個別に子どもらと向き合ってきて、それぞれの子と、その時々でやり取りを重ねてきて…間違いなく、この実践が僕の財産であり、支援をしていく上での手札を作っているんです。
多少の歩調合わせが必要な子も出てくることは当たり前として、出会った子とのやり取りで「行き詰まりましたので、すみません」なんて投げ出さずに求められる限り付き合っていける、という根気と一種の自信は身に付けてきました。
目の前に子どもたちがいれば、です。
対面したことのない子どもの事について、話をするというのは少し違います。
バックグラウンドを把握しきれない中で、話をするのは難しいと、今でも感じます。
知っている子について話すときの何倍も慎重になります。
こういう場合、自分の経験をもとに確認作業を進め、提案をしなくてはいけません。
しかも僕が関わるのではなく、他の誰かが関わる術としての提案をするとなると、「永田流」ではダメなんですね。
いえ、僕の日頃の支援も勉強と経験を重ねてきて身に付けたもので、我流の型破り、というものでも無いんです。
でも、少なからず「関係性」とか「永田の良さ(関わり方であったり、場合によっては身体的な要素なども含まれます)」とかを含んでの、日頃の支援になっているのも事実です。
その実践を会ったことのない子どもへ、僕でない人が支援にあたる、となった時に、その術が僕の手から離れても生きるように体型立てる、普遍化する。
そう出来るように整理を進める。
僕がしていかないといけないことなのだと、最近強く感じています。
それが出来たら、ぐるんぱももう一回り広がりを見せる気がします。
僕の支援者としての奥行きも出る気がします。
今年はそういうものを身に付けていくために恵まれた年になりそうです。
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