表現指導の一環として、作文指導も請け負っているからか、「うちの子、自己表現が下手なんです。苦手なんです。」と言った類いの声が寄せられることがあります。
でも、実際に子どもと関わってみると、「自己表現が下手」「自己表現が苦手」と感じないことも多いです。
あるいは、子ども自身は、それが苦手であったり下手であったりするという自覚が無いということもあります。
ついつい親心として、「この子の事を知りたい」という想いが先行して、目に見える表現を求めてしまいますが、自己表現は、「自己」を表現することですから、表出してこないことも含めて「自己」、つまり「その子」であると僕は思うんです。
のんびりとしている子もいます。
チャキチャキしている子もいます。
よく喋る子もいます。
あまり喋らない子もいます。
あまり喋らない子に喋らせても「自己表現」は難しいです。
そもそも「自分らしくない方法」を取ろうとしているわけですから。
ただ、「親心」も分かるわけです。
親として求めたり、周りから求められる形として提示(表現)が出来ないと、後々困ったに繋がりかねませんから。
僕はそういうときに「今、あなたが持っている表現の術と周りが求めている形との差を埋めるための練習」という事を告げて作文に入ります。
そして、その子が持っているものを、尋ねたりしながら原稿用紙に落とし込みをしていきます。
一緒に作り上げるイメージです。
終わったときに「これだけのものを持っていたね」「書けたね」「まずはここからで良いからね」と結んで次に繋げていきます。
「自己表現が下手」と周りが言っていても本人は「自己表現してるよ」というのであれば、そこに歩み寄っていって、「何を表現しているのかな?」と大人の方が汲む、というのがスタートだと思います。
作文コンクールで賞を取ることと、自己表現をすることは別物。
僕の目指す作文指導は、その子と周りを結びつけるもの。
以前、それこそ作文が苦手という子と会話をしながら書き出すことを考えていたら「書いたり、話したりするのはあまり得意じゃないけど、嬉しいことがあると身体がソワソワなる」と教えてくれた子がいました。
でも感情を「嬉しい」という言葉でまとめることに納得できないということでした。
「それなら、そういう様子を書いて『嬉しい』じゃなくて『嬉しさ』の伝わる文章にしてみたら?」
と提案しました。
そしたら、実にのびのび書き出したんです。
ぐるんぱの作文指導は、そんな感じです。
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