラ」を楽しんでいる、というよりは、その様子から思い出される何か(あるいは連想されるイメージ?)に浸る感じかな?
うーん…
なんとなく彼はドミノみたいな遊びは好きだと思うんですよね。
好き、というより「面白さが分かれば、多分ハマる」という感じです。
そこで支援人さんに、「ドミノみたいな遊びは彼、好きだと思うんですけれど、どうですかね?」とお話してみたら「ありますよ」と出してきてくれました。
10個くらいのピースを持ってきてくれて、彼が「パラパラ」をする横で、並べて倒すということを数回見せてもらっても、喰い付きがイマイチ…
永田「M君、見て」
(ツン…パタパタパタ…)
M君は一瞬見るだけでまた「パラパラ」に戻っていきます。
次に支援員さんが、誘って一緒に並べてみることを促しても、乗り気じゃない。
次第に、「ドミノお誘い作戦」をうっとうしがって片づけようとする始末(笑)
支援員さんとM君の「ドミノやろうよ♪」「僕はこっちがいいの♪」という面白いやり取りが始まりました。
まぁ、僕の中では今日のうちに「ドミノにハマる」ということはもちろん想定していなかったんで(それに遊びって太く短くより、細く長く、で面白さを知っていくということをしていってほしいと個人的には思っています)、そんなやり取りまで始まるとは思いませんでした。
するとM君は、段々とドミノというよりは「支援員さんとのやり取り」を遊びに変えて楽しみ始めました。
その時の目線、焦点は明らかに目の前のドミノと支援員さんに向けられているんです。
「パラパラ」のときとは明らかに目の色も違います。
やっぱり彼の「パラパラ」は、視覚的に惹きつけられているのは間違いないけれど、「パラパラ」自体を視覚で楽しんでいるのとは、ちょっと違う気がするんですよね。
ただ、楽しそうな様子は全体から伝わってきます。
きっと何かあるんでしょう、彼の中に。
いつか彼の中にある「何か」に触れられる日が来るのかな?なんてことを思っています。
支援者間で情報共有ということをすると「こんなことをしたらハマった」「こんなものに夢中になった」という話が出されると「何をしたか?」という点がクローズアップされがちで、同じことを試みようとしてしまいがちです。
でも、あるところで上手くいったからといって、どこでも上手くいくとは限らないし、どこででもやらされたら正直飽きてしまいます。
それは僕らでも同じことです。
「何をしたか?」よりかは、何をしていて「そのどんな点が、その子を惹きつけたのか」というところを見ていって、そういう要素を含ませていろんなことを考えていきたいものです。
今日のM君の様子の中には、遊びや学びが広がったり深まったりするための要素が隠れているはずなんです。
それを見つけたいな、とワクワクしながら帰りの車を運転していました。
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