1985年生まれ福岡県宗像市在住。西南学院大学国際文化学部卒業。 2008年福岡県警察に入職するが突発性難聴を発症し退職。 難聴や精神の落ち込みを様々なサポートで乗り越え、支援者という立場に回りたいと考え、2009年障がい児者支援団体に就職。障がい児者に療育的プール活動と学習支援活動を提供する指導員として勤務。 2016年福岡県宗像市で療育活動を提供する知的・発達障がい児者支援団体「ぐるんぱ」設立。知的・発達障がい児者、その他困り感を抱える子どもたちへの療育的プール活動と学習支援活動、福祉事業所顧問、保護者学習会主催などの事業を展開。一般企業へも発達障がい啓発・対応研修も行う。 「オムツの取れなかった10歳児がプールを始めて3か月でオムツが取れた」「家庭学習が定着した」「自傷・他害行為が減った」「従業員の仕事効率が上がった」など各家庭や社会生活に寄り添う支援を実践。 お問い合わせは、下記のいずれかへどうぞ。 メール:gurunpa.munakata@gmail.com 電話:090-5724-0660 ぐるんぱHP:http://gurunpa-munakata.jimdo.com/
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2015年12月31日木曜日
貧乏クジを引く人は引くべくして引いている
買ってから抽選まで夢を見て楽しむ、という楽しみ方に変わっています(笑)
3000円で2週間くらい夢を見続けられれば安いもの…映画なんて1800円で、せいぜい3時間ですから…こうやって自分を励ましながら次の宝くじにも投資をしていくのです。
さて、恐らく年内最後の更新になります。
宝くじネタに因んで、タイトルの通り「貧乏クジ」ということについて。
僕は「貧乏くじ」という言い回しはあまり好きではありません。
自分はほとんど使わないと思います。
だって、この言葉、口にした時点で取り組んでいることが「貧乏クジ」になってしまう気がするからです。
もちろん周囲から見て本当に「災難だったね」と声をかけたくなるような出来事に見舞われている人は結構います。
それでも良いものにしようと前向きに取り組む人はいます。
嫌なことを「貧乏クジ」という言葉で括ってしまうと、自分の置かれている状況を受容できなくなりそうです。
「自分は貧乏クジを引いてしまった」ということを盾にして、物事が上手くいかないことを悲観していても、貧乏クジは貧乏クジのままです。
それよりか「貧乏クジを当たりクジに変えてやる」くらいのバイタリティを持った方が健全です。
そういう心持でいる方が、状況を落ち着いて観察、分析出来て、突破力に変えられると思うのです。
「自分はいつも貧乏くじを引かされる」と思っている方、深呼吸をして今起こっていることを「出来事だけに目を向けて」みてください。
殊更、人付き合いの絡むもので、「貧乏クジ」なんてものはあり得ないと思っています。
自分にとって貧乏クジに思えることが、別の人にとってはそう感じないこともあります。
他の誰かが貧乏クジだ、と言う事が、自分にとってはそうでもないことだってあります。
つまり、「貧乏クジ」と思っていることは、その人の「課題」だということです。
タイトルに「引くべくして引いている」と書いていますが、「貧乏クジにしてしまっている」という気がします。
極端な話、毎回面倒な話を断れず「貧乏クジ」が回ってくるのなら、それは「断れない、ということがあなたの課題」というメッセージかもしれません。
とにかく、何かに取り組むなら、自分にとって何か収穫のあるものにしたいじゃないですか。
失敗しても転んでもタダで起きるのはもったいない。
子どもと関わる上でも、どこかにそういう要素を含ませて関わりたいと思います。
やっていることが無駄になるわけではない、ということを含ませて。
さ、これから友人夫婦が来宅。
ここ数年恒例の、すき焼きしながら友人夫婦と年越しです。
食後に家を出て、宗像大社に初詣の予定です。
皆さまどうぞ良いお年を。
来年もよろしくお願いいたします。
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食べられない、にも支援
ノンアルコールカクテルなんかがたくさん並んでいました。
アルコールが摂取できない妊婦さんも食事の時間を楽しんだり、気分を味わったり…そういうことが出来るのですね。
普段、スーパーなどでも見かけますが、こうしてマタニティコーナーに並ぶと、意味合いがぐっと深まる気がします。
我が家の場合、僕自身も家で酒を飲むのが年に数えられるくらいの回数だし、妻の妊娠が分かった6月から僕自身も一滴もアルコールを飲んでいません(エッヘン)!ので、余計にノンアルコール飲料について考える機会が少ないのかもしれません。
でも、こういう商品のおかげで世の妊婦さんの発散が幾分かされているかと思うと、改めて感心しました。
さて、食にかかわることでもう一つお話を続けます。
今日の朝刊にある特集がありました。
福岡県内のある中学校で、今年度から朝食提供をしているとの記事でした。
概要は、1学期には週に一度バナナを提供する日を設け、2学期にはパンの日も設定した、とのことです。
希望の生徒に提供が行われるようで、取材をした日にも30人ほどの生徒が朝食を学校で食べたとありました。
この取り組み、ソーシャルワーカーの提案でスタートしたらしいです。
バナナの場合は輸入時の検疫で開封し、問題のなかったものをフードバンクが管理し、学校がフードバンクを介して輸入業者から貰い受けるとのことです。
週に2000本ものバナナが廃棄処分されていたということで、そういう実態を子どもたちに伝えることも含めての食育プログラムのようです。
上手いこと考える人がいらっしゃるのだと思います。
恐らく、もともとは家庭環境が厳しい状況にある生徒を軸に考えて持ち上がった企画なのではないかと思うのですが、どうせ取り組むなら付加価値を付けてしまえ、とこのブログラムにまでなったのだろうと思います。
成長期、特に朝食の大切さが説かれる時期です。
そういう時期にしっかりと朝食を食べてもらい、食料が廃棄されるという事実も知っていける。
目の前の子どもの実際的な困っている点に支援を行い、その背景を考え、そこから広げた取り組みをして、予防的取り組みにまで発展させる、そういう考え方がこれからもっともっと必要になると感じています。
「(本当は食べたい)(本当は必要だと分かっているけれど)食べられない」
妊婦さんの食から、子どもたちの朝食の話。
そういう人たちを支える仕組みやものが目を向ければ、結構あります。
でも、それに気づけないことも多いのです。
それが大きな課題かな。
2015年最終日、朝から食のお話でした。
来年もしっかり食を管理して、自分を整え、食を楽しみ(比較的平和な日本に生まれた人間の権利と義務だとさえ思っています。感謝しながら頂きたいです。)、歩む活力にしていきたいです。
食のこともか…勉強すべきことは多いな。
さ、いよいよ2016年が目の前まで迫っています。
新年、ぐるんぱも活動を活発にしていきたいと思います。
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2015年12月30日水曜日
どんな風に新年を迎えますか?
毎年、年の瀬になると思うことがあるのですが…
人によってはある程度年齢を重ねると「誕生日を祝われて嬉しい年じゃなくなった」なんて言う人がいます。
でも、そういう人でも「新年を迎えること」はおめでたいと言うんですよね(笑)
僕には不思議です。
一人、知人に面白い人がいます。
しばらくその方ともご無沙汰していますが。
1月1日生まれの女性です。
彼女は新年を迎えると同時に年を一つ取ります。
「あけましておめでとう。でも、また年を取ってしまった」と新年を祝いながら、自分の誕生日をため息をつきながら嘆くのです。
年末年始、バタバタとすることは多くなりますが、彼女ほど内面が忙しく目まぐるしい人を僕は他に知りません(笑)
新年の迎え方、年の重ね方、人それぞれです。
僕らしく新年を迎えて、僕らしく年を重ねる2016年に向けて準備しています。
今日は短め。
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2015年12月29日火曜日
紙に書き出してみる
2015年12月28日月曜日
「なんとなく」も大切に。そしてそれを人と共有する。
「学校で人間関係にストレスを感じていた」
「殺す相手は誰でもよかった」
「人を殺したら必ず逮捕されると思った」
という旨の供述をしているという情報がメディアで報じられています。
その一方で、周囲は
「きちんとした生徒」
という印象で、驚きを示しています。
療育とか教育を専門に勉強している人の前で口にすると「何それ?」と言われてしまいそうですけれど、僕は目の前の子どもや人と関わるときに「なんとなく」という感覚をとても大切にしています。
「なんとなくいつもと違う」
「なんとなく寂しそう」
「なんとなく辛そう」
「なんとなく暗い」
「なんとなく…」
初めは、そういうところから変化が起こり始めることがほとんどだと思います。
「なんとなく」は言わば、予備動作のような時期だと思います。
周りから見て「なんとなくいつもと違う」とか、「なんとなくこう見える」という点というのは、その見た人の印象でのレベルなのですが、その感覚はとても大切にするべきだと思っています。
「なんとなく」という感覚は、知識あるいは経験がないと働きません。
これまでに出会ってきた人たちとのコミュニケーション、勉強で得た知識、そういうものが総動員されて「なんとなく」を作り出しています。
椅子に変な座り方をしている子どもを見て「なんとなく危なっかしいなぁ」と思ったことはありませんか?
落ち着きない子を見ていて「あの子、転ぶな…ほら(笑)」となった経験はありませんか?
それは別に予知能力が働いている訳でも何でもなく、これまでの自分の経験や見てきたものから瞬時に統計のようなものを取って、「予感」として処理しているのです。
冒頭のケースでは、本人と周囲の話に大きなズレがあります。
もちろん周囲がうそをついているとか、周囲が気づいていない、とかそういう話ではありません。
それでも、「なんとなく、あの子最近気になるな」と感じていた人が一人もいなかったとも思えないというのが、僕の正直な感想です。
「なんとなく」という言葉は根拠と自信に欠ける響きを含んでいます。
それに加えて「普段の様子」というものが、その人の日ごろのイメージを作り出していますから、そのうちに「気のせいかも」という思いが湧いてきて、「なんとなく」感じた印象を忘れ去ってしまうのです。
そうして、その印象を自分の中にとどめてしまうという構図が完成します。
それが今回の事件(他にも類似のケースは山ほどありますが)の問題点だと思っています。
根拠が説明できなくても構いません。
自信がなくても構いません。
それでも「なんとなく」感じたことを周囲に伝えていくことは、してほしいと思います。
僕もしていきたいと思います。
伝えることで「あ、言われてみればそうかも」と共感してくれて、一緒に気を配ってみようという仲間が現れるかもしれません。
誰かに伝えてみてください。
あるいは本人に伝えてみてもいいかもしれません。
こちらは勇気がいりますが。
でも、本人すら気づいていないこともあるのです。
「あ、そうか」「そうかな?」と反応も様々かもしれませんが、「今のあなた、こんな風に見えているよ」「ちゃんとあなたのこと見ているよ」というメッセージにもなります。
「なんとなく」が変化の兆しです。
「なんとなく」が支える力の原点になり得ます。
上手く説明できなくても、それを誰かに伝えてみることしてみてください。
今まで、飲み込んでいたなら尚更、これまでとは違う展開になるはずです。
今夜も取り留めなくつらつらと書き散らかしてしまいました。
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2015年12月27日日曜日
フィンランドのパパたちから世界にお届け物。
我が家に国際便の小包が届きました。
しかもかなり大きな。
これ、フィンランドから取り寄せたものなのですが、「フィニッシュベイビーボックス」と言います。
テレビだったかな?取り上げられていて、その存在は知っていました。
それを夫婦で相談して取り寄せてみることにしました。
その「フィニッシュベイビーボックス」とは何ぞや?とお思いの方も多いでしょうから、少し説明をさせていただきます。
まず、フィンランドと言うのは育児は男性も多いにかかわるのが文化として定着している国だそうです。
そのフィンランドのパパたちが「育児に必要なものって最初は分からないよな」ということで、自分たちの経験を基に、必要なものを一式取り揃えてセットにしちゃいました、というのがこの「フィニッシュベイビーボックス」です。
新生児から9か月くらいまでの衣服と、お世話に必要なアイテム(体温計、爪切り、哺乳瓶など衛生用品など)が51品、箱に詰められています。
もちろん、服などは買い足さないといけませんが、9か月くらいまでの体の成長に合わせて、サイズの異なる服がたくさん入っていました。
スターターセットとしてはものすごい充実したものです。
必要なものを本や産婦人科で聞いて、探し回る手間と、費用を考えるととてもお得です。
どんなものか、実物を見ないまま注文をすることになるので、不安はありましたが、赤ちゃんサイズの羽毛布団だって入っていて、この値段で、しかも家まで届けてくれるのですから、文句のつけようはなかったです。
そしてユニークなのが、品物が入っていた段ボール。
これが頑丈なものを使用していて、底にはマットレスが敷いてあり、荷物を出したら、箱がベビーベッドとして使えるのです。
簡易的ではありますが、十分に機能を果たせるのではないか?という印象を持っています。
輸入なので関税の関係で配達時に10000円、別途支払いをすることになりましたが、関税の領収書を写真で取って、メールで送れば、このとき支払った金額と同額が口座に振り込まれるというサービスまでしてくれるので、純粋に商品の値段だけでお取り寄せが可能です。
注文直後から、メールで配達状況をお知らせしてくれますし、そもそもフィンランドからなのに、我が家は1週間程度で到着しました。
こうやってベビー用品が我が家に並び始めると、「いよいよ」という感じがしてきます。
予定日まであと8週。
パパ頑張らねば。
実際に育児が始まってみないと断言はできませんが、本当に充実した内容だと思っています。
こうやって、購入した相手に満足感と期待感を持たせる商品って本当にすごいと思います。
自分たちの経験から、もっと助けになりたい、という思いを原動力にしていて、見えない相手に寄り添おうとした結果生まれた商品だからだと思います。
商品ももちろんすごいのですが、企画者の心遣い、優しさがあってこそのものだと思います。
世の中、素敵な仕事をしている人がいっぱいいますね。
励みになります。
今日はこんな感じで。
年末年始もブログは更新していく予定です。
どうぞよろしくお願いします。
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2015年12月26日土曜日
どんなイメージか探っていく
力こぶを作るイメージ?
急いで作業をしながら汗をかくイメージ?
「ファイトー!いっぱーつ!」的な助け合うイメージ?
例えば「仲良し」という言葉を聞いてどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?
肩を組んで笑顔が並ぶ様子?
手と手を握り合っている様子?
カップルが腕を組んでいる様子?
「喧嘩するほど仲が良い」という言葉?
一つの言葉に対して、思い描くイメージは十人十色です。
だから「頑張れ」と声をかけても力んでしまう人もいれば、早くやろうとする人もいるのです。
だから「仲良くしなさい」と言っても上手くいかないことがあるのです。
僕らが普段使っている言葉は、自分たちが思っている以上に抽象的だと思った方が良いと思います。
抽象的と言うと誤解があるかもしれませんね。
受け手次第で、言葉を目に見える形に実践しようとしたら違いが出てきます。
その違いが認識できないこともとても多いのです。
言う方も「頑張れって言っているじゃないか!」と腹が立つ。
受け手も「頑張っているじゃないか!」と腹が立つ。
共通のルールが足りないからそういう事になると思うのです。
「頑張る」というのはこういうこと。
「仲良く」というのはこういうこと。
という具合にです。
僕が今まで関わってきた子どもの中には、コミュニケーションで躓いて、友達と上手く付き合えなかったり、学校生活が上手くいかない子もいました。
そして、関係者からそれぞれに話を聞いていくと、そのイメージの持ち方の違いが埋められていないことが根っこにあることがとても多いのです。
いつ、誰と、どこで、何を、どうする…ということを具体的に説明することを求められた経験は多くの人があると思います。
でも、「仲良くしなさい」という言葉とか「頑張りなさい」ということについて、どれほど具体的に説明を受けてきたか、あるいはしてきたか振り返ってみてください。
実に曖昧なことが多いと思います。
障がい関連、育児関連の本を読んでいるとこの手のことは、もう溢れるほどに書かれています。
それでも、悩み続ける人が多いのも事実。
それってきっと、本に書いてあることをそのまま当てはめようとするから起こるのだと思っています。
頭では「当てはめは良くない」とわかっているのですが。
その子の持っているイメージとマッチをさせていかないことには、言われていてもチンプンカンプンということになります。
その子、その人が、どんなイメージを持ちながらそれぞれの言葉を受け止めて、それをどう体現しようとしているか、それを支援する側、関わる側は汲み取っていく必要があるのです。
でないと、押しつけで終わってしまい、「なんか考え方を押し付けられた」という違う部分がインパクトとして残ってしまい、いつまでも問題が解決しないという落とし穴にハマってしまいます。
もっと言うなら「本も書き手の持つイメージを使って書かれている」ということです。
もちろん、このブログそうです。
出来るだけ具体的になるようには、心掛けていますが、小説の解釈の仕方が読者次第というのと同じように、解釈の仕方は人それぞれだと思っています。
実践本なんかには「方法」が紹介されています。
そこにでさえ「こんな心持ちで取り組みましょう」と書いてあったら、そこには必ず実践者ごとの差が生じますし、書いていなければ、無機質的に行っても上手くいくはずは到底ないです。
迷いがあったり、あるいは「上手くいかないじゃないか!」という腹立たしさが生じたりするのです。
同じことをするにしても「きっと出来る」と思いながらするのと「無理かもしれない」と思いながらするのでは全然違うというのは、分かると思います。
言葉にできない、目に見えない違いが、そこには確実にあるのです。
言葉は、素敵なものですし、便利なものでもあります。
でも、万能ではありません。
なので、その子、その人がどんなイメージを持っているか探りながらコミュニケーションを取ることが大切になるのです。
そのイメージのすり合わせは、日ごろのコミュニケーションの積み重ねしかないことは言うまでもありません。
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2015年12月25日金曜日
ゆっくりと出来ますか?
2015年12月24日木曜日
日常生活を整えてこそ余暇に向かえる
とわは興味津々です。
これは僕ら夫婦のケーキです。
とわのは、ペットショップで「犬用ケーキ」を購入済みです♪
甘いなぁ~!(いろんな意味で)
…。失礼しました。
余談でした。
今日の朝日新聞朝刊、社会面に「競技と出会って人生輝く」と大きく見出しがあり、知的障がいを持つ高校生がスペシャルオリンピックスを目指してフィギュアスケートを習っているということ、義足でスノボに向き合う男性、この2件を取り上げた記事でした。
記事の中にもあるように障がいを持っていてスポーツをしているという人は、本当に少ないです。
それだけ、何かしら障がいを抱えると日常生活で困難さを感じたりしているのでしょう。
それが「スポーツなんて」と遠ざけることの一端になっているのかもしれません。
日常生活で感じる困難さが、そうやってスポーツであったり、それ以外の趣味であったりから遠ざけるというのであれば、日常生活を整えないことには、いくら周りが「大丈夫」「きっとできる」「やってみようよ」とどんなに本人や家族らに呼びかけても届かないと思います。
日常生活を整えることの大切さ、本質はこういう部分にあると僕は考えています。
ただ、単に勉強して、働いて…それだとあまりに無機質的で、思考というのも健全に働かなくなります。
もちろん、仕事や勉強に生きがいを見出したり、自分なりの使命を持って励む人もいます。
そういう人はそこを軸に、輝く場所を持っています。
それとは違う話をしていることは察していただけると思いますので、話を戻します。
日常生活。
イレギュラーな行事や、突発的なものとは違い、毎日継続的に流れていく時間です。
子どもであれば、学校生活や家族とのコミュニケーションなどがそれです。
それが整わないというのは、余裕がなくなります。
次第に「あれも上手くいかない。これも上手くいかない。」となれば「新たにチャレンジしてみよう」なんてバイタリティが湧くはずもありません。
バイタリティのない状態で、日常生活を送ると日々が無味乾燥に感じられ、無機質さを覚えます。
「僕は何のために生まれたの?」「生きるってなんだろう」と一種哲学じみたことを考え出し、日常のもっと考えなくてはいけないことに目が向かなくなって、益々日常生活が破たんするという悪循環に陥ってしまいます。
僕は子どもたちへ学習をツールにして日常生活を整える支援をしていきます。
そこが僕の考える切り口として最適だから。
いきなり「もっとバイタリティをもちなさい」なんて言うと説教されているようで嫌になるでしょう。
そもそも日常生活が整っていない子の中には「僕はどうせ」というのがどこかに根付いている子も多いですから。
自信を身につけたり、取り戻したりするには生活に密着したものをしていく必要があるのです。
いきなり何かにチャレンジして「出来た」という経験をしても、それを機に日常生活に繋がる自信に気付かせないと結局継続できないということになります。
日常生活から切り込んで、余暇を考える、というところまで持っていけたら、ぐるんぱの活動の意味はあるのかな、などと考えています。
障がい児者や日常生活でつまずきを抱えている人たちの余暇。
そういう一種、文化のようなものを変えていこうと思ったときに、周囲の人間環境もそうですが、設備的な面でも、「もっと変わればいいなぁ」と思うことはたくさんあります。
日常生活に「これでいいかな?」と疑問を持ちながら目を向けていきたいです。
今日も思いのままに文章を綴ってしまっていますが、日常生活を整えることで障がいや困難さを抱える人が、趣味や生きがいを見出す助けになるのではないか?という僕の考えをつらつらと書いてみました。
どうぞよいクリスマスを♪
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2015年12月23日水曜日
僕にとって回転ずしは分かりやすい食事です
わざわざここで「食べに行ってきました!」なんて報告する程の食事でないことは僕も分かっています(笑)
敢えて記事に挙げたのは「分かりやすさ」の話をするためです。
回転ずしと言う仕組みは基本的にはとても分かりやすいシステムです。
それは間違いないと思います。
・回っている皿を取る
・金額は皿ごとに決まっている
・自分の取った皿の分だけ料金を後払いで支払う
・一度取った皿はレーンに戻さない
というのが大まかなルールで、これを理解していれば利用できると思われます。
子どもが把握していなくても同伴者である大人が把握していれば問題もないでしょう。
店のシステムそのものが分かりやすいので、各家族ごとにそれ以上の細かいルールを決めるのもしやすいと思います。
例えば「一皿食べてから次の皿を取る」とか、大体が2貫ずつ皿に盛られているので「一皿当たりお父さんと一貫ずつ」、「○皿まで好きなのを取る」などが出来るのではないでしょうか?
食べる量やマナーを体系立てて説明しやすい気がしています。
外食をするというのは、ただ出かけて食べるだけではないと思っています。
一定のマナーや行儀作法が必要になってきます。
もちろんいろんなところで食べられるようになったら良いのですが、練習が必要な子にとっては、まずは分かりやすいものの方が良いと思います。
小さなお子さんがいる家庭では「お子様ランチがある店」というのは一つ選ぶ基準になっているところも多いかもしれませんね。
お子様ランチには「子供が喜ぶ」ということもそうですが、「子どもにとって、自分が食べる量が分かりやすい」というメリットがあります。
考えてみてください。
自分の限度などが管理できない子どもと中華料理屋で大皿から料理を取ることを。
目の前にたくさんあるものだから欲しがってしまうことはありませんか?
もちろん回転ずしと同じようにルールを決めればよいのですが、回転ずしやお子様ランチほど「一人分」という量が分かりやすくなく、そこが曖昧になっていると思います。
そのため「もっともっと」と外食に来た嬉しさも手伝って取りすぎて残す…ということになります。
多くの家庭がその残りを保護者で食べてしまうのでしょうが、「パパママが片づけてくれるから」ということでなかなか「食べ残しを極力しない」マナーが定着しないのです。
小さいうちはそれでもいいかもしれませんが、成長してきて「食べ残しがひどい」「だらだらと食事をする」というのは、困ったことになってきます。
ですから、小さいうちからコツコツと練習が必要です。
「自分の適量」「一人分」という概念がしっかりできてからだと、中華料理屋などでも幾分か楽に食事できるでしょう。
また、早く食べ終わった子どもが落ち着かなくなることも防げます。
食べ終わった子どもはもう興味は他へ移っていますから、じっとしているのが苦になってくるのです。
その際に、「大人がどのくらいで食べ終わるか」という見通しも立てやすいお店だと良い気がします。
「ここまで食べたらごちそうさまするからね」と。
今日は飲食店を例に話をしましたが、他のことでも「子どもにとっての分かりやすさ」を基準に考えてみると、選択の仕方が変わってくるかもしれません。
もちろんいろんな体験をしていくことは大切ですので、いつでもそれを基準に考えていると窮屈かもしれませんが、上手にできなくて「困った」ということはこういうところに視点を持ってくるといいかもよ。
という点でのお話でした。
その子その子で「分かりやすさ」は違いますから、あくまで今日のは一例としてとらえていただければと思います。
でも、個別支援というのはそういうのを考えていくことなのです。
「その子にとっての分かりやすさ」をこちらが気づいて、「こんな風にしてみたら」と提案して、上手くいけば応用の方法を伝えて広げていくし、上手くいかなければ「じゃあ、こうしてみよう」と提案する。
そういう事です。
日常に密着した考え方をする練習を僕自身、もっともっとしていかなくては!
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2015年12月22日火曜日
今夜はゆず湯に入って温まるぞ
一年のうちで最も昼の時間が短い日。
冬至と言うと、ゆず湯とかぼちゃが直ぐに思い浮かぶのですが、みなさんはどうですか?
我が家も今夜はゆず湯で体を温めて、ゆずの香りで邪気払いをしてから寝ようと思います。
日本では、他にも「とうじ」に因んで、豆腐やトウガラシなど、「と」のつく食べ物を食べる風習もあるようです。
ところ変わって、中国ではまた少し違う風習があるようです。
中国北方では餃子、南方では湯圓という食べ物を食す習慣があるのと、家族団らんで過ごすという日になっているようです。
他にも太陽の力もっとも弱まった日を無事に過ぎたということを祝う地域もあるのだとか。
クリスマスもキリスト教とミトラ教やドイツ北欧のユールという冬至祭が混淆して出来たものという説もあるそうです。
(以上、ウィキペディアより一部引用)
割と、言葉とか文章とか書くということが好きなのでこういう事を時間を見つけては調べてみています。
いわゆる雑学で、日常生活の足しにはならないかもしれないけれど、自分の心持が豊かになります。
僕はこれまでの職場で余暇の大切さを学んできました。
人生を豊かにする要素が余暇にはあります。
僕の場合、こういう雑学的なことを調べたり、本を読んだり、犬の散歩をしたり…のような余暇の過ごし方があります。
それらを通して心持を豊かにしたり、保ったりしている訳です。
自分が余暇の時間を楽しむ術を知っていないと、余暇の時間についての提案、提供はし得ないと思っています。
僕はまず、学習ということを通して子供らと関わっていくことを目指しますが、それを通して、学習をツールにして子どもに、自分の持っている分だけの世界観を子どもたちに伝えたいというのがあります。
「こんな世界もあるんだよ。こんな人もいるんだよ」と。
そうして、自分らしさを見つけて、作って、余暇の時間を自分を豊かにするために過ごせるように地力をつけて欲しいと思っています。
学習でも他のことでも何でもいいのです。
僕の場合、この学習というのがツールとして、入り口として入りやすいと考えて、ぐるんぱを立ち上げたわけですが。
学習と余暇、裏返しのように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、繋がっています。
いろんなことに対する好奇心を育むきっかけにもなります。
それから考えてみてください。
僕らがメリハリのない生活をしていたとしたら、余暇の時間を楽しめるでしょうか?と。
そういうことです。
冬至とゆず湯の話から随分と逸れてしまいましたが、明日からまた徐々に日が長くなっていきます。
でも、日本ではもう少し寒さが深まります。
インフルエンザやらも流行る時期がきます。
気を付けてお過ごしくださいね。
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2015年12月21日月曜日
受容することの難しさとその先にある楽しみ
「ボクはそっちに行きたくない!こっちに行きたい!」と主張し始めました(笑)
2015年12月20日日曜日
縁起物を手作りするというだけで福が呼び込めそうな気がする
今日のは完全にプライベートでぐるんぱとしての要素は無し、だったのですがいい経験をさせていただきました。
町内の高齢者中心の自治組織があるのですが、そこが企画した「正月飾り作り」に参加してきました。
もともとは地域の当番をやっていることもありお付き合いがてら参加、ということだったのですが、参加しているうちにものすごい楽しくなってきました。
高齢者中心に20名弱が公民館に集まり、「先生」と呼ばれる男性が一名、指導してくださって正月飾りを作るというものでした。
藁を編んで、針金使って留めて…慣れない手つきで奮闘して3時間…途中15分の休憩中にはぜんざいを振舞って頂いて、地域の方たちとゆっくりおしゃべりも楽しんで…完成!!
よく家の扉の上に飾ったりする鶴を模した正月飾りです!
同じように指導を受けて作ってもやっぱり個性が出るから手作りというのは面白いと思います。
既製品でばっちりキマっているのもカッコいいですが、手作りは温かみが出て良いものです。
2016年、自分で作った正月飾りで新年を迎えて、福を呼び込んで、永田淳哉として、ぐるんぱとして、2月からは父として、良い一年を作っていこうと思います。
それにしても不思議なのは、「手作り」すると直ぐに愛着がわいてくるものだから、もうそれだけで福が呼び込めそうな気になってきます。
単純なんです(笑)
まぁ、福を呼び込むのも自分の行動次第。
しっかり動いて、しっかり考えて。
それが大切ですね。
思いの外カッコ良く出来たものだから、年明けのどんど焼きで燃やすのもためらうだろうなぁ(笑)
繰り返しになりますけど、手作りというのはやっぱり物以上に思いとか、熱意とかそういうものが宿っていて、それって少なからず見る人、使う人に伝わると思います。
ぐるんぱの教材も手作りが基本なので、そのうち「こんなもの作ってみました」的なコーナーもブログに出来てくると思いますので、お楽しみに!!
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2015年12月19日土曜日
自分自身が啓発されるもの
こうやって毎日ブログを更新していますが、それは必要な人に必要な情報が届くように、というのが一番でしていることではあります。
正直なところ、毎日ブログを更新するとそれだけ時間を取られるわけです。
それなら、自分のためにもなる時間にしたいと思います。
ブログでも、それ以外でも体験したことや考えたことを書き残すことで自分自身が啓発されるような時間にしたいと思っています。
このブログ、半分以上(9割くらいかも?)が僕の価値観のを発信したもので、それを読んで「あ、そうだよな!」という具合に気付きや元気が出る人は1割いるかどうか、という内容だと思っています。
でも、その1割の人と自分のためにはなるものを書きたいと。
大変だった、っていう話
楽しかった、っていう話
辛かった、っていう話
嬉しかった、っていう話
こんなことがありました、っていう話
いろんな話をこれからも書き残すことになっていくと思いますが、それを書き残すことで読者の1割と自分自身が啓発されるものを発信していきます!
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2015年12月18日金曜日
良いところを見る
2015年12月17日木曜日
シンプルに理由を考えてみる
2015年12月16日水曜日
動かなければ何も変わらない!GAKUねっとにお邪魔してきました
一言でいうと「気持ちよかった!」という感じです。
有志で集まった、熱い想いを持った人たちが、福祉と教育を結びつけていく必要について真剣に考えて企画を打ち出したり、あれやこれやと意見と情報を交換していく場が、とても気持ちよかったです。
僕はというと、今日はまだまだ会の方針やら流れを把握するので手いっぱいでしたけど(笑)
これからも携わらせて頂きながら、少しでも力になれたら、と思います。
よろしくお願いします。
今日、改めて感じたのが「動かなきゃ、なぁんも変わらんよな!」ということでした。
文句を垂れているだけでは物事が良い方に転がるわけはない、ということです。
その暇があったら、出来ることを探したり、その出来ることに労力と時間を割こうじゃないか!
そういう空気に満ちた場だと思いました。
もちろん、それぞれの方がそれぞれの価値観をお持ちなのですが、「なんとか子どもたちの生きやすい地域に」という根っこが一緒だからまとまり感があります。
お互いに知恵を出して、お互いの持ち味を考えながら、それぞれにできることをしていく。
僕自身も必要だな、と考えていたことを実践している場に巡り合えたのは、僕にとって大きな一歩です。
この頂いたご縁とつながりを大切にしながら、またぐるんぱは前に歩いていくのだと思います。
今日、出席者の中にゆり庵さんからお越しの方がいらっしゃって、お声掛けいただいて、ぐるんぱの案内書を30部程お渡ししてきています。
このブログを読めている方はもちろんホームページを見てもらえば良いのですが、ネット環境が無い方がお知り合いにいらっしゃれば「ゆり庵さんにチラシがあるらしい」とでもお伝えいただいてもいいかもしれません。
もちろん、僕の方にご連絡いただければ郵送なり致します。
反対に「ゆり庵?」という方は僕の方でもパンフレットをお預かりしていますので郵送でも何でも致します。
こちらも併せてご案内まで。
ゆり庵さんホームページ
さ、出来ることをまたコツコツと。
他にも
あしたのつばささんフェイスブックページ
げんきっこくらぶ ほっぷ(社会福祉法人さつき会)さんホームページ
などのスタッフさんとお近づきになれましたので、ご紹介程度ですが。
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2015年12月15日火曜日
アンパンマンはやっぱりカッコいい!
でも、僕は「困った」=「助けて」では必ずしもないと思っています。
だから、基本的には話を聞いて「力になれるかもしれないから、何かあったら声をかけて」という旨だけ伝えて、当事者にまずは頑張ってもらう、ということが圧倒的に多いです。
でも、中には遠慮しがちな人もいるわけです。
上手く「助けて」を言えなくなっている人と言うか…「周りに迷惑をかけないように頑張らねば!」という感じの人たちがいます。
そういう時にまで「力になれるかもしれないから、何かあったら声をかけて」だけで済ませるのはよろしくないです。
言葉だけ聞いていると決して「助けて」は出てこないのですが、話し方、伝え方に意識を傾けると、全然違う声が聞こえてくる気がすることがあります。
アンパンマンの世界でバイキンマンがイタズラをして皆を困らせます。
あの世界の住人は、みんな「やめて~」とか「助けて~」という言葉を上手に伝えます。
それを聞きつけてアンパンマンが助けに来る、というパターンが圧倒的に多いです。
そしてたまーに、上手く「助けて」を言えないキャラクターが出てくると「どうしたの?」とアンパンマンが尋ねることから始まることもあります。
そして、アンパンマンは「なら僕が○○してあげるよ」と提案して力になってあげる。
アンパンマンは、本当に上手に人の「助けて」を汲み取ります。
「助けてが言えなくて困った」ということにも、しっかり気づいてあげられるのです。
そういうアンパンマンはやっぱりカッコいいし、いつまでも僕のヒーローなのです。
「助けて」がどこに、あるいは何に掛かっているものなのか?
それは当事者も気づきにくくなっていることが多いと思います。
それを指摘するのではなく、当事者が気づける余裕が出るまで気長に、目に見える問題点をサポートしていって、当事者が問題の本質というか根本に気づいたときに初めて「じゃあ、そのことについて一緒に考えていこう」と提案していくことを目指したいと思っています。
もちろん、こちらから見た問題の根っこに当事者が気づくときには、こちらとしても支援の道筋は、日々の関りと並行して考えていっておかなければならないとも思っています。
ゆっくりと。
慌てない支援をしていきたいと思います。
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2015年12月14日月曜日
何かが動き出している予感!メイクハッピー&ピースにお邪魔してきました
すると、割と若いと思われる男性が電話に出られて、こちらの事情をお話しすると「今日なんか、ご都合よろしければ会って、少しお話しませんか?」と願ってもいないお申し出を頂きまして、当然「是非とも」ということになったので、14時というお約束で事務所を訪ねさせてもらいました。
代表の仲西さんが対応くださって、ぐるんぱのことをお話しさせてもらって、メイクハッピー&ピースのことを聞かせてもらって、お互いの考え方や持っている思いとか、課題…とにかくいろんな話をしてきました。
気が付けば2時間(笑)
有意義な時間でした。
アプローチの仕方、切り口はそれぞれにありますが、子どもや家族の力になれたらいいな、という根っこが一緒だと自然と呼吸が合うのだな、と再認識。
今の時代、顧客獲得で競争し合って、同業者を「ライバル」視する業界が多い中、福祉教育にまたがる分野というのは「お互いに連携して」という風潮がとても強いし、現に必要な業界だと思っています。
支援者の側が同業者を「ライバル」だと言い始めると、それこそ本当はもっと他のアプローチが必要だったり、支援が必要だったりと、もっと上手に関われる人たちがいるのに、「俺たちが」なんて意固地になっていると、結局そのグループが孤立していくことになって、今度はそのグループを含めて支援が必要になりかねないものです。
孤立しないように、みんなが「得意なことは頑張って、苦手なことは得意な人に甘えて」と出来れば、上手くつながって、上手く回っていくような気がしています。
そういう空気感を作っていきたいと思っているので、今日のつながりはとてもありがたいものでした。
切り口、持ち味はそれぞれに違うのだし、違って良い、そういう考えで輪を作っていけるから協力関係が築けると思います。
今日、また仲西さんの方から「こういう集まりがある(まだ許可を頂いてないので集まりの名前は伏せておきますが)」とご紹介いただいたので、また明後日は宗像市で活動を頑張っていらっしゃる方たちとお会いして、勉強させていただいて、つながりを作ってきます♪
さ、少しずつ何かが動き出している予感がしてきました。
改めて仲西さん、今日はありがとうございました。
これからどうぞ素敵なお付き合いの程よろしくお願いいたします。
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2015年12月13日日曜日
「もう ぬげない」
ヨシタケ シンスケ「もう ぬげない」
子どもの気持ちをうまーく代弁して表現している絵本だと思いました。
一見すると「もう!」何やってるの!?忙しいのに!」と言いたくなってしまう子どもの意味不明な行動も、子どもなりに、プライドやら理由、それに立派な葛藤があって「あぁ、オレもそうだったな」「あぁ、分かるかも」と子どものころの忘れていた感覚を思い出させてくれる良書だと思います。
想像力豊かに、大人とは違った視点で物事を膨らませていく子どもたちの無邪気さ、たまらないです。
読書が趣味なので、たまーに本の紹介もしていきますので、よろしくお願いします。
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今日は珍しくおすすめの本をご紹介してみました。
2015年12月12日土曜日
産婦人科はパパも学ぶことがいっぱい
僕の妻が今妊娠していまして、来年2月下旬に出産の予定です。
今から、楽しみにしていますし、「パパ、頑張らねば」と気合も入っているところです。
今日は、妊婦健診の日で午前中に同行しておりました。
土曜日ということもあって、産婦人科の待合室には子供連れ、パートナー連れの妊婦さんがいっぱいいらっしゃいました。
産婦人科の待合室って、ほとんどの方が妊婦さんで、穏やかな空気に満ちているので、僕は好きです。
たまに聞こえてくる子どもや赤ちゃんの泣き声も大抵大らかで、聞いていて不快にならないものがほとんどなので不思議です。
(仕事柄、子どもの泣き声はたくさん聞いてきましたので、いろんな泣き方があると個人的には感じています)
これも仕事柄かもしれませんが、自分のいる空間の作りなんかには割と細かく目を配る方ではないかと思っています。
産婦人科の待合室、診察室などもちろん、男性の僕が入れる空間に限ってですが、勉強になるなぁ、と思いながら眺めています。
椅子の高さ、通路、手すり、明かりは入るけれど周囲からは中が見えにくい窓、兄弟児向けのスペース…勉強になります
受付の方や看護師さんの声の掛け方、フォローの仕方、心遣いも感心しきりです。
あと、これは忘れてはいけません。
他のパパさんたちの気遣いの仕方、これは本当に勉強になります。
当然、10組の夫婦がいたら、10組の関わり合い方と、20人なりの考え方があると思うし、あって良いと思うのですが、「パートナーが妊娠している」という共通点を持つ男の人の気遣い心遣いも様々です。
「僕ならこういうところサポートするのにな」ということもあれば、「あ、あの妊婦さんはあぁいうサポートが必要なのか」と気づかされることも多々あります。
やっぱり考え方とか視点にはその人の癖があります。
その癖とか傾向は自分で知っていると良いと思います。
補うための勉強もできますし、他の視点は無いか考える基準点にもなります。
「人の振り見て我が振り直せ」
これって、単に言葉の意味の通りとっても良いかもしれないけれど、自分の視点を増やしてごらん、という示唆的意味もある気がしているのです。
さ、見たこと、聞いたこと、感じた事、考えたこと、ジャンジャンアウトプットしていきますぞ!
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2015年12月11日金曜日
スクールソーシャルワーカー的役割を目指す
スクールソーシャルワーカーの現状、今後の見通し、課題などについて触れられていたのですがとても切実な話題だと思います。
僕自身、ぐるんぱとして活動をするにあたってスクールソーシャルワーカー的役割をも果せたらというのは頭にあります。
学校の先生方とはまた違った視点で子どもたちを見て、いろんな切り口で子どもたちの日常生活をフォローしていくことが必要だと感じています。
そうなるとぐるんぱの意義は?と問われそうですが、ぐるんぱとしてはスクールソーシャルワーカーさんよりかも長期的にかかわることが可能だと思っています。
一人の子どもなり、一軒の家庭と関わるうえで、それぞれの成長と変化を見届けていく必要があり、行政の制度に則った立場では、長期的にということがどうしても難しくなると考えています。
中期的には関わることは可能であると思いますし、ボランティア的にかかわり続けようと試みる人も出てくるかもしれません。
それはそれで良いのかもしれませんが、長期的に責任を持ちながら関わりたいと思っています。
僕の考え方としては「ボランティアとしてでも関わり続けたい」というのは子どもたちとの距離が少々近すぎると思っています。
子どもなり家庭にそこまで入れ込んでしまうと、家族と近い視点になってしまい、必要な支援を見落としはしまいか?とも思ってしまいます。
そういう意味で、ぐるんぱとして、長期的に出会った子や家族と責任もって関わる方法や方針は当面変わらないのかな、と思います。
とは言いつつ、僕自身だって関われる子どもたちの数は知れていますので、スクールソーシャルワーカーとして活躍する人が増えればいいなとも思いますし、彼らの立場が確立されて補償もしっかりとしたものが用意できる制度が整えば、もっともっと「生きやすい」と感じる子どもなり家族は増えるはずです。
子どもや家庭の一面だけを見て「もしかしたら」というのは、レッテルを貼ることと何ら変わらないと思います。
自分の視点だけでなく、多くの人と連携しながら、情報を共有し、擦り合わせをしながら事実を把握して、何がそうさせるのか考察、検討して、問題の本質を見つけて働きかける必要があると思います。
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2015年12月10日木曜日
宗像市の学校の日
宗像市は毎月1回10日(休日の日は前後しますが)に、市内の小中学校の一斉公開日を設けています。
12月、ぐるんぱが活動をスタートしてから最初の学校の日ということになります。
半分広報活動、半分子どもたちの現状視察、というところでした。
学校の日は、学校側も地域の人を含め外部の人が出入りすることを前提に準備してくれているので、先生方の対応も慣れたもので、丁寧でした。
保護者の方の数としては、思ったよりかは少ない印象でしたが、それでもポツポツとお見掛けしました。
今日はそれぞれの学校に長くいたわけではなかったですが、バタバタと3校お邪魔しました。それでも、それぞれの学校の特色は十分にうかがえました。
子どもたちのカラーもそれぞれだったのを肌で感じられたのは良かったです。
とある学校で、少し先生とお話しする機会にも恵まれて、ぐるんぱのことと僕のことをお話し視させていただきました。
「そういう方が必要だと思います。名刺とか連絡先とかありますか?」と仰ってくださって、名刺をお渡ししてきました。
すると、「特別支援学級の各クラスの担任に情報を共有し、状況見て上の方にもこういう人が来たということを伝えますね」とまでおっしゃってくださいました。
やはり、ニーズのあることだという手ごたえはつかめました。
直接お仕事につながるのか分かりませんが、まだまだ認知度のないぐるんぱの永田淳哉としては、人に存在を知ってもらえることが第一です。
そういう意味でも収穫の多い一日でした。
家庭だけで抱え込んでしまったり、学校だけで悩んでいたり…そういうことがやはり常態化しているケースがあるという話も聞けました。
本当に、そういうケースは孤立させないことが大切だと思います。
こっちとしては発信は続けていきますが、必要としていない人たちのもとへ行くほど傲慢にはなれません。
必要としている人がノックしやすい環境、雰囲気作りを進めていきたいです。
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2015年12月9日水曜日
言わんとすることを汲み取る
本を読んだり、新聞を読んだり…
ネットに比べるとどちらも当然信ぴょう性なんていうものは比にならないくらいしっかりしたものだということは、言うまでもありませんが、鵜呑みにしないことは大切だと思っています。
あくまで筆者の視点があることを忘れない。
読んだものに対して、自分なりの考え方を整理していくことが大切だと思います。
「ふーん、そういうこともあるのか」「ふーん、そういう視点で考えている訳か」と。
「いやいや、僕はこう思うぞ」「あ、確かにそうかも!」
と字面を追いかけてすべて「そうか」「うん、わかったぞ」というのが危ないと思います。
これは僕自身が仕事を始めた頃に陥った落とし穴です。
何の知識もないまま障がい児者の支援活動を仕事として始めて、先輩たちの足を引っ張るまいと、意気込んで本を読み漁っていた時期がありました。
先輩から、「こういう本も読んでおくといい」と言われたらだいたい読んでいました。
でも、勉強の仕方を知らなかったのですね。
大学出たてで、働くための勉強の仕方を知らなかったのだと思います。
気がついたら、頭でっかちでした(笑)
例えば「自閉症とは」「ダウン症とは」「発達障がいとは」みたいな本を読んだら、その本に書いてあることに子どもたちを当てはめようとしていました。
本に書いてあるのはあくまで「障がいの個性としてこういう一面があるよ」という事だったのです。
それを「障がいのある人たちはこうなんだ」と無意識のうちに解釈し始めていたのだと思います。
ですから、目の前の子どもたちと上手くコミュニケーション取れるはずがありません。
支援が自分の思い描くようにいかないものだから、ふてくされたりしたこともありました(笑)
「何のために勉強してるかわかって勉強している?」
と先輩から問われて気づきました。
目の前の子どもたちを少しでも知って、仲良くなるために、支援できるようになるために、勉強していたはずなのに、気がついたら勉強のために子どもたちを見ていて逆転してしまっていたのです。
その一件があって、僕は勉強の仕方を改めました。
もちろん、読み漁って得た知識も引き出しにはなっていったのでしょうが。
子どもたちの行動を見たり、一緒に過ごす中で「なんでこんなことをするの?」「なんでこうなるのだろう?」という疑問があって、その行動なり様子の理由に近づくためのヒント探しに勉強をするということに切り替えました。
本に書いてあることもあれば無いこともありました。
そのことに気が付いたのもこの時でした。
では、本に書いてなかったことはなんなのか?
それは子ども自身が持つ個性だということです。
障がいがあっても、それとは別にその子自身の個性が、障がいの個性とは別にあるということです。
そのことに気が付けた経験として僕の中で、今でもとても大切にしている感覚です。
本などに書いてあることを鵜呑みにするのではなく、目の前の子どもを見てから必要なことを考えていく、それはこれからも大切にしたいことです。
100人いたら100通りの個性があるのですから。
鵜呑みにしない、と言えばもう一つ。
子どもの言葉も鵜呑みにしてはいけません。
子どもを疑うということではなく、子どもだって気を使ったり、強がったり、いじけてみたり、すねてみたり、本音が言いにくくなっていることがあるのです。
「共感」は健全的であるべきです。
子どもが「学校行きたくない」と言ったとして、その裏に「本当は行きたいけど…」というのが隠れているかもしれないと汲み取ることも必要です。
反対に「学校たのしいよ」と言っている裏で「本当は辛いけど…」というのが隠れていることだってあるのです。
子どもの表情、声のトーン、行動…言葉になっていないことも含めて子どもの声を聴きたいものです。
極端な話ですが、共感が不健全な方向へ進むとこうなります。
「僕、もう辛いから死ぬ」
「そうか、わかったよ」
「僕、もう辛いから死ぬ」
「そうだったんだね、僕も一緒に死んであげる」
これは共感ではないですよね?
「僕、もう辛いから死ぬ」
「そうか、それだけ辛かったんだね。でも、死ぬなんて言わないで、一緒に考えられるかもしれないから話をももっと聞かせて」
と健全的に建設的に相手に寄り添う事こそ共感だと思います。
目の前の相手の言葉になっていないことも汲み取ることをしていかないとならないと思っています。
普段から、普段の様子をよくお互いに知っておき、いつもと「なんか違う」というところにアンテナが反応できるようにしておくといいかもしれません。
感覚というか、直感のようなものは馬鹿にできません。
経験と知識の積み重ねがないとこういうものは働かないので。
そうするために活きた勉強をしていく必要があると思うし、これからも自分に課していきたいと思います。
明日は、宗像市内の小学校の学校公開日なのでお邪魔したいと思います。
お会いした方はどうぞよろしくお願いします。
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2015年12月8日火曜日
最良のあいさつを!
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2015年12月7日月曜日
どんなに科学的進歩があっても
この見出しに引かれて記事を読んでみて驚きました。
毎月購読しているビジネス雑誌クーリエ・ジャポンの記事の見出しに上のように書いてありました。
仕事柄、また、妻が妊娠中ということも相まって「退治」とか「発達」という言葉にはついつい目を止めてしまいます。
気が付いたらこういう習慣が身に付いていたし、それを嫌だと思わないし、それどころか興味深く記事に目を通せるところからすると、やはり子どもの発達とかに興味があるのだろうな、僕は。
さて、見出しの中身には胎教としての音楽について書かれたものなのですが、定説よりも早い時期から音楽を胎児が認知しているという件についてです。
ただし「お腹の中」というのは文字通り、母体の内側で音楽をかけて胎児に聞かせるのだそうです。
専用のスピーカーを母体の膣内へ入れて、音楽をかけると、定説よりも早い時期から胎児が反応をするのだとか…
このこと自体は、より近くから音楽を聞かせた方が認識いしやすい、という割と分かりやすい理屈だと思います。
それが不妊にも効果があるかもしれないというから、不思議なものです。着床率が上がるのだそうです。
僕自身、日ごろから非科学的なものよりも非論理的なものを疑え、と自分に言い聞かせています。
科学でまだはっきり証明できていないことでも、主張する人の話などを聞いて論理的に納得できればとりあえず信じてみることにしています。
論理的に納得できないことは聞き流すだけの話です。
反対に、科学で証明できていないものを様々な角度から検証して裏付けを取っていくことこそ、科学の本質だと思っています。
生きていれば不思議なことってたくさんあるものです。
それ全てに科学的理由をつけることは不可能に近いものがあります。
今の時代でも心霊や死後の世界など、一部の人が主張する世界観については科学的に証明は出来ていません。
それでも主張する人たちにとってはそれが事実なのです。
同じように子どものやり取りで「心」とか「気持ち」というものを大切にしようとするといまいち科学との紐づけが出来ないコミュニケーションが少なからずあります。
それでも、やり取りをしている双方には、「こうすれば上手にコミュニケーションが取れる」という経験則に基づく論理があるわけです。
それを「科学的に何が起こっているか?」と問われると、上手に説明できないです、僕は。
(そういう風に考えているから上手にこの子と付き合えないのですよ)
という言葉を飲み込みながら、「なんででしょうね、仲良くなることじゃないですか」くらいしか言えません。
相手の方では、腑に落ちないものだから硬い表情をしていますが、当事者同士は、当事者同士の論理と経験に基づいて付き合いを重ねて、深めているのです。
こういうなんでも科学的に物事を考えようとするのは現代人の一種の癖だと思います。
ビッグデータなんて言葉が使われるように、膨大な情報をインターネットで収集や管理できて、それを駆使することでビジネスなどをうまく回していくという風潮がそうさせているように思えます。
例えば人付き合いのことで言えば、ビッグデータよりも長い時間をかけて付き合いの中で集めたロングデータの方が余程役に立ちます。
自分の中で論理的に貫けるものがあれば、自分の信じる道を歩むだけです。
人付き合いでも仕事でも、遊びでも。
妻の胎内にいる我が子について言えば、もう外界の音を認識できる時期だから、僕らの笑い声、きれいな音、音楽をたくさん聞かせてあげたいものです。
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2015年12月6日日曜日
縄文時代の福祉から考える
そして秤にかけ続けます。
そうして必要とされるものを目指していきます。
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2015年12月5日土曜日
いつ、どこで、誰と、何を
プチオフィスの完成です。
自宅で仕事をするからこそ、気持ちの切り替えを行うために空間づくりは必要だと思っていました。
仕事をするためのスペースがないとズルズルと過ごしてしまいかねないですからね。
この空間づくりというのが、子どもたちと関わる上でもとても大切なことがあります。
いつ、どこで、誰と、何をするのか?
これを整えるだけで、幾分も普段の生活をしやすくなるということです。
僕の先ほどの部屋の整理の件を例に取ります。
この場合、
いつ:仕事をするとき(就業時間というものがないため、こういう表現になりますが)
どこで:仕事部屋で
誰と:一人で
何をする:仕事をする
ということになります。
これを整理すると、先の見通しが立てられるというわけです。
子どもの場合は、
いつ:平日
どこで:学校で
誰と:友達や先生と
何をする:お勉強をする
という風になります。
もちろん、それを細かく見ると、算数をするだとか、掛け算をするだとか、テストをするだとか、になってくるわけです。
そして、いつ、どこで、誰と、何をする、を自分自身の力ではっきりさせることが苦手な子がいることもまた事実であり、忘れてはならないことだと思います。
そういう事を含めて支援の場では「構造化」なんて言い方をすることもありますが、そんな難しく置き換えると却って身近でなくなり、定着しないこともあのではなかろうか?と僕個人としては思うところです。
言葉の話です。
僕らは、手帳でスケジュールを管理するときに「よし、構造化はこれでばっちり」だなんて思いながらしているわけではありませんが、していることの本質は同じです。
いつ、どこで、誰と、何をする、ということ、普段強く意識しないまでも、困らない程度に皆さん、頭に整理して生活をしているのではないでしょうか?
そういう感覚でいいと思うのです。
その整理の仕方として、頭で覚えられる人もいれば、手帳に書き込む人がいるように、その子その子の特性や個性に合わせて、見通しが立てられるようにしてあげることで十分な支援になりうると思います。
実生活になるべく直結していく支援をしたいというのは、現場の人間としては多くの人が課題に掲げる問題だと思います。
そうするためには、思いっきり「訓練」という雰囲気を出すのは、どうも違う気がします。
もちろん、内容によってはそうすべきものもありますが、日常的な生活における支援というのは、それとは少し違ったものを考えていかなくてはいけないと思います。
でないと「○○さんだから出来る」「この子は○○が好きだから」というように、出来ているのは限定的だという事で、支援者がいないと出来ないで、いつまでも自立が出来ない、ということに陥る危うさがあります。
日常生活に直結できるようなやり方を出来るだけ探し、実践し、いつ、どこで、誰と、何をする、を整理する習慣を身体と感覚に覚えこませて、徐々に「誰とでも出来る」というところを目指すことがあってもいい気がしています。
障がいがあろうが、地域で生きる以上、特別扱い、というものにも限度があります。
その子その子が出来るだけ、社会や地域になじむ方法を模索しながら、提案なりしていくことを心掛けたいと思います。
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2015年12月4日金曜日
相手に興味を持つこと
ケニアの選手らが、福岡市内の小学校で子どもたちと交流をしたのだそうです。
こういう交流記事、個人的にとても好きなのです。
異文化交流、特に生活している国の違う人同士が交流しようとすると言葉の壁が生まれますよね?
言葉が通じない、って一つの障壁です。
言葉が通じないので、別のコミュニケーションを取り始めると思います。
(まぁ、前述の交流会なら通訳がいらっしゃったのでしょうけれど)
例えばこのケースのようにマラソンというツールを通して異文化交流を図ると、お互いに緊張はするけれども徐々に楽しめるようになってきます。
新聞にも選手と子どもたちが笑顔で写っていますし。
言葉が通じなくても共通項を見出せば、互いのことを知り合うことはできるのです。
その共通項を通して関りを持つと、「何と言っているのだろう?」「伝わってるかな?」と疑問も出てきます。
疑問を持つということは興味を持つことです。
相手について興味を持つということが人との交流ではとても大切だと思います。
よく「愛の反対は無関心」と言いますよね。
つまり相手に関心、興味を持つことが愛に繋がるのだと僕は思います。
町を歩いていてもいわゆる「ちょっと変わった人」っていると思います。
でもなかなかその人に興味を持つほどには関わろうとしないと思います。
だから「変わった人」以上に、その人に対して認識が変わらないのです。
ほんの少し興味を持ったら、もしかしたら「あぁ、あれが気になってるのか」と見えてくることだってあるかもしれません。
こんな難しい話に限ったことではないです。
好きな人のこと、恋人のことを知りたいと思いますよね。
付き合いたてのカップルが時間を惜しむように話をしたり、メールなどで連絡を取り合うのも相手のことを知りたいからです。
逆に言うと自分のことについて質問をしてこない人は…(笑)これ以上は言いませんが(笑)
相手に疑問を持つことさえすれば、その間に障壁があっても越え方が見つかるかもしれません。
僕一人で出来ることなんて限られています。
それでも出会った人、出会った子には興味を持って接したいです。
もちろんすべての人と上手に付き合えるほど器用な人間ではないですけど、人に無関心にはなりたくないです。
福岡は夕べから大荒れの天気です。
風も冷たくなりこの時期になりようやく冬の様相が深まってきました。
くれぐれも風邪など召されませぬようお気をつけてお過ごしくださいませ。
お問い合わせは↓
ぐるんぱホームページ
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SNSで僕のことを知ってもらうことも出来ます。
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2015年12月3日木曜日
ブログは共感をしていくもの
約2時間の講演会とその後のランチ会で出席者同士の交流会というものでした。
講演会の内容はセルフブランディングとブログ術のお話が中心でした。
自分を価値付けして、発信していきましょー!ということですね。
こうやって一言で言ってしまうととっても平ぺったくなってしまいますけど(笑)、具体的にしていくことを分けてみていくと本当にすることの多いこと多いこと。
特に、僕自身ブログは学生時代からずっと書き続けているけれど、自己満足で終わってきたところがあります。
読み手を意識した文章を書いていく、という意識改革をしなくては、と思いました。
「楽しかった」「うれしかった」あるいは「苦しかった」「辛かった」という体験を、「楽しさ」「嬉しさ」「苦しさ」「辛さ」を伝える文章で読み手が共感できる文章にするということが、一つポイントになるように僕には聞こえ、そう解釈しました。
これって、読み手に共感するという事なんですよね。
書き手に共感してもらうよりも先に、読み手のことを思って共感しながら発信するという感じでしょうか?
すごく新鮮な感じがしますが、実は僕がこれからしていこうとすることとすごくつながっている気がします。
本当に困っている人って、「困っています。」って言い辛くなってる人がほとんどだと思うのです。
そこへスッと寄り添って、あるいは本人すら気づいていないところも含めて共感していくことが必要なことも多々あります。
その練習として、こちらから発信と共感を受け身にならずにしていくブログの書き方がある気がします。
あるいは、書き方によって、「こういう人と一緒に我が子のことを考えていきたい」と読み手に思わせることが出来ることもあるかもしれません。
自分本位でない仕事をしていきたい、というその雰囲気やニュアンスを伝えることがブログで出来るのではないか?と、可能性を見出すとともに、これまでの自分のやり方を大きく見直す機会をいただきました。
他にも、出席者の方とつながりを持てたこともとてもよかったと思っています。
これから出会う人、出会う子のために勉強すべきことは本当に多いです。
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2015年12月1日火曜日
名刺を作っております
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2015年11月30日月曜日
明日から12月、ぐるんぱも始動です。
11月いっぱいで前職場を退職し、12月からぐるんぱとして活動を開始して参ります。
以前の記事でもご紹介しましたように、発達障がい児をはじめとする子どもたちの支援を宗像市で始めます。
改めて具体的に申しますと、まず、発達障がいを持った子どもへの学習支援を活動の柱としていきます。
子どもたちの日常を考えた時に、学校で過ごす時間というのが大部分を占めるわけです。
その内訳をさらに見ていくと、学習の時間が大半を占めます。
その学習の時間で躓くと、学校へ行きたくなくなるということも子供たちの世界にはとても多いことです。
あるいは自分に自信が持てなくなるということにもなりかねない話です。
一般科目ではないですけれど、僕自身歌を歌うのがとても苦手でした。
それで音楽がある日はどうしても憂鬱でしたし、周りからも「下手」ということを直に言われた経験もあります。
すると、「歌」のことについて言われているのにもかかわらず、他の事にも自信が持てなくなるものなんですよね。
そこで、子どもたちが居場所を失わない、あるいは戻れるように学習支援をしていきます。
一般科目の他にも作文指導、習字も行います。
場合によっては運動指導も請け負いますので、ご相談ください。
ただ、普通の家庭教師や個別指導塾とは違うということをご理解ください。
あくまでも発達障がい、不登校児の支援を目的としています。
学習そのもののための準備ももちろんこちらでしていきますが、支援として関係各所とも積極的に関り、子どもあるいはご家庭の生活を整えることを目的としています。
問い合わせだけでも構いません。
お気軽にお問い合わせくださいませ。
ぐるんぱホームページ
2015年11月22日日曜日
子どもの個性を育み、親の支えになることを目指したい
いよいよ、あと1週間で11月も終わります。
僕もぐるんぱの永田として、スタートを切るカウントダウンが始まりました。
僕は持ってる経験を、存分に活かして本気で仕事をしていきます。
今の職場もあと1週間で退職日となります。
生徒とも親御さんとも最後の挨拶をする日々が続いております。
今日、一人のお父さんから、
「心の底から応援しています。この子にとってもそうだったんでしょうけど、何より私の支えでした。ありがとうございました」
と涙ながらに言葉を頂戴しました。
思わず僕も涙を流しながらのお別れとなってしまったのですが、こういう仕事をしてきて本当に良かったと思いましたし、これからも本気で目の前の人と向き合いながら仕事をしていこうと決意も新たになりました。
応援されないことには、どんな良い企画も成功しません。
僕はこれから、一人でも多くの方に応援してもらえる仕事をしていきます。
2015年11月8日日曜日
親には敵わない。支援者としての関わりを考えること
どんなに腕の良い支援者でも親には敵いません。
それは言うまでもない事実です。
にも関わらず、まるで全てをお見通しと言わんばかりの口調、語気で話を進める支援者が残念ながら少なからずいることもまた事実です。
障がいや差別と言ったことの啓発も盛んになり、支援施設や団体も増えてきています。
そして、それぞれのサービスを利用する人も増えています。サービスを適切に選んで必要な支援を受けることはとてと大切で、もっとそういう体制が整えば良いな、とも思います。
その一方で、多くのケースを抱えて、支援に馴れてしまう支援者が現れることを危惧しています。
たくさんのケースを見聞きし、「知った気になる」ことが怖いのです。
そうなると言葉選びにも慎重さを欠き、行動も軽率になり、相手を傷つけていることにすら気づかなくなりかねません。
傷ついた人は、問題を自分で抱え込むようになります。
そうなると益々、支援手が届きにくい、ということになります。
そんなことにならないためにも、「僕らはあくまでも支援者」「ケースは人の数だけある」ということを常に念頭に置き、支援に当たる必要があります。
僕自身がその事を忘れぬための訓戒として今日の記事を残しておくことにします。
引き続き生徒募集中です。
ぐるんぱホームページ
2015年11月7日土曜日
ストレス要因を取り除くことも大切だけど、並行して立ち直る練習が必要
つい先程のこと、自宅近くのスーパーに買い物に行ってきました。
行き慣れたスーパーで、いわゆる御用達みたいなスーパーなんです。
つい先日も買い物をしました。にも関わらず、今日は手間取ってしまいました。
というのも、一部商品棚の配置替えが行われていたんです!
いや、マーケティングは大切で、陳列の仕方次第で売上が変わるというのは、小売業素人の僕でも分かるので、良いんです。
ただ、本当に戸惑ってしまいました。
探しているものが思っていた場所に無かったものですから。
こういう変化というのは、はっきり言って仕方ないですよね。
「おっと」と思いながら、「じゃ、どこに行ったんだ?お、あったあった」となれば良い訳です。
発達障がいの専門書やら入門書を手に取ると「変化に対応するのが困難」だとか「ストレスの処理が苦手」というような事が記されていたりします。
だからと言って、彼らのストレスになる要因を全て排除することは不可能ですし、それではいけないと僕は思います。
もちろん、わざと彼らの苦手な事を用意するなんていうのは論外ですが、何かあったときには、「こういうこともある」という話をしてあげる必要があります。
そういうときこそ僕はチャンスだと捉えます。
思いがけないことがあったときに、その思いがけないことへ矢を向けるのではなく「驚いたね、でもこういうこともあるんだよ」と伝えることで、少しずつ変化に対して免疫力をつけていく練習に続けることが大切だと思うのです。
ストレスになることを必要以上に排除して回るのではなく、ストレスがあってもそこから立ち直る練習をした方が建設的だとも思います。
そして、それが成長に繋がると信じています。人は困ったときに成長するものですから。それは障がいの有無とは無縁のことです。
僕もたくさんの困ったから成長の糧を手に入れたいと思います。
2015年11月6日金曜日
自分たちが当たり前に使っているものをもっと体系立てて
支援というと何か特別な援助を受けるイメージがどうしてもつきまといます。
そのイメージ、ある意味では正しいかもしれませんが、ある意味では正しいとは良い難いものです。
便宜上「支援」という言葉を使い続けますが、どうぞ噛み砕きながら読み進めていただければと思います。
ある意味では正しい、というのは支援を必要としている人は「どうしたら自分にとって分かりやすいか」という方法を自分で用意することが苦手な人が多く、その方法を提案あるいは用意、提示して貰うことを必要としている訳です。
その提案、用意、提示なんかを特別な援助、と捉えれば確かに支援とは特別な援助ということになるでしょう。
でも、その提案や用意、提示される内容はそれほど僕らの身の回りにあるものと変わりません。そういう意味で、前述の問題が正しいとは言えない、という答も僕は持っています。
その一例が手帳です。
手帳というのは本当に多くの人が活用するツールですよね。最近はスマホなどで代用も出来ますが、用途としての話なのですっ飛ばしますね。
手帳は、今後のスケジュールを把握し、自分自身に見通しを付けるために使うと思います。
あるいは、行ったことを記録していくために使う人もいます。
これはよくよく考えると発達障がい児者の支援プログラムと、とても似ていることに気づきます。
手帳の種類、使い方は人それぞれです。
それは個別支援と酷似しています。
人はみんな自分に合ったものを選択しています。
その選ぶ事を手伝うのが僕の仕事だと思っています。
うまく伝わるでしょうか…?
自分たちの身の回りにあるものの本質を考えて、より分かりやすく、より体系立てるとどうなるか?そういうことに気を配りながら生活したいものです。
さて、そろそろ来年の手帳を探しますか。
仕事もライフスタイルも変わるので手帳も変えるべきか…使いなれたもので用が足りるものか…
2015年11月5日木曜日
「らしく」を大切にする指導を
このブログを開始してからまだ日も浅いですが、その中でも「個」ということに再三触れてきています。
おそらく、これからもこういう話は、度々することになると思いますが。
今日もまさにそういうお話です。
僕自身、文章の長短に関わらず、文章を書くことがとても好きです。
その中で、特に大切にしているのが、「僕らしい文章か?」ということです。
誰かに気を使ったり、遠慮したりしたり、し過ぎていないか?ということを意識しながら文章を、書いています。
もちろん、このブログもそうですが、文章に書き落とした以上、読み手が存在します。
それが自分であるか、他人であるか、という問題があるので、読み手に伝わるように、というのは大前提です。
その中で、思考として、文脈として、表現として自分らしさが現れているかというのが、とても大切なのです。
ただ、これには練習が必要です。
どうしても建前なんかを気にして「こんなこと書いて大丈夫かな?」なんて葛藤が出てきますからね。
勇気が必要なのです。
「書いてみなよ」と後押しをしてくれる人がいれば良いですけれどね。なかなかそうもいかない。
だから、作文の課題として、普段はわざわざ書かないようなことを題材に取り上げ、書くことに免疫を作るのです。
一度、建前から離れることを経験すると意外にも子どもはすらすらとかき出すものです。
子どもに限らず、人は「自分のことを知って欲しい生き物」だから、当然です。
こうなると書き出して「ん?なんか違うぞ」と自分の言葉や表現を探し始めます。
で、しっくり来る言葉を見つけると嬉しいものだから、書くのも楽しくなる。
その次には伝える喜びを味わい始めるのです。
書くだけにとどまらず、話すときの自分の意見を言う練習に繋がるのです。
指導あるいは見守る側は受け止めてあげる。これにつきます。
「そんな風に思っていたんだね」と。
最初は踏み出しきれずにいるでしょうから「僕はそんなもんじゃなくて、もっとこう思ってたけど」とオーバーな例えを聞かせてあげ、遠慮を取っ払う手伝いがいるかもしれません。
なので、指導する側は書き手のことを知っておかなきゃならない。
でないと
「らしさ」なんて引き出せません。
家族や友人、自分との普段のやり取りと文章にギャップがありはしないか観察するのです。
あるいは文章の方がいきいきし出すかもしれません。
そうなってきたら、日常の実際的なコミュニケーションの後押しをしてあげると良いかもしれません。
とにかく「らしく」というのが文章を書くのも、支援においてもとても大切なのです。
今日は、作文を題材に「個」についてお話をしてみた次第です。