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2016年9月23日金曜日

当たり前のことで褒めるのは止める

こういう記事はこれまでにも書いてきていますが敢えて。

「褒める」ということが子育てや教育では大切、ということをよく耳にすると思います。
と言うより、そういう風潮が蔓延していると言った方が良いかもしれません。

褒めること自体は、僕も必要だと思っています。
でも、僕は本当に褒めてあげたいところでしか褒めたくないんです。

して当たり前、出来て当たり前、そういう場面で褒めても自己肯定感を育むことにはならないと考えています。
いえ、むしろ場合によっては自己肯定感を奪うことにすら繋がるとも思っています。

人間関係もこじらせますし。

当たり前のことで褒められても嬉しくないですよね?
その子、その人にとって適切な課題を設定して、それを達成したときに褒めて「達成感」を味わってもらうのが、褒めることの根っこにはあると思います。

簡単だったり、して当たり前のことで褒められるとどうですか?
「こんなこと出来て当たり前だし」と素直に喜べないことがありませんか?
なんでそんな気持ちになるのか?

それは自分自身の評価と他者からの評価に差があるから。
「過小評価」されていると感じるからですね。

過大評価されるのも大変ですが、過小評価されて味わうのは、惨めさです。
これは一旦、その人の中に根を下ろすと厄介です。

褒められることで過小評価されていると感じる訳ですから喜べません。
当然です。

褒めた方は「褒めているのに喜んでくれない」と焦ります。

そして、やりがちなのが「ご褒美」。
褒めて喜ばないからモノを与えて喜ばせようとするんです。

ここが落とし穴。

モノを貰う(特にこういう場面で貰えるのは、好きなものであることがほとんどです)から、そりゃ、嬉しいです。

でも、それは「もらって嬉しい」に刷り変わっているんです。

評価されていることと結び付いているとは限らないんです。
切り離して考えていることが多い。

こういう落とし穴にハマっていると、次第に立場が逆転し始めます。
「モノをくれないとやらないぞ」と。
「あげるからやって」と。

そうなると自己肯定感云々ではなくなってしまいます。

褒めても喜んでくれないときにすべきは、モノをあげることではなく、課題の設定し直し。

して当たり前のことは、当たり前に流して、褒めるべき事で褒める。

そういうことを習慣にしないと、段々と本音を言えない関係にまでなっていきます。

する側になると、される側の気持ちを見失いがちですが、褒める前に「褒めるべきか」を考えるのも大切。

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