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2016年9月21日水曜日

歩いて気づいた歩き難さ。丁寧に身の回りを振り返ることが大切

とある事情があって、夕べは日の里を3時間強歩くことになりました。

僕も愛犬の散歩があるので、よく歩いている方だと思います。
時間さえ許せば、朝晩一時間ずつくらい歩く日だってあるくらいですから。

でも、3時間も続けて歩き続けることってなかなか無かったんですよね。
すると、普段は気にならない、感じないことを感じるようになります。

この体験が良かったです。

僕自身、日の里での生活は満足しているので、不満とか生活しにくいとか、そういうことでなく、一つの視点、気付きとして以下を書いていこうと思います。

まず、路面の状態の悪さ。

歩き始めや普段の散歩程度では足腰も疲れない(元気)な為に、気にならないのですが、あれだけ歩くといささか疲れてきます。

そこまで歩かないと気づかなかったわけですが、アスファルトのひび割れ、継ぎ足し、凹凸、段差…それらの多さと、それらが生む歩きにくさに敏感になりました。

足腰の弱い高齢者、まだまだ未発達な子どもたち、車椅子…歩き難さを無意識的にでも感じている人は多かろうな、と。

次に夜道の暗さ。
歩き慣れていて忘れていました(笑)

日の里にもバス通りなるものがありまして、その通り沿いはある程度の明るさが保たれています。
夜の散歩は、極力そういう道を選んで歩きます。

ですが夕べは、他の道も歩きました。

すると暗い暗い。

これって平時は良いけど、有事の時には大変なんじゃないかな?
前述の歩き難さと併せて考えると余計に。

星がよく見えるとか、自然の多いところが日の里の良さだとか、良い面に目を向けるとそれはもっともなんですが、家々が立ち並ぶ住宅街で感じる必要は無いのかもしれない、と思いました。

少し大きな公園だとか、少し移動すればそれらが楽しめるとか、そういう町作り、区分けでも良い気がします。

日の里、というか宗像も多くの自治体と同じように高齢化に悩み「誰もが住みやすい」的な町を目指しているのですから。

そして、今朝になって気づいたんですが、靴底が汚れていました。

ガムやらゴミやらを踏んでいたんでしょうね。
普段は無意識に避けているものを暗さゆえ避けられなかったんでしょう。
足元の悪さに意識が向くから尚更、ゴミ類を避けるなんて後回しになっていまし、普段はそんなこと意識して歩くことはありませんから。

これはどちらかと言うと、暗さや道の件のハード面に対して、僕らの心掛けや町への愛着だとかソフト面の話になると思います。

実家のある小郡市希みが丘では、「ペットオーナーの会」なる組織があります(母も立ち上げ当時のメンバーだったりするのですが)。
そこが数ヵ月に一度地区内を「犬の糞拾い」と称してゴミ拾いをしています。
マイクで「ペットオーナーの会です。糞拾い、ゴミ拾いをしています。」と呼び掛けながら。

すると、立ち上げ当時に比べて地区内のゴミは明らかに減りました。
糞のやらせっぱなしも減りました。
ノーリードで散歩する人もほとんどいなくなりました。

小郡市が良いとか、宗像が悪いとかでなく、ちょっと動いてみるだけで変えられるものもある、ということです。

思いがけず、住み慣れた町への気付きが得られました。

日常を惰性でなく、丁寧に見つめ直すってたまには必要ですね。

それでも、こういったものがありつつも、僕が住みやすいと感じるのは、ご近所さんとか人の繋がりがしっかりしているからだと思います(うん、きれいに着地させた笑)
いえ、本当に今挙げたものを差し引いてもこれは住みやすさに繋がる要因となり得ています。

僕も子どもをここ日の里で育てていきますし、仕事もしていきます。
今いる、ここがどんな場所か、何があって、何が足りないのか…

考えながら、僕の思う文化作りをしていきたいものです。

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